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筋肉乙女は恋がしたい! ~平安「強力」恋絵巻~  作者: 若松だんご
三、美濃の強力娘、宇治の荘にて琴を爪弾くの語
14/35

(四)

 信じられなかった。

 というか、誰か今のこの状況を説明してちょうだい。

 なにが、どうして、こうなった?


 箏の琴を目の前にして座る、わたし。

 右の指に小さな竹爪をつけて、左の手は弦に軽く添える。

 十三本の絹糸でできた絃。

 一の絃、二の絃と始まって、最後は(きん)の絃。一番手前で、一番音が高い。


 「指は優しく。無理に弾こうとしないで」


 弾き初めと終わりは、同じ手の形。鶏の足に似た形だから「鶏足」。爪をつけてない指を真っ直ぐに立てて次を待つ。

 閑掻(しずがき)小爪(こづめ)、また閑掻(しずがき)。同じことをくり返すことで、曲となっていく。

 早掻(はやがき)(れん)は、わたしの技量じゃまだまだだから、基本の二つだけをやる。もちろん、左の指で絃を震わせる取由(とりゆ)なんてのは、手練の方向けの奏法だから、カッコよくても、やっちゃいけない。

 って、そういう箏の琴の弾き方どうこうじゃないのよ!


 「そう。いいよ、うん」


 箏を弾くわたし。

 指南してくださる安積さまが、寄り添ってくださる。それも後ろから! ピッタリと! わたしの手に手を添えてぇぇぇぇっ!

 まるで、後ろから抱きしめられる寸前みたいな? 覆いかぶさられる寸前みたいな?


 「焦らないで。ゆっくりでいいから、くり返すんだ」


 じゃないですうぅぅっ!

 

 安積さまが話すたびに、声が耳に触れ、その振動が背中から伝わって。

 わたし、ぜんっぜん琴を弾くどころじゃないんですけどっ!?

 涼しいはずの泉殿で一人、汗、ダッラダラ。走ってもないのに、心臓、バックバク。

 安積さまが、ちょっと動くたびに、焚きしめた荷葉(かよう)のいい香りがして……。


 あー、ダメッ! どれだけ教えてもらっても、まったく頭に入ってこない!


 テン、ト、テ、シャン……。テン、ト、テ、シャン……。


 もうそれだけをくり返す。馬鹿みたいにくり返す。

 自分で弾いてた、ベベベ、ボ、ボボンよりマシだけど、だからって、だからってこの状況はぁっ!


 「――少し、一人で弾いてみようか」


 黙々と、弾くことだけに全集中してたわたしから、安積さまが身を引かれた。立ち上がると琴の向かい側、距離を置くように、泉殿の端へと向かわれる。

 それだけで、気持ちが落ち着くというか、離れたことでちょっと背中が寂しいというか――って、「寂しい」ってなに? これが普通じゃないの?


 テン、ト、テ、ベビョン……。

 

 あ。


 「落ち着いて」


 勾欄にもたれて座る安積さまが笑う。

 なんか、わたしの動揺なんて全部お見通しのようで、恥ずかしいやら腹立つやら。

 同じく泉殿の入り口でかしこまったフリしてる孤太。全然かしこまってなくて、「クフッ」と、こらえきれなかった笑いの息を吐き出した。その隣に控えている帯刀は全然、顔色一つ変えてないっていうのにさ。

 

 テン、ト、テ、シャン……。テン、ト、テ、シャン……。


 っていけない、いけない。余計なことを考えながら弾いたらダメ。箏のことだけ全集中。

 

 (にしても……)


 少しだけ絃から目を離して安積さまを見る。

 桜花さまによく似たお顔立ちの安積さま。明るすぎる月の光が、青い陰影をその端正な顔に浮かび上がらせる。

 月の光は不吉だと言うけれど、光に照らされる安積さまは、とってもお美しいと思う。在中将とか、光る君ってこんな感じなのかなあ。女なら、いや、女じゃなくても放っておけない美しさっていうのか、そういうの。はかなげ、繊細、物憂げ……、ええーい。的確な言葉が出てこない。

 っていけない、いけない。琴に集中、しゅうちゅ――。


 ビィィン……。


 「――――ッ!」


 「菫野!」

 「美濃どの!」


 孤太と安積さま。二人が驚き声を上げる。

 はじけた絃。その反動で右手の指先が切れた。わずかながらに血が滲み始める。


 「大丈夫かっ!?」


 先に駆け寄ってきたのは安積さま。切れたわたしの指先を見て、軽く眉根を寄せられ――えっ!?


 チュッ……。


 切れた指先に、ご自身の唇を当てた安積さま。そのまま、軽く血を吸われ……って、え? ええええっ!?

 わたしの怪我を? 安積さまがっ!? ちちち、チュッて――!

 

 「美濃どのっ!?」


 グラッときた体。フワッと飛んでく意識。


 「しっかりしろ!」


 後ろから支えてくれたのは、孤太。

 でも、ごめん。

 もう限界。

 さよなら意識。体は任せた。


*     *     *     *


 「なあ、宮さんよ」


 気を失った彼女を支えた小舎人童が言った。


 「コイツをからかうのはいいけどさ、あんまりやりすぎないでやってくれよな。内裏にいる他の女房と違ってさ、そういうのに慣れてねえんだよ」


 少し怒ったような顔。


 「きみは、彼女の乳姉弟か何かか?」


 まだまだ幼そうな顔立ちの少年。彼女の乳姉弟というには、少々若すぎる気もするが。


 「まあ、そんなもんだよ。それより、コイツで遊ぶのは程々にしてやってくれ。面白いのはわかるけどさ」


 「それは――悪かった」


 からかい半分に箏を教えた。そのことに間違いはないのだから、ここは素直に謝る。

 その謝罪に対して、少年は何も示さず、彼女をヨイセッと抱え上げると、泉殿から歩き出した。


 (強力は、美濃の者特有の技なのか?)


 年若の少年が、彼女を抱え上げるとは。

 驚きとともに見送る。


 「……いい主従だと思わないか、真成」


 ずっと控えたままの真成に声をかける。

 乳姉弟というよりは、守護者のようなその後姿。少々乱暴な気はするが、自分に食ってかかってくるあたり、彼女を大事に思っていることは間違いないのだろう。


 「真っ直ぐで、淀むこともなければ、裏表もない。桜花のそばにふさわしい人物だよ、彼女は」


 勾欄に背を預け、泉殿の屋根越しの空を見上げる。


 ――母を恋い慕う妹のために、母に縁のある者として、出仕してくれないか。


 そう、美濃の受領に打診したのは自分だ。

 受領の妻は、かつて亡き母に仕える女房だった。その縁で、同じように娘を出仕させてくれないか。年の近い娘なら、妹の孤独も癒やされるだろう。

 だがそれは表向きの理由。


 ――美濃の強力姫。


 受領の娘、菫野が、そう呼ばれていたことは知っていた。洪水で流されてきた巨石をいとも簡単に砕いただとか、青竹を片手で圧し折ったとか。男であれば相撲人(すまいひと)として名を馳せたであろうにと、惜しがられてるという噂。

 そんな彼女なら、妹を守ってくれるのではないか。

 元服し、官位を得た自分は、以前のように宮中で暮らすことは難しい。臣籍降下したわけではないが、一定のけじめをつけないと、梅壺や弘徽殿(こきでん)、先の左大臣あたりがうるさくなる。

 だから、宮中を去らねばならない自分の代わりに妹を守ることを、彼女に願った。

 しかし。


 ――強力の醜女だったらどうする?


 その不安もあった。

 強力なだけの粗野な女だったら? 優しさの欠片もない女だったら?

 妹を任せてもいい相手なのか、どうか。信じるに足る人物なのかどうか。

 だから、ちょっとからかって、本性を確かめたりしたのだが。


 ――まさか、あそこまで初心だったとは。


 強力に見合わぬ純真さ。

 試したこちらが、悪の化身のように思えてくる。

 人を誑かし、陥れる。

 試さずにいられない自分は、自分が最も嫌う世界に、いつの間にかドップリ浸かってしまってるのだと痛感する。

 妹を、大切な妹を守ることだけに固執した鬼。そのためなら、どんな手段も辞さない覚悟。


 「あおぎ待つ 涼しの風は 吹きぬれど 手たゆくならす 乙女笑みせじ――か」


 自分が贈った歌への返歌。

 空を仰いで待って、涼しい風は吹いたとしても、手が疲れるほど扇で風を送る乙女は笑って差し上げなくてよ。からかわれて、怒ってるんですからね!

 技巧も何もなく、あまりいい歌だとは言い難い。けれど、プンプンと怒ってる彼女の顔は容易に想像できる。それと、必死に悩み抜いて歌をひねり出したであろう姿も。


 「月が――キレイだな」


 どこまでも淀むことのない、清浄な月の光。


 「月の光を浴びることは不吉でございます」


 「……そうだな」


 真成のかしこまった物言いに、軽く笑って身を起こす。

 彼女が信頼に足る人物だったとして。それだけですべてが解決するわけじゃない。

 安心はできない。この先も。


 「真成。酒を用意しておいてくれないか」


 今夜は、少し眠れそうにない。

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