(三)
――今上帝第一皇子、安積親王殺害未遂。ならびに、今上帝第二皇女、桜花内親王誘拐未遂。
そして。
――十四年前の桐壺更衣、暗殺。
それが、あの侍たちと、その主たる首謀者に与えられた罪状だった。
十四年前。
桜花内親王を産み参らせた桐壺更衣。
生まれたのが内親王だったから良かったものの、また男子誕生となったら、皇統がそちらに流れてしまう。生まれたのが内親王だったからと安心することはできない。あれだけご寵愛をいただいてるのだから、また子を産む可能性がある。
安積さまだけでも厄介なのに、もう一人皇子が生まれたら。
そう危惧した首謀者、先の左大臣は、安積さまもろとも亡き者にしようと毒殺を仕組んだけれど、亡くなったのは母更衣さまだけで、安積さまは助かった。
ならばもう一度毒を盛るだけ。でも、すぐに弑しては疑われてしまう。
代わりに、安積さまが東宮にふさわしくないと喧伝してまわった。
帝の唯一の男児だけれど、卑しい妾腹の息子だ。母親は寵愛をいただいていたが、後ろ盾に乏しい。女であっても中宮腹の異母姉のほうが東宮にふさわしいと。
そして、その権力のままに、孫娘を立太子させた。
帝が政に無関心であらせあれたのも、敵を増長させた一因かもしれない。政だけじゃない、安積さまにも桜花さまにも関心を寄せられなかった帝。
でも。
(それが大間違いだったのよね~)
そりゃあ確かに、更衣さまが亡くなられた時は、抜け殻のようになっていらっしゃったようだけど。その後は違う。
――私は主上の密命を受けていたんですよ。
そう言ったのは中将さま。
帝から命じられたのは、安積さま桜花さまをお守りすることと、先の左大臣の罪を暴くこと。
更衣さまのときのように、帝が安積さまたちを大事になさると、また暗殺を企まれるかもしれない。だから帝は、関心がないふりをして、息子たちから距離を取った。政にも興味がないふりをして、左大臣の好きなようにさせて、次にどう動くか泳がせていた。
その水面下で、着々と証拠を集めた。
桐壺更衣を弑し、安積さまも桜花さまも殺す。権力のゴリ押しで女東宮を立てた。すべては自分の権力の永続を願ってやったこと。
――醜いですよね。出家しても我執は消えなかったようです。
――無理やり権力で縛りつけ結んだ輪は、いづれ弾けてしまうというのに。過去の先例に学ぶことを知らない、愚かな人です。
父親を語ってるっていうのに。中将さまの目はどこまでも冷めたままだった。
先の左大臣の罪が明るみに出たことで、宮中は大混乱となった。
まず、女東宮はその御位から下ろされ、ただの女一の宮、梅香内親王になった。
その母君である中宮さまは、落飾され尼となった。
先の左大臣の長男である権大納言さまは、父親の陰謀を知らず無罪ではあったけれど、このまま左大臣になるわけにはいかないと、次の除目での昇進を断られた。まあ、数年もすれば、左大臣になるのかもしれないけど。左大臣家全体に罰が重くないのは、罪を暴いたのが左大臣家の末弟、近衛中将だったからだと思う。
(もしかして、他の罪ない人まで処罰しなくてすむように、中将さまを使ったのかな?)
そう勘ぐってたら、全然違う答えが起きた。
梅香内親王さま、ご降嫁。近衛中将さまの妻になる!
だもん。
あれは、ビックリした。
そりゃあ、叔父姪で結婚してもおかしくないけどさ。だからって、近衛中将さまの妻に梅香さま? なんで?
――私はね、いつか彼女を妻にしたいって思ってたんですよ。
だから、中将さまは帝の密命を受けたんだって。先の左大臣の罪を暴けば、女東宮が廃嫡される。それを狙ってたんだって。
あんなキッツそうな宮さまを? って思ったけど、鬼女が怖いから宿直をしろって中将さまに命じるぐらいだし。もしかしたら、宮さまも中将さまのことを想っていらしたのかもしれない。素直じゃないけど。
で。
首謀者である先の左大臣は、本来なら斬首がふさわしいんだけど、すでに僧形となってること、高齢であることを憂慮して、隠岐に流されることが決定した。
ま、いろいろ胸糞悪くなるようなことをいっぱい企んだんだから、そこでしっかり反省してなさいっての。無理に脱出しようとして、鰐に食べられないようにってことだけは祈ってあげるわ。
空位となった東宮位。
そこには、安積さまが立つこととなった。
安積さまは、式部卿ではなく、東宮として内裏の梨壺でお暮らしになる。
梨壺は桜花さまの桐壺とも近い。これからはお二人とも、兄妹仲良く暮らしていける。
* * * *
(はあ……)
簀子の縁に出て、ゴロンと転がる。
桐壺の北の庇。
誰かに見咎められたら、ものすんごく叱られるんだろうけど、今は誰もいないから、存分にゴロゴロ。
だってねえ。
(空がキレイだなあ)
庇のむこうに見える空はいかにも「夏!」って感じの青さで。繁る桐の葉は、「緑!」で。ちょっと眩しいけど、渡ってくる風は心地よくって。
(平和だなあ)
って思う。
先日のお堂での戦いとかを思えば、これぐらいのノンビリは許されるでしょ。
(室も整え直したし)
今日は、木幡で匿われてた桜花さまがお戻りになる日。
桐壺全体を掃除したのは掃司の雑仕たちだけど、そっから先、道具類を元に戻したのはわたし。あっちでもないこっちでもないと、道具と一緒に戻ってきた先輩方に指図されまくってなんとか整えた。
その先輩も今は桜花さまに従って、清涼殿に行ってる。
桜花さまと安積さま。
お二人は、梨壺桐壺に戻る前に、(女房はいるけど)親子で水入らずの時間を過ごされてる。帝が、どうしてもお二人とお話しをしたいって仰られて。特別に清涼殿にお呼び寄せになった。
(何をお話しされてるのかなあ)
桜花さまがお生まれになって以来、ずっと疎遠になっていた親子。いっぱい喋っていっぱい笑って、幸せな時間を過ごされてたらいいんだけど。
アッフ……。
明るい日陰となった庇。
風が心地よくって思わずアクビをしてしまう。
(秋が近いなあ……)
ここに来た時は、まだ「これから夏!」って感じだったのに。今は夜に秋の虫の音が聞こえるぐらいになってきた。まだまだ夏なんだけど、夕暮れにもなれば、日差しに黄色味が増して、秋を感じさせる空気になる。
(それだけの時間が過ぎたんだ)
美濃を出て、ここに来て。
孤太を追いかけたせいで、降りられなくなったコハクを助けるために、木を蹴っ飛ばして。それを安積さまに見られて。
圧し折っちゃった扇の代わりを贈られて。添えられた歌にムッとしたり。
初めての宇治旅行。
箏の琴の演奏とか、川で石切りして遊んだこととか。思い出したくない誘拐事件とか。
桜花さまの、胸がキュンキュンするような、恋のお話も聴いた。
(怒涛の夏だったなあ)
思い返せば、そんなに長い時間でもないのに、一生分のハラハラドキドキを体験したように思う。多分、絶対一生忘れられない夏。
このまま秋になって冬を迎える頃には、いろんなことが落ち着いて、なんでもない日常に戻っていくんだろうけど。
ファ~ア……。
(わたしはこの先どうするのかな……)
強力で、桜花さまを守らなきゃいけないってこともなさそうだし。
美濃に帰るのか。それともここで女房勤めを続けるのか。
(どうしようかなあ)
トロンとしてきた思考では答えは出せない。
重い瞼のワガママを受け入れて、そのまま眠りに落ちていく。
(ま、なんとでもなるでしょ)
なんて思いながら。