逃亡者
追いつけない。もうあの親子はかなり下山しているはずだ。もうこの近くにはいない。
いないはずだ。なのに、なんでこんなにあの親子の匂いが強くなっていくのだろう。
(いないよな……)
俺は勘違いだと信じながら、匂いを辿って進んでいく。
匂いは洞穴の中から漂ってくる。いないことを願いながら奥へ進んでいくと、熊が冬眠に使っていたような結構深い洞穴の奥に、三十代の夫婦と、まだ十歳にも満たない少女がいた。
「そう……」
集落では割と仲の良かった一家の旦那、一夜が縋るような瞳で俺を見つめてきた。
俺は見つけたことに後悔にも似た感情が芽生えて、奥歯を噛み締めた。
「まだこんなところにいたの! 逃げるなら匂いが残らないように川沿いを! 早く!」
娘は疲れてしまったのか眠っている。だが、そんなことを気にしている猶予はない。
今、一家は追っ手に追いつかれたのだ。
今から逃げるのは至難の業だろう。それでも逃げられるのなら逃げればいい。一度逃げてしまった以上、捕まったら惨い目に合わされ、その後、集落中から白い目を向けられながら生きていかなければならないからだ。
「爪、見逃してくれるのか?」
一夜が目に涙を溜めて問い掛けてきた。逃亡者を見逃せば、俺もただでは済まないのを知っているからだ。
「争いのない世界で生きていけるならその方がいい。それだけだよ」
「済まない。感謝する」
一夜は眠る娘を背負うと、妻と一緒に洞穴を出て行った。後は捕まらないのを祈るばかりだ。
妻は一度足を止めると嗚咽を洩らしながら、深く頭を下げていった。
本当は他の追跡者に見つからないように護衛をしてあげたいが、そんなことを牙将に知られたら俺も同様に酷い目に合わされてしまう。申し訳ないが、どうにか自分たちで逃げ延びてもらうしかない。
特に俺はある理由で牙将に目をつけられている。できればこれ以上感情を逆撫でしたくない。
「いたぞ」
それから一家を探す振りをして辺りを徘徊していると、追っ手の一人、繭の淡々とした声が聞こえてきた。普段から感情の起伏が乏しく、必要最小限にしか口を開かない少年だ。
「よぉし、捕まえておけ!」
牙将の獰猛な野獣のような声が続いて聞こえ、そのまま障害となるものを打ち砕きながら繭の元に向かっているのを、破砕する木々の音が報せてくる。