第三章 悩める人 (3)
【アッキーの恋の軌跡】
ふむ。ついに男性の方々お待ちかね、お色気エピソードの回がきてしまったか。序盤で真鍋さんが話していた、高校時代に私が裸で拓人に迫ったというあの話である。アッキーって意外とエロい女なんだなと思われている方も多いだろうが、まあそれにはわけがある。パンツを下ろさずに聞いていてほしい。
中学時代の私と拓人の成績は拮抗していた。そんな二人がぎりぎりで合格できるんじゃないかというレベルの普通高校を二人とも志望校としていた。中学生のカップルが同じ高校に進みたいと思うのは必然である。
なのに、私だけ受かって、拓人は受からなかった。落ち込んでいた彼の手前、私はひたすら彼を励ましていたが、心の中では「何やってんだ、このクズ!」と罵倒していた。一緒の高校に進めなかったのが不満なので、愛のある美しい罵倒といえる。
私は自転車で二十分ほどのその高校に、拓人は自転車で一時間ほどの場所にある別の普通高校に進学した。
高校では制服がブレザータイプとなった。濃い赤のブレザーに中学時代のものと似たチェックのスカート、冬に着込むグレイのベストもリボンつきでなかなかに可愛い。お隣のおばちゃんにファッションショーしてみせるも、花粉症でそれどころじゃないようすだった。
十五歳になった私の容姿は、ちょっと嫌なふうに成長した。特に鼻が気に入らない。なんか横に広くなって、全体のバランスを損ねてしまっている。あと、ふくらはぎがちょっと太くなった。これはまあ、育ち盛りだと騙されて食べ過ぎてしまった私に負があるのかもしれない。少女時代から一貫して美人だという宮沢りえはやはり偉大である。もはや彼女に似ているなどといっては失礼にあたってしまうので、この頃から自重し始めた。
一応は進学校で、クラスに不良っぽい子が一人もいなかったせいか、高校はかなり平和な環境だった。ただ、私個人としては波乱の連続であった。
私は出席番号で並んでいる恵那ちゃんという子と仲よくなった。
中学時代、私はバトミントン部に所属していた。恵那ちゃんも同じだそうで、彼女と一緒に高校でもバトミントン部に入部した。休み時間はもちろん、部活でもいつも彼女と一緒に行動していた。
この恵那ちゃんという子は、たいへん素晴らしいのだ。整った顔立ちや身長百五十センチ未満のちっちゃな身体もさることながら、その仕草やキャラクターが、痛くても目に入れてしまいたいほど可愛い。
そんな彼女に好かれたい一心で、私はビッチになった。
というのも、中学時代、あの真奈美ちゃんが女子たちに羨望のまなざしを向けられていた最大の要因が、男子との無制限一本勝負をただ一人経験済みだったことなのである。
だから私も、週に三回は拓人と試合をしていると恵那ちゃんに話し、ときにはその際の模様なんかをこと細やかに聞かせてやったりした。効果は覿面で、恵那ちゃんは私に「大人だねー」とか「尊敬するー」とか香ばしい言葉を次々とくれた。
ふむ。もちろん嘘である。私と拓人がそんなに進んでいるわけがない。いまだに互いの了解をえてからキスをする仲だ。ちなみに拓人がサッカー部出身で筋肉のついたたくましい身体をしているというのも嘘である。
いわゆるハッタリなわけだな。恵那ちゃんを騙すのは忍びないが、それによって彼女が私に憧れてくれるのであれば、それもまた正義である。同じ高校に進学した中学時代の同級生も何人かいるが、あまり親しくはないので、きっとばれないだろうと思った。
まあ、目論見どおり、ばれはしなかったのだが――。
高校入学から一ヶ月近くが経過したある日の部活終わり、いつものように下校ルートにあるファーストフード店の二人がけテーブルで、私たちは顔を向かい合わせていた。「はい、あきちゃん。あーんして」と無邪気にフライドポテトを私の口に入れようとする恵那ちゃん。そんな彼女こそ、私は食べちゃいたかった。
「ねえ、あきちゃん。私の悩み、聞いてほしいなー」
相変わらず屈託のない笑みを浮かべながら、恵那ちゃんが突然そんなことを言いだした。
「悩み? いいよー」
「まず、あきちゃんに謝らなきゃ」上目づかいで私を見る。
「実はね。内緒にしてたけど、私、彼氏いるんだ」
「え!?」
私はどきっとした。今までそんな素ぶりなど、露とも見せなかったではないか。これは困った。私が話してきた拓人の試合模様は、雑誌なんかで仕入れただけの浅い知識に基づいて構成されている。もし恵那ちゃんが体験済みな子だったとしたら、どこかに綻びを見つけてしまったかもしれない。どうしよう。ばれていたらどうしよう。
「ひどいよー」私はぷくっと頬を膨らませてみせた。
「どうして内緒にしてたの? 私にばっかりエッチな話させて」
自分から話しておいてなんだが。
「ごめんよー。だって、恥ずかしかったんだもん」
「恥ずかしかった?」
ふふふ、そうゆうことか。いやはや、私が馬鹿であった。恵那ちゃんのようにキュートな女の子がすでに体験済みだなんて、本当にどうかしている。きっと彼女とその彼氏も、私と拓人のような、うぶなカップルに違いない。
むむ。だとしたら、悩みというのはまさにそういった類の話なのではないか。恋の先輩である私に、巧みな試合作りの術を教授してもらおうと。それはそれで困るな。私に答えられる質問ならよいのだが。
恵那ちゃんは言った。
「彼氏が普通のプレイに飽きちゃって、縄で私を縛りたいって言うんだ」
「…………」
無邪気に話す恵那ちゃんの顔を、私は凝視した。彼女が不思議そうに首を傾げたため、慌てて視線をそらす。
「そ、それは別に、嫌なら断ればいいんじゃない?」
窓の外を眺めながら、私は精一杯平静を装った。
空はすっかり暗くなっている。店の前の大通りを走るたくさんの車のライトが、ふと未知の世界へ自分を誘う秋波のように思えた。
「そうじゃないの」と恵那ちゃんはかぶりを振った。
「縛られること自体はちょっと興味があるんだー。私、ちょっぴりMだからね。あきちゃんはどう思う? それとも、あきちゃんはSかなー?」
「え、えーっと。私もMかな、やっぱ」
目を白黒させながら答える。SとMの単語の意味ぐらい、すでに勉強済みさ。
「じゃあ、縛らせてあげればいいじゃん」私は気をとり直し、微笑を浮かべた。
「恵那ちゃん、彼氏のこと好きなんでしょ? そういったプレイに興味があるなら、協力してあげるべきだよ」
「うーん」真後ろで結ったおさげ髪を口もとに持ってきて、恵那ちゃんはそれをいじった。
「恥ずかしいけど、あきちゃんには言っちゃおうかな。実はね……」
「うん?」
「私、二股してるの」
私はがーんとショックを受けた。
開いた口の塞がらない私を、つぶらな瞳で恵那ちゃんは見つめる。その視線に気がつき、私は狼狽を隠すようにシェイクに手を伸ばした。
「二人とも変わらないぐらい好きなの。だから、そっちの彼氏の要望に答えてあげたいんだけど、縛ったら縄の跡がつくじゃん。同じ日に両方の彼氏と会うことも多いから、絶対にばれると思うんだよね」
それはつまり、一日のあいだに二試合以上行うという意味なのか。しかも、別の相手と? なんてすさまじい。近年はベテランレスラーでさえ、一本勝負がやっとなのに。
「ば、ばれるだろうね」
ストローをくわえたまま、私は言った。
「だからさ、あきちゃんに相談したいの。彼氏に二股のことを打ち明けるべきかなって」
「いや、二股をやめればいいんじゃないの?」
「だって、どっちも好きなんだもん」恵那ちゃんは悪びれることなく言った。
「あきちゃんにも難しい? じゃあ、残念だけどSMプレイは断ろうかな」
できればプレイよりも二股をやめてもらいたかったが、ここでしつこくたしなめるようだとビッチの名がすたってしまいそうで、何も言えなかった。
私たちは揃ってファーストフード店を出た。
しばらく歩くと、心地よい春風が胸のもやもやを吹き飛ばしてくれた。ええじゃないか、ええじゃないか。SMでも二股でも、なんでもござれなのが女子高生だ。
スキップで歩く恵那ちゃんが、ふと口を開いた。
「でも、あきちゃんに打ち明けられて嬉しいな。今度からエッチな話、いっぱいしようね」
もやもやもやあっと、またもやもやが蘇ってくる。
どうしよう。相手は百戦錬磨の強者で、私は練習生レベルにも達していないど素人。ああ、彼女と対等にビッチなトークができる知識と経験がほしい。喉から手が出るほどにだ。