(一)
ヒッ、ヒグッ、ヒッ、グズッ……。
肩を揺らし、しゃくり上げても治まらない嗚咽。ボロボロこぼれ続ける涙は、グイグイと乱暴に袖で拭いとる。
グズッ、ヒック、ウェッ……。
泣いたってどうしようもない。泣いたところでどうにもならない。
わかってる。わかってるけど。
ウェェェン……。
泣くしかない。泣きたいのよ。赤ちゃんみたいに声を上げて、涙と鼻水で顔をベッタベタにしたって、泣きたいのよ。
拭きすぎたせいで頬が痛くなっても、小袖が冷たくなっても、とにかくなんでもいいから大泣きしたいの。
ウッ、ウェッ、ウェェェンッ!
三条の屋敷から逃げ出して、適当に入り込んだボロ屋。クモの巣と埃と隙間と。とにかく汚くて、普段ならこんなとこ一瞬たりとも居たくないけど、今は、こんな誰も近づかないような所がいい。
だって、なんにも気にせずに大声で泣けるもん。
奥に、埃とクモの巣かかった仏像みたいなのが立ってるけど。御仏ぐらいしか聞いてないのなら、好都合ってもんよ。慰めに近づいてくるなんてこともないし。腹の底から、胸の内から泣くことができる。
ヒッ、ヒグッ、ヒッ、グズッ……。
わかってた。
本当はどこかで、利用されてるのかもってわかってた。
安積さまのような方が、わたしを相手にするわけないって。
琴もダメ、歌もダメ。機転の効いた受け答えもできない。容姿だって十人並み、もしかしたら千人並みか万人並み。ブスではないと思うけど、だからって、ひときわ美しく寵愛をいただけるような顔をしてないことは確か。
羽振りのいい受領の娘ってだけで、後はなんにもからっきしだし。女房としても至らない所だらけ。
平凡極まりないんだから、どこかのうだつの上がらない公達にでも見初められたら「御の字」なのに。それを安積さまに関わったせいで、どこか勘違いし始めてた。
まるで小さなウズラが、鷹と一緒に飛ぼうとしてたみたいな。おだてられて飛んでみたけれど、それは鷹に狩られるために跳んでいただけのような。そんな滑稽な姿。
(バカみたい……)
自分の身の丈を知っていれば、ウズラらしく草原にうずくまって、鷹の飛翔に憧れたり、一緒に飛んだりしなかったのに。鷹の翼と自分の翼は、全然違うんだってことぐらい気づけたのに。
(美濃に帰りたい……)
もうこんな所にいたくない。
美濃に帰って、以前みたいにいっぱい遊んで楽しく暮らしたい。父さまも母さまも、最初は驚かれるだろうけど、でも「おかえり」って言ってくれるに違いない。「大変だったね」、「怖かったね」って。
(――――っ!)
ギュッと濡れた袖を握りしめる。
桜花さまを連れて逃げた時。
あの時は無我夢中で必死だったけど。本当は泣きたいほど怖かった。逃げ出したいほど怖かった。
強力があるから平気なんて思ったことはない。強力なんだから頑張らなきゃって思っただけ。
思い返すだけでも体が震える。もう二度とあんな目に遭いたくない。力を当てにして、護衛を任されるだなんて。そのためにずっと遊ばれて踊らされてたなんて。
(美濃に帰ろう)
そもそもわたしが内裏で女房を務めるなんて、無理な話だったのよ。わたしは、美濃で夏は川で、冬は雪で遊んでいるのが一番いいの。風流なんて知らなくていい。
泣きすぎて、目がシパシパのハレハレ。でも、思いっきり泣いたから、心はスッキリ。
(そうだ、孤太にも謝らなくっちゃ)
泣きすぎて重くなった体を、ヨイセッと立ち上がらせる。美濃に帰るなら、孤太を連れて行かなきゃ。
(悪いこと言っちゃったな……)
――アンタなんて助けなきゃよかった!
ヒドい八つ当たりだ。
強力を授けたことに責任感じて、ここまでついてきてくれてるってのに。
あわてんぼうだけど、孤太は何も悪くない。悪いのは、簡単に騙されるわたしの方。
(ちゃんと謝らなくっちゃ)
許してもらえるかどうかわかんないけど、でもきちんと謝らなくては。
衣についた埃を払う。気をゆるめたらまた涙がこぼれそうだけど、思いっきり鼻をすすることでそれを回避。
(でも、どうやって謝ろう)
孤太はおそらくまだ、三条の安積さまのお屋敷にいる。
安積さまにお会いするのは、わたしの心が無理だから、孤太にだけ会って話しがしたいんだけど。
(というか、ここ、ドコ?)
薄暗い、仏様の像があるから多分お堂。
お屋敷から飛び出してメチャクチャに走って跳んでをくり返したから、ここが都のどの辺りなのかわかんないし、どこをどう行けば三条に戻れるのかわかんない。
(誰かに訊く?)
自分の姿を見下ろす。
埃で薄汚れてることもそうなんだけど、袿に裳に下げ髪なんていう女房姿の女が、「ここはいったいどこでしょう」って尋ねても、怪しまれるだけだよね。ズルズル袿や裳を引きずりながら、町を歩く女房はいない。
ここに来る時は夢中で泣いてたから気にしてなかったけど、あんなに飛んだり跳ねたりしてたんだから、まさか、もしかして、またあんな噂ができちゃってたり――?
(うわぁぁぁ……)
どうしよう。もしそうなら、「都にいたくない」から出ていくんじゃなくて、「都にいられなくなった」から出ていくことになりそう。
鬼女って噂を立てられる前に、コッソリ出ていかなくっちゃ――。
「見つけたぞ、狐憑きっ!」
バアンッと乱暴に開かれたお堂の扉 (だったもの)。勢い良すぎて扉がぶっ壊れ、黄色い昼の日差しがさし込む。ズカズカと入ってきたのは、刀を手にした侍たちと、その真ん中に立つ陰陽師――って。
(対応、迅速すぎっ!)
噂から捕縛まで、速すぎない? ん? 〝狐憑き〟?
今、わたしのこと、狐憑きって言った?
驚くわたしに、陰陽師がニヤッと笑った。
* * * *
「宮さん、急げ!」
僕と真成。それぞれが駆る馬を先導するように走る小舎人童が叫んだ。
「菫野が、見つかっちまった!」
「菫野が?」
誰に?
「グゥ……ッ!」
それまでいくら馬を駆けさせても追いつかなかった小舎人童が、足を緩め、そのまま胸を押さえて地に膝をつく。しかめた顔には、脂汗がにじむ。
「チクショ……。アイツら、菫野のことに気づきやがった」
ゼイゼイと苦しそうな息の下から、吐き出された言葉。
「このままじゃ、菫野が、あぶない」
「菫野が?」
どうしてそれがわかる? 問いかけるつもりはない。
「真成、彼を頼む!」
「ハッ!」
「菫野は……、このまま真っ直ぐ行った、先に、いる。そこで、おん、みょーじに、捕われ、てるっ」
真成に抱き起こされた小舎人童。その震える指先に彼女がいる。
「菫野っ!」
迷ってる暇はない。ガッと馬の腹を蹴り、その指し示された方へと駆け出した。




