猛襲
「あっ、待て!」
「逃がすか!」
「あの家族を追うなよ! 行かせてやれ!」
我に返った迅と玖狛が口々に言葉を発して一家を追おうとしたのを見て俺は叫んだが、俺には二人を止めることもできない。本当に俺は口だけだと、自分の不甲斐なさを呪っていると、繭が二人の前に立ち塞がって、行く手を阻んだ。
「繭!」
「なんのつもりだ?」
「獅子の命は絶対だ」
迅と玖狛が繭を睨んで詰問するが、繭は怯んだ様子もなく無表情で言い放った。
「牙将より爪に従うってのかよ!」
「そうじゃない。だが、爪も獅子であることは紛れもない事実だ」
「止めろ!」
迅と繭が睨み合い、まさに一発即発の中、俺にはそれさえも止められなかったが、牙将が地獄の底から響き渡ってくるような怨嗟の声で、簡単に制止した。
「そうだよなぁ。獅子の命じゃ逆らえねぇよなぁ? 繭。それが例え、半端モンだとしても!
悪かったぜ。司令塔が二つもあるから混乱させちまうんだ。一つになりゃあいいんだろう?
今、一つにしてやるぜ。この裏切者を殺してよぉ!!」
殺気しかない悪意に満ちた眼光で俺を射抜いて、牙将は嬉々として咆哮を上げた。
俺は体が竦んで動けない。蛇に睨まれたカエルとはこのことだ。
何もできないままに俺の体は宙に舞っていた。蹴られたと悟った頃には背後に巨木が迫っている。あれに頭でも打てば即死だろう。だが、牙将はそんなに甘くなかった。
「ぐわっ!」
肩だけが勢い良く巨木に激突して痛みに俺は声を上げた。その目の前に牙将が迫る。
「おいおい、人間の薄汚ねぇ血の混ざったお前が、一丁前に獅子気取りか?」
受け身も取れずに空中で惨めに回転する俺の頭を掴んで、そのまま隣の木に打ち付けた。
頭の中に何かが軋む音が響いて、痛いのか苦しいのかそれさえ分からない。
「しかも、なんか言ってたなぁ? 兄……だぁ!? ふざけんなよ!」
筋肉が抉れるほどに、力任せで顔を木の幹に押し付けた手を離すと、体に力が入らず、崩れ落ちる俺の腹に強烈な蹴撃を打ち込んだ。
木の幹が、俺の体越しに牙将の蹴りを受け止め、間に挟まれた俺の体は衝撃を逃がすことができずにすべてが体内を駆け巡り、内臓までもプレスされたようなダメージを負った。
「ゴホッ、アハァッ……、ウッ! ゴホッ、ゲホッ……」
木の幹に埋められるほどの威力で蹴られ、背中で樹皮を剥ぎながら咳き込みながら、木の幹を伝ってその場にずり落ちた。もう痛みさえ感じなかった。それどころか、恐怖も掟を破った罪悪感も、一家を逃がせた達成感さえ沸いてこず、ただただ、眠くなっってきた。
「あ~、あ~……。てめぇが邪魔したから、一夜一家に逃げられちまったぜ。
獅子族に従ってペナルティを負わされるなんて、こいつらにとっちゃあ災難だよな?
そのペナルティを食らわせねぇために、てめぇはここで死ね!」
牙将の声が段々と遠くなっていく、瞳が霞んで姿もぼやけて見えなくなっていく。
牙将が足を振り上げ、俺を踏みつけようと振り下ろしてきた。
「止めなさい! 牙」
聞き覚えのある、棲んだ、良く通る女性の声が辺りに響き渡り、遠ざかって行く意識の中で、白いワンピース姿の背中を見たような気がした。
「……う……。そ……う……、しっか……」
牙将に踏みつけることはなく、代わりに柔らかくて温かく、良い香りのする誰かに強く抱き締められているのを感じた。
涙を流して、俺に意識を取り戻させようと必死で呼びかけてくれている。
笑いかけることも、答えることもできないまま、俺の目の前を黒い何かが広がっていく。
意識が闇に飲まれる寸前で俺は一つだけ思った。
大丈夫。泣かないで、姉さん……と。