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第二章 新藤くん (2)

 基本的に部活動は強制参加だったため、放課後というのは部活動終わりの六時頃からのことを差す。私たちは十五分前に部活動をきり上げ、昇降口の脇でこっそりと新藤くんを待っていた。十人もいるので、まったくもってこっそりしてはいないが。


「新藤って囲碁部だっけ?」

「美術部だって聞いたような気がする。なつきと一緒だ」


「ねえ、やっぱりまずいんじゃない?」この期に及んで、私はまた真奈美ちゃんに泣きついていた。

「先生に言いつけられたらどうする? 私たち、親呼ばれちゃうんじゃないの?」


「げっ」小波ちゃんが眉をひそめた。

「あきちゃんってば、私たちの名前だすつもりなんだ。ひどーい」


「ださないけど……」

 私はしゅんとした。


「安心しなってば」真奈美ちゃんが私の肩をぽんぽんと叩いた。

「新藤って、変なプライド持ってそうじゃん。だからさ、自分が女子にひどい仕打ちを受けたなんて、絶対誰にも言わないと思うよ」


「そうかもしれないけど……」


 やはり、もう逃げられないようである。覚悟を決めるしかない。、


「きた」


 誰かが囁き声で言った。一斉にそちらに目を向けると、本当に新藤くんが、かばんとサブバッグを持って廊下を歩いてきていた。新藤くんも私たちに気がつき、一瞬だけうんざりとした顔をするも、すぐに視線をそらして下駄箱へ歩を進めたのであった。


「ほら、あきちゃん」小波ちゃんが耳もとで囁く。

「今なら誰も見てないから、チャンスだよ」


「わ、分かってる」

 そう答えながらも、身体が動いてくれない。緊張で足が震えっぱなしである。もう何度深呼吸をしたことか。


 何が私をそんなに緊張させるのかと問われれば、それは恐怖だと答える以外にない。新藤くんを拒絶する恐怖=新藤くんに拒絶される恐怖。相手はいくら凶悪な新藤くんだとはいえ、他人から拒絶されるのを望む人間なんていない。


 そう意識してしまうと、なんだかやりきれなくなる。他人を思いやっているようで、結局私は自分さえよければそれで満足な奴なのだ。


 同時に少し気が楽になった。こんな最低な女。もっと最低になっちまえ!


「新藤くん!」


 新藤くんは上履きを下駄箱にしまい、外履きを手に、たたきへ向かっているところであった。私の声に反応し、彼は歩みをとめて後ろを振り返る。


「何?」

 その目は相変わらず冷えきっていた。


「ちょっと、話があるんだけど……」

「何?」


 次の言葉が口から出てこず、私は助けを求めるように真奈美ちゃんたちを見た。彼女たちは明らかに楽しんでいるようすで、身を寄せ合ってくすくすと笑っていた。


「いや……その」私は赤面し、うつむいた。そして、上目づかいで新藤くんを見た。

「ちょっと新藤くんに話があってね」


「それは聞いた。だから、何?」

 新藤くんは苛立ちを隠せないようすで、頭をぼりぼりとかきむしった。


「私、新藤くんのことがね……」私は身体をもじもじさせながら、勇気を振り絞って言った。

「す、す、す、好き……なの」


 言ってしまった! ついに言ってしまった! 頬を紅潮させて、上目づかいで身体をもじもじさせて、図らずも新藤くんのことが好きな演技までする形となってしまった。


 さあ、もう後戻りはできない。この日から私と新藤くんは、全日と新日のように、永遠にいがみ合う間柄となったのだ。それが私の選んだ道なのだから、迷わずいくさ。涙混じりに聞いた猪木の引退スピーチを頭に思い浮かべながら、私は新藤くんの返答を待った。


「で?」

「え……?」


 むむ、そうか。「好きだ」と言っただけでは、まだ告白を成し遂げたことにはならないのか。


「まあ、だから」私は先人たちが作り上げてきた告白の教科書をぱらぱらとめくり、続きの台詞を構築していった。

「あの、その……私とつき合ってください!」


 そう書いてあった。


 そして、新藤くんは臆することもなく、あっさりとこう答えたのだ。

「うん、いいよ」


「え?」私は新藤くんを凝視した。

「いいって……どういう意味?」


「つき合ってもいいよ」 


 二人のあいだを流れる時間が、数秒間停止した。それとは裏腹に、私の思考回路は高速で運転し始めた。ただし、速いだけで何一つ成果を上げてはくれず、意識は無情にも現実へ押し戻されていく。


 何を言いだすの、この人?


 私は訝しげに新藤くんを見つめた。彼は先ほどと変わらず、冷めた目つきで私を睨みつけている。


 また、真奈美ちゃんたちに助けを求める。こっそりとはしていないが位置は離れているので、こちらで何が起こったか分からずに不思議そうにしている。やがて真奈美ちゃんに命を受けたらしく、小波ちゃんがすり足でこちらへ走り寄ってきた。


「あきちゃん、どうしたの?」

 襟もとをぱたぱたしながら、彼女は尋ねてきた。


「いや」私は小波ちゃんと新藤くんの顔を順に見比べた。

「つき合ってもいいんだって、新藤くん」


 それを聞いた途端、小波ちゃんはぷっと吹きだし、手で口もとを覆った。


「うそ! マジ受ける!」まるでこの世のものじゃない珍獣を見るような目つきで、彼女は新藤くんを見た。

「あんた、マジで言ってんの!? つーか、あきちゃんが本気であんたに告白なんかするわけないじゃん!」


 新藤くんは小波ちゃんを無視していた。その空ろなまなざしは、いまだに私だけをとらえ続けていた。


 かなり楽しそうな小波ちゃんだが、私はちっとも楽しくなんてなかった。これは小学五年生のときの長山くんと同じパターンだと思った。


 あのときは長山くんから告白してきたわけだが、今回も本質は似通っている。なぜなら、新藤くんにしてみても、私の告白など嘘っぱちだということが分かりきっているからだ。その上で交際を承諾するのだから、それはつまり彼から告白してきたのと同じ。


 いやいや、違うだろう。その考え方は矛盾している。だって、あのとき私は本当に長山くんにときめいてしまったわけで、今回は正直いって――。


 困ったものだ。私は自分に告白してきた相手にときめいてしまう習性を持っているらしい。そのべたついた髪の毛は、なんだか最先端のヘアースタイルに見えてきた。その細長い垂れ目は、いつもにこにこしているようで可愛らしいと思えてきた。少し色黒な肌は、健康的な海の男を連想させられるようになってきた。なんで彼を凶悪だと思っていたのか、すっかり忘れてしまった。


 要するに長山くんのときと同じように、私は結局新藤くんにときめいてしまったわけである。


「何? どうしたの?」

「ああ、真奈美ちゃん。こいつさあ……」


 真奈美ちゃんに続いて他の女子たちも次々と寄ってくる。それどころか、下校時間のピークになり、多くの生徒が私たちの横を通り過ぎていく。そんな環境など一切考慮せず、私と新藤くんはじっと睨み合っていた。


 あの屈辱、決して忘れてはならない。ここで私が譲歩してしまった途端、おそらく新藤くんは手の平を返したように私を蔑む言葉を連発するのだろう。


 ならば、私はどうするべきかといよいよ考えがまとまり始めていたとき、誰かがやかましい声を上げた。


「ありえない、ありえない!」大笑いしながら、真奈美ちゃんは手を叩いていた。

「ちょっと、秋実!? あんた、なんで黙ってんのよ! さっさと本当のこと言ってあげないと、新藤が本気にしちゃうでしょ!」


「あきちゃんって、けっこう意地悪なんだなー」


 私は彼女たちに頷いてみせた。新藤くんにときめいてしまった反面、怒りを覚えているのも確かなのだ。またしても、私の純粋な乙女心を踏みにじろうとする輩が現れるとは。


 そう、やはり彼は凶悪なのだ。勧・善・懲・悪! 悪は正義が懲らしめてやらねばなるまい!


 私はすうっと大きく息を吸い、新藤くんを指差した。

「私があんたのことなんて好きになるわけないでしょ! ただの罰ゲームだから! 勘違いしないでくれる!?」


 同時に真奈美ちゃんたちが爆笑する。私も達成感から笑いがこみ上げてき、一緒になって笑った。ついに私は悪を倒したのだ。なんて愉快なのだろう。あっはっは。


 次の瞬間だ。私は右手に熱を覚え、ひっと息を呑んだ。ごとっと音を立てて床に転がったのは、我が校指定の外履きではないか。


 おそるおそる新藤くんを見る。すると、彼は私を睨みつけたまま、ぜえぜえと肩で息をしていたのであった。手に持っていた靴がなく、彼が私に靴を投げつけたのだということが、すぐに分かった。


 じんじんと痛む右手を宙に投げだし、私はきょとんと新藤くんを見つめていた。やがて彼は身を翻し、靴下のまま外へ出ていってしまった。


「ふざけんな、てめえ! 喧嘩売ってんのか!」

「うわー、最悪―! ちゃんとあきちゃんに謝りなさいよー!」


 真奈美ちゃんたちの怒号が、新藤くんの背中にぶつけられる。


「大丈夫、秋実ちゃん」

「怪我しなかった?」


 他の子たちに囲まれ、案じられながらも、私は依然として遠ざかっていく新藤くんの背中を目で追っていた。


 帰り道、真奈美ちゃんが新藤くんの外履きを川へ捨てた。小波ちゃんたちと一緒に、笑いながらそのさまを見ていた私だったが、すでにそのときには、「あの靴を弁償するには、いくらぐらいかかるだろうか」と頭の中で計算を始めていた。


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