教師と生徒
今の牙将は獲物を捕らえた肉食獣だ。敵とみなしたものは迷わず噛み殺すだろう。
あの一家の命が危ない。俺も慌てて繭の元へ急いだ。
集落に来てどんどん野生が覚醒していると言っても、俺では体力面で他の四人に劣る。
俺が着いたときにはすでに三人の親子は地面に座らされて、四人に囲まれていた。
奥さんが子供を守るように抱き締め、さらにその二人を一夜が守るように背後に隠して、牙将と向き合っている。
「俺はどうなってもいい! 頼む。妻と娘だけは見逃してくれ!」
家族の長である男、一夜が牙将に向けて懇願するが、牙将は苛々して睨み返している。
「ああん? 寝惚けたことを言ってんじゃねぇ! 一族の掟を分かってて逃げ出したんだろうが! どうしても逃げてぇんだったら俺たちを殺していくことだなぁ!」
牙将は殺人者のように凶悪な笑みを浮かべると、ゆっくりと一夜に近付いていく。
「あっ、あなた!」
「やぁ! 離して!」
一夜が牙将と話している隙を着いて、規則を重んじる真面目を絵に書いたような少年、玖狛が奥さんを、小さい頃から牙将と一緒に悪さばかりをしていた気の荒い少年、迅が娘を取り押さえていた。
「お前ら、二人を離せ!」
三十代の青年が怒号を上げて、自分の家族を守ろうと二人に飛び掛った。
「おい! 無視してんじゃねぇぞ!」
だが、背後から駆け寄った牙将が、その脇腹に容赦のない蹴撃を打ち込み、一夜は低い呻きを上げると、脇腹を押さえて蹲った。
「あなた!」「パパ!」
奥さんと娘が必死で駆け寄ろうとするが、二人の少年に抑えられて近づけない。
「ぐぅ! お前たち……。子供の頃から面倒見てきてやった私に!」
一夜は集落では教師のようなことをやっている。今集落に住む十代は、たいがい彼の教育を受けている。かつての教師に暴力を振るう牙将と、自分の生徒に殴られる一夜。
二人の心境は複雑だろう。
俺はどうにか戦いを止めさせて、一夜一家を逃がすことはできないか方法を模索した。
「妙なことを考えるなよ。お前も同罪になるぞ」
俺の心意を読んだのか、繭が鋭く釘を刺してきた。同じ年とは思えないほどに沈着冷静な少年だ。繭の言うことは最もだ。だけど、このままでは一夜一家は惨い目に合わされる。
どうにか救うことはできないかと、思考を巡らせてしまう。
「教師が、掟を破ってんじゃねぇよ!」
牙将は怒りを露にして声を張り上げると、一夜の顔面に向けて体重を乗せた襲撃を放ったが、蹴りつけた牙将のほうが瞳を見開いた。一夜が腕で蹴りを受け止めたのだ。
「お前たちを殺していけばいいんだな? 教え子を手に掛けるのは心苦しいが、俺には他のなにに変えても守らなければならないものがある!」
一夜の全身の筋肉が膨れ上がって太くなっていき、体毛が濃くなって覆っていく。頭上から角が飛び出し、瞳が獰猛な野獣に変わると、ミノタウロスのような牛の獣人になった。
そう、俺たちの集落は獣人の隠れ家であり、一夜はその中でも力の強い、牛の獣人なのだ。
「なんだぁ、やる気かぁ!? おもしれぇ! 俺に勝てたら見逃してやらぁ!」
牙将も獰猛な獣の瞳になって口の端が裂けるほどに凶悪な笑みを浮かべ、一夜同様に体中の筋肉が膨れ上がって全身を硬い体毛が覆い、獅子の獣人へと変貌を遂げた。