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第三章 悩める人 (1)

【OFF】


 ガラス製のドアの前で、私は立ちどまった。左手に持ったお盆には、ジュースの入ったコップが五つも乗っかっているが、それをこぼさないようにドアをノックすることぐらい朝飯前なのだ。


「失礼しまーす」


 ドアを開けた途端、大音量の音楽と歌声が廊下に漏れだした。私はすかさず部屋の中に滑り込み、ドアを閉める。お客さまに会釈しながら、ドリンクをテーブルに移していく。


 お客さまは同年代か、私より少し若いぐらいの男女である。マイクを持っているのはチーマーふうの身なりをした男性で、素人には手をだしにくいヒップホップをそつなく歌っている。


「へい、店員さん」


 聞き覚えのある曲なため、リズムに合わせて肩を揺らしていたら、その男性にマイクを向けられてしまった。


「いや、無理です、無理です」

 私は逃げるように部屋をあとにした。そのまま厨房兼控え室に戻り、飲みかけのコーラを口に含んだ。


「あの部屋の客、たちが悪そうですよね」


 金庫の整理をしていたすなおくんが笑いかけてきた。私より一つ年下だが、髪が薄く腹が出て、初老の貫禄を携えている。


「次呼ばれたときは、みっちゃんだからね」


 ギャルふう女子大生のみっちゃんは、テーブルにうつ伏せて眠りこけていた。


 ラジオのない平日は、時折取材や営業といった別の仕事が入るものの基本的には暇である。よって生活費の補完も含めて、私は月に十日ほどカラオケボックスでバイトをしていた。


 ラジオと同じく大学時代から続けているバイトで、現在同僚はみんな後輩でしかも年下である。店長の直くんでさえ二年前に雇われ、その後昇進したため、恐ろしいことにそれが当てはまってしまうのだった。


 時刻は午後九時。午後十一時までの準夜勤と午前五時までの深夜勤、二つの勤務シフトがあり、私は主に準夜勤である。勤務終了まで二時間というこの時間帯は非常にだれてしまうが、だらけるとかえって疲れるという法則を過去の経験から培っていた。


「とお!」と私はみっちゃんに延髄チョップを食らわす。


「痛いです」みっちゃんはむくっと起き上がった。

「てんちょー。アッキーさんにまた暴力を振るわれました」


「いやあ、勤務中に眠るのはどうかと……」


 頼りない態度の直くんを、私は無言で睨みつけた。そのとき、受付から同じく女子大生ののんちゃんが顔を覗かせた。こちらは黒髪清純派だ。


「アッキーさん。なんか、知り合いの人がきてますけど」


「私の?」

 私は自分を指差した。


 カラオケボックスでの勤務中は、変装のため眼鏡をかけるようにしていた。ラジオパーソナリティという肩書きであるが、番組のホームページや情報誌に素顔を公開している他、昨年夏にはリポーターとしてテレビ出演もしてしまったためだ。やっぱり、自意識過剰などと拓人にからかわれるが、どっちにしろ視力は悪いんだからそれぐらいいいじゃないかと思う。


 で、拓人の指摘どおり、今までお客さんに正体がばれたことはなかったはずなので、訪ねてきたのは本当に知人である可能性が高い。ここで私が働いていると知っている者はだいぶ限られるが、いったい誰なのであろうか。


 受付には団体さんがおつきだった。もう、人目見て濃い連中だというのが分かる。女の子ばかりなのだが、みんな派手な身なりをしているし、中には坊主頭な方や、数えきれないほどのピアスをつけている方もいる。


 私にこんな知り合いはいなかったはずだと思い、その旨をのんちゃんに伝えにいこうとしたとき、集団の中の一人が声を上げた。


「秋実!」


 なぜかサングラスをかけた金髪の女性だ。広く開いた胸もとに、タトゥーまで覗いているじゃないか。私は涙が出そうになった。


「ど、どなたでしょうか」


 私を秋実と呼び捨てにする人物は更に限られてくるのだが、彼女にはまったく見覚えがなかった。


「私だよ! 真奈美!」


「ま、真奈美……?」しばし考えた末、私ははっと気がついた。

「真奈美ちゃんって、あの?」


「そう! あんたがこないだラジオで話してた、不良娘!」


 私は閉口した。まさか、真奈美ちゃんに聞かれていたとは。


「久しぶりじゃんよ!」そんな私に、真奈美ちゃんはハグを求めてきた。

「何ちゃっかり有名人になっちゃってんの!? 小波に聞かされてさ、私も初めて知ったんだよ! ちゃんと教えてとけって!」


「だって、中学以来会ってなかったから」ハグに応えると、お酒の匂いがぷんぷんと香った。やや強引に彼女から逃れる。

「少し、雰囲気変わったね。なんていうか、昔より……」


「私にも色々あってさー。いやー、それにしても秋実、美人になったねー」


 それから真奈美ちゃんは、仲間たちに「私のモトカノ」と私を紹介した。


「え!? え!? モ、モトカノ!?」


 可哀想なぐらいうろたえる私を見かねてか、ピアスの人が真奈美ちゃんをたしなめてくれた。

「真奈美ちゃん、駄目だってば。ノンケをからかっちゃ」


「…………」

 私は辟易する。うう、頭が痛い。


「アッキーさんって、彼氏いるの? じゃあ、真奈美ちゃんとつき合っちゃえばいいじゃん」

 別の化粧の濃い女性が、気安くそんなことを言った。


「い、います! 彼氏、いますんで!」


「いやん、振られちゃった」真奈美ちゃんは額を押さえ、宙を仰いだ。それから、思いだしたようにこんなことを訊ねてきた。

「そういえばあいつは!? 新藤! 中学の頃、あいつとつき合ってたんじゃなかったっけ」


 彼女自身はラジオを聞いていないのかもしれない。


「いや、だから。まだつき合ってるってば」


「は?」真奈美ちゃんは口を丸く開けた。

「マジで!? すっごーい!? 何年!? 十五年ぐらい経ってない!? すごくない!?」


 他の子たちも追従する。

「すごーい! 浮気とかもまったくせずに!? マジ受ける! なんで結婚しないの!?」


 大騒ぎになってきたところで、続くお客さまがやってきた。「後ろが詰まっちゃうから」と言い残し、私はまた控え室へ逃げ帰る。また眠っているみいちゃんをチョップで起こしたあと、私は椅子に座って「ふう」と溜息をついた。


 地元から一度も出ていないにも関わらず、中学以来の同級生と再会するのは初めての経験であった。慣れていないからだろうか、私はなんとも複雑な気持ちになった。久々に会って大人になった同級生を見ると、なぜ、こう胸がちくちくと痛むのだろう。彼らを目にして、あの時代はもう帰ってこないと改めて意識させられてしまうからだろうか。


 そして、私が拓人といまだにつき合っていると聞いたときの真奈美ちゃんたちのリアクションを思いだして、ふと空しくなった。十九のみいちゃんは今の彼氏で四人目だと言っていたし、あの清純そうなのんちゃんも、三人目の彼氏と先日別れたそうな。


 私は損な人生を送ってはいないかと心配になってくる。恋をするのが嫌いとか苦手とかでもないはずなのに、拓人がいるので必然的に、恋に落ちるという行為から遠のいていかねばならない。ああ、その結果もう二十五歳になってしまった。なんかこれって、二十五年間彼氏がいないよりも寂しいことのような気がする。


「んなわきゃないです」

 直くんが、いつになく機嫌の悪そうな口調で言った。


「そう?」


「彼女がいないどころか、二十四年間女の子に見向きもされない僕の身にもなってください」直くんはちらちらと受付のほうに目を向けながら、こうべを垂れた。

「せっかく彼氏と別れたっていうのに、逆に意識しちゃって目を合わせることもできないんですよ。もう、こんな苦しい思いはしたくない。でも、好きなんだから仕方がない」


「さっさとコクればいいじゃないですかー」呆れたようにみいちゃんが言った。

「勇気がないのなら、私が代わりに言っておいてあげましょうか。のんちゃーん!」


「やめて! マジでやめて」


 そんなやりとりを見つめながら私は思った。想いっきり楽しそうじゃないか。


 仕事を終えた私は、自転車で二十分ほどかけて自宅マンションまで帰ってきた。車輪のちっちゃいオシャレな自転車で、通常の二倍ほど漕がなければならない。買ってから数日で普通のにしておけばよかった後悔した。


 私は大学卒業を機に一人暮らしをしているが、実家までたった二駅しか離れていない。若い子がそんな意味不明なことをする最大の理由は男遊びであり、私の場合も一応はそれが発端であった。


 浮気を前提としてではなく、拓人と別れるのを前提としていた。いや、もちろん別れるつもりはなかったのだが、ひょっとしたらそろそろ別れるかもしれないなと思っていたわけだ。


 で、別れていないので今に至っている。ただ最近ではちょっと考え方が変わってきて、この部屋に拓人を招きたいなと思っている。要するに同棲っていうか、結婚して一緒に暮らしたいなと思い始めている。


 なんだかんだで開き直ってはいるのだ。私には拓人しかいないのだし、彼とどう幸せになるかがこれからの人生のテーマである。その第一歩として、そろそろよいお言葉を彼からいただきたいなーと、それぐらい望んで何が悪い。。


 リビングのソファに座り込み、私は数年ぶりに〈今から会いたい〉というメールを拓人に送った。返信は五分後に、メールではなく電話できた。


「どうしたの、急に? 今日は無理だよ。お酒入っちゃってるもん」

 その言葉はまやかしでないらしく、上手く呂律が回っていない。


「お酒やめたんじゃなかったの?」

「失敗した。二月から再挑戦する」


「何それ」

 私は口を尖らせた。お酒と結婚費用と、どっちが大事なんだ。私もある程度貯金はあるから資金はなんとか……って、そういう問題ではない。彼の気持ちの問題である。


「今日バイトだったんでしょ?」そう話す拓人の背後から、おっちゃんの冷やかすような声が聞こえてくる。まだ飲んでいる最中らしい。

「バイトの日に会いたがるなんて珍しいじゃん。何か嫌なことでもあった? 相談なら電話でも乗れるしね」


 な、なんと!


 私は怒って、ぶちっと通話をきった。


 相談なら電話でも乗れる? いくら酔っているにせよ、その禁句を口にしてしまうとは! かの夏の夜の抗争を忘れてしまったのか!


〈ごめん、ごめん。明日、仕事終わったらすぐに会いにいくから〉


 直後に届いたフォローメールを寝転がって黙読しながら、明日もバイトであることを告げようかどうか私は迷った。でも、罰として内緒にしておくことにした。


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