第二章 新藤くん (5)
【アッキーの恋の軌跡】
やっぱり長過ぎたので、後日談は次週となってしまった。ではでは、気をとり直して参る。
それでも真奈美ちゃんグループに居座り続けた私は、もちろん拓人と交際を始めたなど誰にも言わずに上手く立ち回っていた。あの日の翌日、拓人への報復作戦を企てようとしていた真奈美ちゃんには「もうあいつとは関わりたくないから」とかなんとか言ってごまかし、それを阻止した。新藤菌ゲームについても、すでに飽き飽きしていたことも含め、あの日以来やらなくなった。
私と拓人は電話だけでの恋人関係だった。毎晩八時にどちらからか電話をかけ、学校でできなかった分、色々な話をするのだ。
私の話し口はいつも、「学校ではごめんね」だったのは言うまでもない。真奈美ちゃんたちの前では、どうしても拓人を貶す発言が飛びだしてしまう。だが彼は微塵も怒る気配を見せず、すぐに別の話題へ移ってくれるのであった。当時は「なんてまあ、優しい人なのだ」と感動していたが、あとに聞いた話では、はらわたが煮えくり返っていたそうだ。
そんな日々が一ヶ月ほど続き、確か期末試験が終わった直後だったと思う。時刻は朝のホームルーム前だ。もはや学校にくることのほうが少なくなっていた斉藤くんが、久々に登校してきて、私は彼の机の周りを真奈美ちゃんたちと一緒に囲んでいた。
とはいっても、私は斉藤くんとそれほど親しくはなく、彼の視界に入らない位置で、会話に相槌を打ったり、一緒に笑ったりしていただけであったが。
しかしまあ、不良というのはなぜかそれなりに容姿もかっこいい。斉藤くんも、彫の深い日本人離れした顔立ちをしており、がっちりとした体躯と相まってなかなかの男前に見えた。
「おお、本山じゃん。懐かしい」
いきなり斉藤くんが後ろを振り向いてそう言ったので、私は思わず身体を仰け反らせてしまった。
「こいつさ、昔はめちゃくちゃな奴だったんだぜ」私を指差しながら、斉藤くんは真奈美ちゃんに言った。
「女のくせに喧嘩っ早くて、岩見とか田代とかはこいつに泣かされたこともあるし」
「へえー。秋実、カッコいいじゃん」
かつての私の勇姿を知らない真奈美ちゃんが、尊敬のまなざしを向けてきた。ふむふむ、なかなか悪い気はしない。補足するなら、斉藤くんを泣かしたこともあったはずだが、それを明かすのはなんとなく自重する。
「なあ、もう一回あのときのキック、見せてみろよ」
「ええ?」突拍子もないリクエストを受け、私は困惑する。
「無理だよー。あれはまだ小学生だったから、あんなやんちゃなことができただけで……」
ぎこちなく笑いながら、私は手を横に振った。
「いいじゃん。ほら、あいつのこめかみにでも」
斉藤くんが指差した先を見て、私はぎょっとした。そこには、一番前の席に座って読書をしている拓人の後ろ姿があったのだ。
「いや、それは……」
「いいねー」小波ちゃんが言った。
「あきちゃん、あいつにあんなことされたんだから、今こそ仕返ししなきゃ」
「お? 何されたんだ?」
「いや、別に……」
私がそうはぐらかしたとき、女子の誰かが秋実コールを始めた。それに真奈美ちゃんが、斉藤くんが、小波ちゃんが追従し、あっという間にシュプレヒコールと化してしまった。
「秋実! 秋実!」
さすがに拓人も異常に気がついたらしく、こちらに顔を向けていた。だが、すぐに前を向き直してしまう。彼は学校での私たちのやりとりに、我関せずの態度を貫くのだ。
「ちょっと! 無理だってば!」私は叫んだ。
「もうすぐ先生もきちゃうからまずいよ! それにもう、足だって上がらないし……」
「ようし、分かった」
そう言って斉藤くんが立ち上がったのを機に、秋実コールがやんだ。
「本山の代わりに俺が見せてやる。伝説のライダーキックを」
「きゃあ!」真奈美ちゃんがかわいこぶって、胸の前で手を組み合わせる。
「見たい、見たい! やって、やって!」
私は動転した。ライダーキックじゃなくて延髄斬りのつもりなのだと、訂正している余裕はない。なんとかして斉藤くんをとめなければ、拓人が大変なことになってしまう。
斉藤くんがスタートのかまえを見せた。そして一歩足を踏みだした瞬間、私は彼の右腕にぴょんと飛びついたのだった。
「……なんだ?」
「いや……」さっぱり言い訳が思いつかなかったが、私は見きり発車で説得を開始した。
「ぼ、暴力はよくないと思う。それに斉藤くん、上履きはいたままだし……」
「お前がやってたことを再現するんだろうが」
「いや、上履きちゃんと脱いでたし……」
「知るか。そんなもん」
そう言い捨てて、斉藤くんは私を振り払った。それは肩をほんの少し揺すっただけの動作であったが、私は大きくバランスを崩してしまった。両手を振り回しながら片足でけんけんと跳ねて、やがてがたんと音を立て、机に衝突した。女子たちが短い悲鳴を上げる。
「いったー……」
強く打った腰を押さえながら、私は呻いた。
「何やってんだよ」斉藤くんが呆れ顔をしながら腕を組んだ。
「お前、随分とどん臭い女になっちまったな」
そのとき、私は恐ろしい光景を見た。
なんと、拓人がこちらへ駆け寄ってくるではないか!
まさか私が心配になり、いても立ってもいられなくなったのか。
まだ、誰も拓人には気がついていないようだ。今ならまだきっと、間に合うはず。
「あはは」と私は慌てて笑顔を作る。そして、ひりひり痛む腰を手でさすりながら、聞こえよがしに言った。
「ちょっと、びっくりしちゃっただけ。ちっとも痛くなんてないよー」
そうだよ! このとおり、私はぴんぴんしてるから大丈夫! みんなの前で親しそうな姿を見せちゃ駄目! おねがい拓人、私の熱いメッセージを読みとって! さあ、席へお戻り!
しかし、その願いは届かなかった。いや、もしくはより悪い影響を与えてしまったのかもしれなかった。拓人は私をちらっと見て安堵したような表情を見せるも、またすぐに顔を引きつらせた。彼の視線は真っ直ぐに斉藤くんの背中へ向いている。
いやいやいや、ちょっと待った! それはまずいって! それだけは勘弁して!
だが拓人は無情にも、かつての私の勇姿を思わせるような華麗なジャンプキックを、斉藤くんの背中に繰りだしてしまった。「おっ!?」と鈍い反応だけ見せた斉藤くんは、私と同じようにバランスを崩して前のめったまま教室後方まで移動し、最終的には掃除用具入れに、頭からがんと激突してしまった。
「はあ?」
頭を押さえて斉藤くんは振り返った。あまり痛そうにはしていないが、その顔は憎悪に歪んでいる。彼とともに、クラスの全員が仁王立ちする拓人を注目していた。
「おい、背中汚れてねえ?」
小波ちゃんに訊ねる。彼女は斉藤くんの背中をしげしげと見つめ、首を傾げながらも、蹴られたであろう場所をぱっぱと手で払ってやっていた。
私はおろおろと斉藤くん、拓人を交互に見やっていた。
頭をかすめるのは、よくニュースで取り沙汰されている中学生の非行事件である。ある学校では、生徒が教師をナイフで刺殺したなどという、信じられない事件が起きたらしい。
もはや、私と拓人の関係が周りに知られることについては、腹をくくっていた。このままでは拓人が殺されてしまう。どうやって斉藤くんの怒りを鎮めようかと、そればかり考えていた。
「今のうちによお」斉藤くんは抑揚のない口調で言った。それが逆に、迫力を助長させている。
「今のうちに謝ればよお、とりあえずは許してやってもいいぞ。ただし、土下座で謝れよな」
私は拓人を見つめた。頼むから謝ってくださいと、そう願いながら。
「謝らない」
拓人の一言に、私はがっくりとうな垂れた。
「あん?」
「悪いのはお前だ。俺が謝る必要はない」
そう強がりながらも、拓人の足は恐怖でがくがくと震えている。そんな彼の姿に、いつしか私はぼうっと見惚れてしまっていた。
あ、あれ? この人、本当にカッコいいんじゃないの?
いやいや、しっかりしなければ。この世の中、カッコだけで済まされないことが、おそらくたくさんあるのだ。きっとここは謝るのが正解なのである。だけど、そんなことを私から拓人に告げるわけにもいかない。でも、そうしなければ拓人は――。
「やばい」と真奈美ちゃんが斉藤くんに囁きかけた。
「先生きちゃったよ。こいつのことはあと回しにしよう」
斉藤くんは恨めしげに廊下を見やってから、また一度拓人に睨みを利かせた。そして、自らの怒りを抑えるように大きく息をつくと、そのまま自分の席へ戻ってしまった。
それを見た拓人も、無言で席へと帰っていく。私はというと、疲労感と安心感からその場に尻餅をつき、しくしくと涙していた。
「大丈夫? あきちゃん」
私を気にかけてくれる小波ちゃんの声色に、以前には見られなかったよそよそしさが含まれている。私と拓人の関係に、薄らと勘づいてしまったのかもしれない。私は彼女に手を引かれ、なんとか立ち上がることができた。
「あのさあ。あんた、あんまり新藤に優しくしたら駄目だよ」そう言ったのは真奈美ちゃんだ。
「あんたが優しくするから、あいつ、つけ上がるんだよ。今から一緒に言いにいこう? 『ウゼえんだよ!』、『勘違いしてんじゃねえよ!』って」
「ち、違うの。真奈美ちゃん……」
私はぐずぐずと鼻を啜りながら言った。
「違うって何が?」
「つき合ってるの。私と新藤くん」
「え……? ええ!?」
涙で視界が塞がれていたが、真奈美ちゃんが驚愕の表情を浮かべているのは想像に難くなかった。
というわけで、私と拓人は晴れて公認のカップルとなった。その代償として真奈美ちゃんとの友情は途ぎれたが、彼女が夏休みに髪の毛を金に染めたのをきっかけに、小波ちゃんも真奈美ちゃんグループを脱し、彼女との友情は続くことになった。
ちなみに斉藤くんは、私と拓人がつき合っていると知るや否や、冷めてしまったようで、拓人に報復せぬまま二度と学校にこなくなった。彼とはそれきりだが、極道を突き進んでいないのを祈るばかりである。
長くなったが、中学時代で語るべき恋の軌跡は以上だ。中学三年のときにファーストキスも済ませているのだが、それは私が拓人の家に遊びにいったときに「キスしていい?」と訊ね、「いいよ」と答えたのでキスしたという、なんの面白味もないエピソードなので割愛対象である。
ううむ。思えばここまで、男性リスナーたちの待ち望むお色気エピソードがまったく登場していないではないか。初潮の話を詳しくしたほうがいいだろうか。あの日は小雨が降っていて……やっぱり、グロいのでやめておこう。
まあ、でも安心してほしい。次回は高校時代編なので、それなりにお色気エピソードもある。ただし、これからは恋愛の対象がずっと拓人なので、きっと飽きてしまうぞと予告しておこう。
第二章 新藤くん 完