守護獣
二体の獣人が、低い声を発して互いを威嚇し合いながら睨みあう。
「殺しはしない。だが、お前から仕掛けてきた戦いだ。怪我しても恨むなよ」
「ハッ! てめぇこそ、王たる獅子に背いた罪、存分に償わせてやるぜ!」
先に仕掛けたのは一夜だった。プロレスラーよりも大きな拳で牙将に殴りかかる。
牙将は体を仰け反らせて拳の軌道から身を逸らすと、しなやかな動きで下から蹴りを放って一夜の顎を強打した。その蹴撃で顎の骨が砕ける鈍い音が響き渡った。
「へっ、力だけの薄らバカが! そんな攻撃が俺に当たると思ってんのかぁ?」
得意になって嘲笑った牙将だったが、その笑みが次の瞬間消えた。顎の骨を砕かれた一夜が捨て身で牙将に掴み掛かり、首に腕を回してヘッドロックを決めたのだ。
「生憎と体だけは無駄に頑丈なんでな。あの程度ではビクともしない。悪いがこのまま落とさせてもらうぞ。抵抗はするなよ? 首の骨をへし折ってしまうかも知れないからな」
力では幾ら獅子でも牛には適わないだろう。今は動揺して動かないが、他の三人が冷静になって参戦する前に牙将だけでも気絶させるつもりなのだ。
俺自身は一夜の授業を受けてはいないが、いつもは温和で冗談も通じる気のいい人だ。
こんな風に声を荒らげることも、力をひけらかすこともない。
その一夜が暴力を振るうなど、家族のために死に物狂いになっているのが見て取れた。
「ぐぅぅう~! てめぇ……。畜生……」
牙将は両手で一夜の腕を掴んで離させようとしているが、さすがに力では一夜には適わない。
このまま勝負が決まると誰もが思ったとき、牙将が一際激しく吼えた。
「ぐぅうわぁああああああああ!!」
叫びと共に周囲の空気が震えると、大気の中に獅子族しか見ることのできない、姿なき獣が宿って一夜の腕を噛み千切った。一夜の奥さんと娘の悲鳴が響き渡る。
「あれは守護獣! ダメだ! 止めろ! 牙将!!」
守護獣とは獅子族を守護する、命の尽きた獣たちの意思の集合体だ。
獅子族が絶対的な力と権力を誇るのは、代々この守護獣を従えているためである。
「なにが……!?」
何が起きたのか理解できずに、勢い余って尻餅を着き、腕を失って驚愕する一夜に守護獣が襲い掛かろうとしたが、俺が飛び出して一夜の盾になると守護獣は四散した。
「大丈夫?」
俺は持ってきたガーゼを傷口に当て、縄で一夜の腕をきつく縛って止血を始めた。
「爪……」
一夜は俺を見上げると、申し訳なさそうな顔をして視線を逸らした。
「あぁん!? なんのつもりだぁ! 裏切り者を逃がそうってんじゃねぇだろうな!?」
俺が一夜を庇ったのが面白くなかったらしく、牙将が獣が唸るように低い声で恫喝しながら、ゆっくりと近付いてきた。その声だけで全身の毛が逆立つほどの恐怖が駆け抜け、草や土を踏み締めながら近付いてくるたびに、体から血の気が引いていくのを感じた。