兄弟
「もっ、もういいだろう! 手を一本なくしたんだぞ! 代償としては十分じゃないか!
集落に戻っても、も……、もう戦えない! い……行かせてやろう……!」
俺は振り返って牙将を見据えていった。怒りを隠そうともせずに向けてくる瞳は鬼のように鋭く、目を合わせているだけで全身から冷たい汗が吹き出してくる。
体が震えて歯がうまく噛み合わず、ガチガチとぶつかり合って音が鳴る。激しく動悸がして息が切れ、うまく呼吸もできずに喋ることさえままならない。
あまりの恐怖に目から涙まで溢れ出してきたが、ここで目を逸らしたら一夜を守れない。
俺は一夜とその家族を守りたい一心で、必死に牙将に抗議した。
「てめえは実感が薄いだろうが、集落で生まれた以上死ぬまで一族に尽くすのが掟だぁ! そいつらはそれを破って逃げ出しやがったんだぞ! 見逃せるわけねぇだろう!
俺が、長たる獅子族の名の下に制裁を下してやる!」
「俺だって獅子族だぞ! しかもお前の兄貴だ! 弟なら言うことくらい聞けよ!」
そう、俺と牙将は兄弟だ。だが、獣人化もできない俺を牙将は認めたくないらしい。
「ああ!?」
俺がそれを口にした途端、牙将が憎々しそうに睨んだ。我が弟ながら恐ろしい顔だ。
これまで俺は兄だなんて牙将に言ったことがなかった。牙将は俺との血縁さえ否定しているし、なにより、何一つとして牙将に適わない俺にそれを名乗る資格はない。
その俺が兄として命令をしたことに面食らったのか、牙将は動きを止めた。
「二人を離せ、獅子の命令だぞ!」
チャンスは今しかないと、玖狛と迅に向けて叫んだ。二人は俺に従ったというよりは、やはり落ちこぼれの俺がエリートの牙将を怒鳴ったのことに衝撃を受けたのか、面食らっていて一夜の家族をすんなりと離した。
「逃げて! 早く!」
俺が声を掛けると、一夜は我に返って腕を押さえたまま立ち上がった。
「だけど、このままじゃあおまえが……」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう! 今は家族を守ることだけを考えろ!」
一夜が今後の俺の身を案じて声を掛けてきたが、俺はそれを一喝した。このまま全員が捕まったら俺が何のためにこんな怖い思いをしているのか分からない。
「すまない。一生恩に着る!」
一夜は俺にそういい残すと、家族を促して共に山を下っていった。