木蓮屋敷 17
山口先生が辞めさせられたその頃、わたしにも綾さまの縁談の話が漏れ聞こえてきた。
鎌倉でも綾さまはずっと、いつまでも嫁になど行かずに鎌倉で暮らしたいなどということを繰り返していた。
縁談、嫁入りをけして喜んでいないことは確かだった。
その事もこの頃の綾さまの憂鬱の種だったのだと思う。
憂鬱なのは綾さまだけではなかった。
わたしは綾さまの話し相手、勉強のつきそいのような立場でここに連れてこられただけなのだ。
嫁にいってしまわれればわたしはこの家では用無しだ。
わたしだけじゃない。この家の使用人のほとんどが暇を出されてしまうだろう。
みんなどうなってしまうのだろうか。
わたしはあの長屋に帰ってまた辛い暮らしをするのだろうか。
戻れるだろうか。一度こんな家で暮らすという贅沢を味わったというのに。
鎌倉の別荘で過ごす夏、綺麗な着物、見たこともないような歌留多に双六、そして豊富な本や雑誌、比べ物にならないほど恵まれた朝夕の食事を味わったのに、そして、今までけして得ることができなかったものを見いだせたのに、今更放り出されて、わたしは生きていけるのだろうか。
綾さまとわたしは同い年なのに、育ちが違うことで、持つものも辿ってきた道もこれから辿る道もまるで違う。
わたしは言わば、運良く恵まれた育ちの綾さまのお溢れに預かっただけ。
でもわたしのような貧しい恵まれない家のものがこんな幸運にあずかった時、この贅沢な生活を手放すことはどれだけ辛いか誰かわかるだろうか。
そう、たしかにわたしはこれをいつか失うことはわかっていた。
とはいえ、間近に迫ってくるのを感じると、その日が怖くてしかたなかった。
本当に手放さなければいけないのだろうか。
そうではない選択肢があるとすれば、それは許されることなのだろうか。