(一)
「ではこれを、桜花のもとに。頼むぞ」
「はっ、必ずや」
わたしたちが桐壺から持ち出した桜花さまの道具。そのなかから、「これは絶対必要だよなあ」ってやつが厳選され、荷として預けられる。
預けたのは、安積さま。そしてそれを届けるように指示されたのは、あの帯刀。
――桜花さまは、三条の安積さまの屋敷にいらっしゃる。
――宇治の帰り道、具合が悪くなった桜花さまは、兄宮の屋敷で養生なさってる。
全部ウソ。
桜花さまは今、帯刀の実家、安積さまの乳母の家にいる。
――我が家は古くから、武によって皇をお守りしてきた一族。必ずや桜花さまをお守りいたします。
そう言って、桜花さまの身柄の安全を請け負ってくれた。
――頼む。
安積さまも、信頼なさっているのだろう。帯刀を連絡役に、桜花さまを木幡に置いて、都に戻られた。
桜花さまを連れて戻られなかったのは、宮中であっても、ご自身の屋敷であっても、桜花さまの安全が確保できないから。
桜花さまを攫おうとした首謀者もその目的もわからないのだから、別の場所で守ってもらった方がいい。鬼女じゃないけど、どこに敵が現れるかわからないから、あえてウソの情報を公言した。
「すまないね、菫野。こんなことに巻き込んで」
桜花さまが三条の屋敷にいるとした以上、ここに誰も女房がいないのはおかしい。先輩方は「宇治の疲れが出たので退下」ということにして、それぞれの家に帰した。実際、桜花さまが攫われて、命婦さまとか、ぶっ倒れちゃったし。けど、せめてもの女房、それも桜花さまのお気に入り(ということになってる)わたしがここにいることで、桜花さまがいらっしゃるように装えるからと、わたしだけは三条に連れてこられた。
わたしも先輩方のように家に帰してやれないことを、安積さまは気にしていらっしゃるんだろうけど。
「いえ。わたしなら大丈夫ですので、お気遣いなく」
わたしにできることであれば、なんだってやってやるわよって気分。
あの愛らしい桜花さまを、妹思いの安積さまを困らせるような連中、私がとっ捕まえて、ぶちのめしてやるわよ。フン!
桜花さま目的でここに忍び込んでくるなら、わたしが返り討ちにしてやるっての! かかってきなさい、フンフンフン!
(というかさ)
首謀者と、その理由を見つけないと、桜花さまはいつまでたっても都に帰れないのよね。
あんな事件があったんだもん。内裏だって安心安全とは限らないし、油断はできない。敵が次にどんな手を使ってくるかわかんない。用心することはいいことだけど、そのせいで、桜花さまはずっと木幡にいなきゃいけなくなる。
そうなると、いくらぶっ倒れた先輩方であっても「どうなってるの?」ってざわつくだろうし。あの女東宮さまにいたっては、「安積が甘やかすから!」「早く帰ってきなさい!」って怒り出すだろうし。
それに、それに、それにぃぃぃっ!
(わたしも見たいのよ! 桜花さまも恋模様!)
今もこうして荷を運んでいった帯刀と、あの木幡の屋敷でどんなやり取りをするのか、すっごく気になる。
「ありがとう、帯刀。アナタも大変だったでしょう。ここで休んでお行きなさい」とかなんとかおっしゃって。「いえ。それがしは……」って遠慮した帯刀に、「命令よ。兄さまたちの様子を聞きたいの、お願い」とか哀願されるの。
「では……」とか言って、近くに寄った帯刀。大変なときなのに、好きな人にそばにいてもらって、幸せを感じてる自分を、少しだけ罪深く思っていらっしゃる桜花さま。この事件が解決してしまえば、また内親王と帯刀に戻ってしまう。御簾越しに会うしかない、ううん。御簾越しですら顔を合わせることのない関係になってしまう。だから今だけ。今だけは、ともに過ごせる幸せを大事にしたい――って。
(キャーッ! 見たい! 見たいわ、そういうのっ!)
ときめく。絶対ときめく!
あの帯刀、無愛想だし無口だけど、顔は悪くなかったし。可憐で愛らしい桜花さまとなら、お似合いかもしれない。なんて素敵なの。
わたし、絶対邪魔しないから、コッソリそばで見ていたい! 全身全霊応援するから、その仲良くなっていくさまを、コッソリ覗き見させてえっ!
「菫野?」
「あ、いえ、なんでもございません」
妄想トキメキで胸いっぱいだったなんて、口が裂けても言えません。
「ここにいる間、自由にしていてくれて構わないけど――」
「大丈夫です! ちゃんと桜花さまがいらっしゃるように振る舞いますから!」
ドンッと胸を叩く。
桜花さまは、屋敷の奥の御簾の向こうのむこうの、そのまた向こうの奥深~く座していらっしゃるって設定。具合悪く休んでいらっしゃるので誰にも会わないし、誰の目にも触れずに寝込んでいらっしゃる。運ばれた食事は、わたしが全部平らげて、夜になれば、それっぽく明りを灯す。うん、そのへんは、ちゃんと心得てますよ。密偵が忍び込んだって、「あ、あそこにいるんだな」って思わせてやりますよ。
「いや、そういうのじゃなくて……」
ポリポリと頬を掻く安積さま。――――? ナニ?
「せっかくだから、僕が想い人を屋敷に入れたって噂が立ったらいいなって思ったんだけど」
「想い人?」
ダレソレ? この屋敷にいるのは古参の女房(少々)と、わたしと孤太ぐらいだけど――って、え?
それって、まさか、もしかして、もしかしなくても、あの……。
目をまん丸にして、自分を指さしてみる。
「そうだよ。きみが誰かに見られて、そういう噂が立ってもいいなって」
「うええええええっ!?」
わっ、わたしがっ!? お、おももも、想い人っ!?
「ハハッ。それは冗談として」
あ、冗談なんですか。
それはなんというのか、ホッとしたというのか、ガッカリしたというのか。――ガッカリ? え? なんで?
「僕が出かけてる間は、この屋敷の人が減る。もちろん、侍など警固の者は置いていくけれど、それでも敵が忍び込みやすい状況になるのは間違いない。だから、危険を感じた時は――」
「大丈夫です! わたし、生まれ持ったこの力がありますから!」
悪漢ぐらい、のしてやりますよ! ムン!
「勇ましいね。でもダメだよ」
力こぶを作った腕を、やんわり止められた。
「きみに何があったら、僕が無事でいられなくなる。危険を感じたら、見破られても構わないから、自分を大事にしてほしい」
「え、あ……、はい」
というか、なんでそんなにジッとわたしを見てくるの? そんなギュッとわたしの手を握って。なんか。なんか妙に顔が熱いっていうか、心臓バクバク、頭クラクラしてくるんだけど。――風邪でもひいたかな。
「あの、出かけるって?」
とにかく手を離してほしくて、話題を変える。
「内裏に出仕しないとね。今夜は内裏で管弦の宴があるんだ。父帝の無聊をお慰めするためにね」
へえ。
宇治で聴いた安積さまの琵琶は、とても素晴らしかったし。管弦の宴となれば、安積さまの参加は必須よね。帝だって、自慢の息子の演奏をお聞きになりたいだろうし。
「――支度、手伝ってくれるかい?」
「はい。喜んで」
そういうのって、女房の仕事の一環だし。そもそもこの屋敷って、お仕えする者が少ないから、わたしであってもお手伝いしなくちゃ。
昼に内裏に参内するのと、夜の管弦の宴に参内するのではお衣装が違う。夜は、あくまで宴、でも帝の御前なので、ゆったりしてても、どこかカチッとした要素が必要になる。
袍に袙に、指貫袴。髪を整え、烏帽子を被り直す。単の衣は、ちゃんと香を焚きしめたもの。
「こうして支度を手伝ってもらってると、まるで恋人か夫婦者みたいだね」
へ?
「冗談だよ」
最後に蝙蝠を持って、完璧な姿になった安積さま。
「当たり前です!」
でなきゃ、お仕えする女房全員が妻になってしまいます!
「ハハハッ。じゃあ、行ってくるよ」
上機嫌で、牛車に乗り込んでいく――けど。
お願いだから。そういうからかいは、いい加減に止めてくださいってば!




