仮想世界と触手皇女
・中東を中心に生活していた
・電人になった時の記憶はない
・気が付いたら仮想世界らしき場所に飛ばされていた
以上3点がタマニアから得られた情報だ。断片的かつ正確な時間が分からないため、あてにならない。
彼女を育てていたと思われる兄に関しても、行方を探すのは送り主と大して難易度は変わらないだろう。
情報化社会とは言えプライバシーが保護された個人を特定するのは難しい。三花は探偵でも警察でもないのだ。
「どったの三花? めちゃくちゃ眠そうだネ?」
八方塞がりの状況をどうにかしようとしたが、考えても考えてもいいアイデアが出てこない。
結果一睡もしないままコネクターに接続して、仮想世界の学校にログインすることとなった。
「ちょっと野良猫を拾ってね、飼い猫っぽいんだけど一人で帰れないみたいで、どうにかしておうちに返してあげられないかなって考えてて」
「なるほどなるほど。それならこっちから探すより、向こうに見つけてもらえばいいんじゃない?」
ミンハイが手をかざすと、空間にウィンドウが現れる。ミンハイのSNSのアカウント画面で、フォロワー数は1万と少し程度。
彼女の言いたい事はつまり、猫を保護していることを情報発信して飼い主側から見つけてもらうように誘導しろということだ。
「拡散希望ならアタシの垢を貸すヨ。まぁ三花の”サブ垢”の方が効率がいいと思うけどさ」
「な、何のことかな?」
下手なごまかしをフォローするかのように授業開始のベルが鳴る。教壇にスーツ姿の人物が転移したと同時に騒がしかった教室が無音になる。授業中に設定されている「私語の絶対禁止」だ。
「14年前、私たちの生活は一人の暗殺者によって大きな変革を迎えることとなりました。皆さんもよく知る『シニューニャ・アイン暗殺事件』です」
1限目の現代社会。担当の佐藤善次郎は宙に浮かぶアイコンを弄りながら流暢に授業を進める。
「皆さんもよく知っていると思います。日々接続している【ザ・ワールド】システム、それに【電人】の創設者でもあるシニューニャ・アインがスポンサーたちとの立食会の最中に公開暗殺された事件です。暗殺者は未だ逮捕されていませんが、一般的にはこの事件の目的は殺人ウイルス【殺害物質】のデモンストレーションだったとされています。張明海さん、何故だかわかりますか?」
「殺害物質が天誅事件の日に世界中でフリーソフトとしてリリースされたからですネ」
お団子ヘアーの少女、ミンハイがそつのない回答をする。中国系の移民だが、話す言葉は日本語だ。もっとも自動翻訳に対応したザ・ワールドで、どこの言葉を話そうが大した変わりはないのだが。
今日の授業はそこまで難しい内容ではない。この時代の人間なら飽き飽きするほど見たネットニュースの見出しが中空に映し出される。
暴走したAIでも、地球を侵略する未知の生命体でもなく、純粋に人が人を殺した仮想世界最初の事件。
「そうです。仮想世界で人を殺せるという破格の性能。それともう殺害物質には殺人に有利な利点があります。遅れてきた桜雪さん、わかりますか?」
「はい。え、えーっと、とても軽くて使いやすかったからです!」
三花の大雑把すぎる回答に、教室内で少しの笑いが起きる。
早々当てられるのは別に構わないけれど、一般常識レベルの問題でトンチンカンな回答をしてしまったのは単純に三花の注意力散漫が招いた結果だ。
佐藤は苦笑いを浮かべる。
「随分と大雑把な説明ですね……まぁ、その通りです。殺害物質は個人で扱えるレベルの処理能力しか必要とせず、証拠もほとんど残らない。それなのに〝アバターに突き刺すだけ〟という非常に手軽な方法で人を死に至らしめる。そんな〝武器〟がフリーソフトとして出回ってしまったことで仮想世界は国境を越えて大混乱に見舞われました」
説明そのものは淡々とした口調だが、殺害物質問題はいまだ深く根付いている問題だ。
もしも「死体の残らない殺人が包丁一本程度のコストでできるようになったらどうする?」と問われたとき、大抵の人は人殺しなんてしないと答えるだろう。三花はそう答える。
だが百人が百人そんな理性的な判断が出来るのならば、世界から殺人や戦争はなくならない。
ブラック企業の経営者、暴力組織の構成員、浮気性の間男、嫉妬や羨望を集めた芸能人、いじめの被害者加害者。
表向きには使用禁止令が出ていたものの、実際はそういった人々が文字通りの凶刃に倒れていった。そこからドミノ倒しのように復讐の連鎖が始まり、多くの人々が仮想世界の中で脳死したという。
「既に世界中に広まってしまった殺害物質の拡散を防ぐことのできなかった当時の政府は、対策プログラムの開発に着手しました。ですがこれも完全なものではなく、一時的にウイルスの侵攻を抑える程度のものです。代わりに政府は殺害物質によって武装した警察組織を組織することで、殺人への抑止力を作ろうとしました。これがVR軍隊の起源です」
一通りの概要の説明を終えると、佐藤が虚空にコマンドを打ち込むような動作をする。赤い光の玉が集まるような独特のエフェクトが発生し、手の中に一振りの剣が現れた。
そりのない刀身の片刃の剣。日本刀が大陸に渡ったことで生まれた独特の刀を佐藤は倭刀と呼んでいた。
「では、どうやって仮想世界の中で人を殺すか少し実演してみましょう。えい」
佐藤は逆手に持った倭刀で自分の腹を突き刺した。
出血と内臓の代わりに真紅の光の粒が傷口から零れ、細身の長身がくの字に折れ曲がる。
時代劇で見た切腹を思わせる、酸鼻で壮絶な光景がポリゴンで出来た教室を支配する。顔が苦悶に歪み、腹筋の損壊によってバランスを崩して地に倒れ込む。
と、見せかけて佐藤はケロッとした顔で両手を広げて自分の無事を証明した。刺さった剣を引き抜くと、時間が戻ったように腹部の傷が治る。
「なーんちゃって。勿論自殺も可能ですが、基本的には武器を通して直接回線をつなぎ、殺害物質を流し込まない限り殺人はできません」
それを見た生徒たちがまるでサーカスでも見ているかのように「わかっていたよそんな事」と笑う。
腹を刺されたら致命傷な三花にとってはブラックすぎるジョークだが、周囲には「ナイスハラキリー!」「ブシドー、ブラボー!」なんて歓声を上げている人もいる。
……いや、これは電人と人間の違いじゃなくてお国の文化の違いか。
「殺害物質が世界中で広まったことで、VR空間での殺人を抑止するための戦闘員の育成を求める声が強まりました。旧USAの体制を引き継いだ南アメリカ共和国。日本・オセアニア・東南アジアなどの島国によって構成された西太平洋諸島同盟。第三次大戦中盤に建国されヨーロッパ・アフリカ大陸を統治しているグルガルダ帝国。この三国は競い合うように人材育成を始めました。ですがそれは殺人兵器を持った軍の拡張を意味し、人と人との殺し合いに過ぎなかった殺害物質問題を国同士の戦争というスケールに拡張してしまったのです」
(……戦争かぁ。仮想世界の中で戦争なんて、本当に起こるのかな?)
約50年前に終戦した第三次世界大戦。
当時の人口の半分以上を殺し、ユーラシアや北アメリカのほとんどの大地を人の暮らすことのできない死の世界に変えて、その挙句に資源が尽きて戦争継続が不可能になったという理由で終わった人類史の汚点。
そこまでしてやっと終わらせた戦争が、今度は舞台を変えて行われようとしている。
実感の湧かない想像をしていると、授業終了の鐘の音がなった。
「今日はここまでです。皆さんはこれから殺害物質を手にして戦うことになるでしょうし、私は立場上それを推奨することしか出来ません。……ですが、出来ることなら使わないことを祈っていますよ。ではレライエ君、よろしくお願いします」
日直の号令とともに授業が終了する。
通信制の学校だから直接対面の授業など要らない、という批判の声もあるがIVAは仮想世界を使った対面式で授業を行う。
なんでも200年前のウイルス騒ぎでオンデマンド式を採用した結果、集団生活が出来ない学生が急増したからだそうだ。だから多少効率の悪さとリスクを覚悟の上で“学校”は今まで形をほとんど変えずに仮想世界でも生き残っている。
「ミンハイ、ありがとう。助かったよ」
「いいってことヨ。でもあんまり授業でバカやると懲罰マップ行きになっちまうかモ?」
「うげ。っていうか懲罰マップって本当にあるの?」
懲罰マップというのはIVAの生徒の中で流れている一つのウワサだ。
仮想世界であるザ・ワールドではいくら殴っても蹴っても刺しても殺害物質を使わない限りは死なないし怪我もしない。
それを利用して素行の悪い生徒に苦痛を伴う行為を行わせたり、処理能力を奪ったりすることのできる設備が用意されているのではないかということだ。苦痛に耐性の無い電人には拷問はよく効く刑罰らしい。
とはいえウワサはウワサ。三花もミンハイもそこがどこにあるのか、本当にあるのかさえ知らない。
「アルよー、アルアル。他にも『学生のフリをしたスパイ』とか『女子生徒を襲う謎の触手』とか『世界征服をもくろむ秘密結社』とかイロイロ」
「ラインナップが過激すぎる!」
「まぁIVAは代理戦争の場所なんて言われる曰く付きの学校だからネ、そんなウワサの一つや二つ……」
何かを言いかけたところでミンハイの動きが急に止まった。バグによるフリーズか、それとも通信エラーによって断線したかと思ったけど、どうやら違うらしい。
ミンハイは一つの教室マップを凝視していた。予備教室と言われているけれど、実際はほとんど使われることの無いクラス。うすぼんやりと見える硝子の向こう側には、なにやら蛸のような触手の影が激しく蠢いている。
「う、噂をすれば何とやら……?」
「どうする? 入ってみる?」
「このパーティ女子生徒しかいないんだけど!」
面白半分で教室に入ると、中には巨大な蛸とその触手に絡まれて吊るされている一人の女子生徒がいた。
部屋中に充満する生臭さに、ぬるぬるした粘液によって光る机と椅子。そして艶めかしい少女の喘ぎ声。学び舎の象徴たる学校にいけない店を合成したようなインモラルな光景に、ミンハイは思わず言葉を零した。
「30分何ドルコース?」
「そういう店じゃないよここは!」
黄昏に染まる教室の中に存在する触手という名の怪異。
その矛先は女子生徒から目撃者へと変わり、人間の太ももほどある太い筋肉の塊を教室の入り口へと差し向ける。電子データにもかかわらず無駄に生々しく滑らかな動きに、そろってお腹がむずむずするような生理的嫌悪感を抱く。
「なんかこっち狙ってるヨ! どうするのミカ!」
「知らないよ!」
「とりあえず攻撃ダ! やったれ勇者!」
即座に背後に隠れた卑怯な親友を守るため、三花は手を前にかざす。桜色の光とともに現れるのは一振りの日本刀。
殺害物質の毒さえ流し込めば人さえ殺せる危険な刃。
それを抜き、迫り来る触手に向かって振り抜いた。触手は先端の三分の一を両断され、後方へと飛んでいく。
それを明確な攻撃行為と断定した蛸のような生き物は、さらに多くの触手を差し向けてくる。しかし、陸上だからなのか大した速度ではない。
一本一本を躱しながら、触手が伸び切ったところを横から輪切りにして本体へと近づく。幸いなことに触手は切断されても再生が遅い。そして残る戦力を傾けるより、間合いを詰めるほうが圧倒的に速い。
────────獲った!
必殺の確信を持ち、触手のほとんどを両断されてほぼ無防備になった胴体めがけて三花は刀を振り下ろす。
「待ちなさい!」
振り下ろされた刃は一本の剣によって止められた。その持ち主は今まで触手に襲われていた女子生徒。
胸に刻まれた角のある鯨のエムブレムと金色の飾緒。銀河のように光り輝くパールホワイトの長髪と端正な顔立ちの西洋的な美貌は、ハリウッド女優の華やかさと少女のあどけなさが同居したような煌びやかさがある。
中世ヨーロッパを意識した帝国生徒用の学生服のデザインと手にした銀色の騎士剣も相まって、高貴な女騎士といった印象を抱かせる。しかし、彼女の身分は騎士どころかそのはるか上と言っていいもの。
「も、申し訳ございません、アーデルハイト殿下!」
アーデルハイト・フォン・グルガルタ。
帝国の第四皇女こそが、今三花が刃を交えている人物だ。
この状況を他人に見られたりでもすれば不敬罪にあたってもおかしくはない。
「その子は私のペットよ。襲われた貴女には申し訳ないけれど、流石に殺されては堪らないもの」
「はえ?」
三花には皇女様が何をおっしゃっているのかよくわからなかったが、とりあえず言われたとおりに刃を収める。
アーデルハイトが指を鳴らすと巨大蛸生物は動きを止め、触手を器用に収納して教室の隅へと移動する。今まで好き放題もてあそばれていたとは思えないほどにアーデルハイトはタコを使役して見せた。初めて見た時と真逆の主従関係。支配しているはずのタコはこの場で最も弱いモノとして小さくなる。
アーデルハイトは触手によって乱された服と髪を一瞬で元に戻すと、人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら。近頃はVR拷問にも拷問等禁止条約の順守が求められていてね、苦痛を与えず不快感を与えるプログラムの開発が求められているのよ。これはその実験って訳」
「えっと……つまり殿下は拷問を受けてたってことですか? なんで?」
「趣味よ」
…………………………趣味。趣味ときた。
未完成のプロトタイプとはいえ拷問に使われる予定のプログラムを受けることが、触手にぬるぬるされるのが趣味だと皇女様はおっしゃったのだ。
三花は混乱した。
「見てちょうだい、この限界までこだわったタコ特有の筋肉と吸盤の動き、そして粘液の臭いとぬめり! それにオスタコとメスタコ両方を用意して対象の性格や性別に応じてより屈辱的な性別にカスタマイズできる拡張性! 勿論ヒョウモンダコver.もあるわ。痺れるわよ。交接腕については現在開発中ね。変形ギミックなんかも搭載して、より効率的かつ優しく情報を聞き出すための……」
「あの、もう十分解りましたから。殿下」
理解できたのは趣味だという言葉が真実だということくらいなものだったが、とりあえず愛は伝わってきた。
「アーデルハイト、でいいわよ。皇室での立場なんて無いようなものだし、高貴な身分扱いされるのはどうにも居心地悪いのよ」
「わかりました! じゃあアーデルハイトさんでいいですね」
「そうして頂戴」
アーデルハイトは上機嫌そうに笑う。
三花は三花で彼女の皇族という身分に若干緊張してもいいはずなのだが、そんなものはとうに触手ぬるぬるを趣味にしているという第一印象に敗北していた。
「ところでこれって拷問のためのプログラムなんですよね? 趣味で受けてる人が被験者になってちゃんとデータが取れるんですか?」
アーデルハイトがフリーズを起こした。
クールで高貴な(間違っても変態ではない)皇女様という仮面がどこに行ったのかと思うくらい、あたふたと顔を赤くしながらアーデルハイトは腕をわきゃわきゃを動かす。
「ほ、ほらデータにはばらつきやバイアスなんてものが付きものなわけだし。より客観性を高めるためにも私のデータだって役に立つはずよ。……ところで貴女たち、触手に興味はないかしら?」
「「ないです」」
三花とミンハイの返答がシンクロした。
当然だ。いくら苦痛がないとはいえ誰が進んで拷問を受けたいと思うのか。しかも生臭さと粘液の再現性にこだわったR18の権化のような触手に。こんなものを味わいたがるのは真正のドMか海産物を極限まで愛した変態か異性のタコくらいなものだろう。闇サイトで出回っているとされる動画や立体映像にはこういったものがあるらしいけれど、いったい彼らはどんな思いで触手を受け入れているのか非常に理解できない。わけがわからないよ。
「報酬は弾むわよ。端くれとはいえ皇女直々の実験だもの」
「やります」
「やる訳……ってエエ!?」
今度はシンクロしなかった。
ミンハイのこの世のものではないモノを見るような視線がえぐるように突き刺さる。友人になって2か月目だがこんな目で見られるのは初めての状況。しかし三花には断れない理由があった。主に経済的な理由で。
「いやいやいや、ミカ正気!? これクトゥルフ案件なの? SAN値OK!?」
「ごめんミンハイ、私にはお金が必要なの。くっ……触手!」
女騎士は三花のほうだった。それも勝率が非常に悪いほうの。
提示された額は目を見張るものだった。多分だけれど似たような動画を撮影してアフィリエイトやギャラで稼ぐよりお金になる。それもプライバシーを守った状態で。これほどの好条件の仕事は中々ない。
権力と財力と触手、三拍子そろった力に勝てる人間などどこにいるのだろうか。
「交渉成立ね、三花」
「はい。でも……優しくしてくださいね?」
「……っ! ときめくセリフね。素敵よ」
アーデルハイトの目が悪戯っぽく光る。
まさかのSとMの両属性持ちだということに、三花は話を受けたことを少し後悔した。触手は楽しそうに踊った。
「でもこれだけ作り込んだ技術を拷問に使うって、なんだか悲しいですね」
「本当は脳から直接情報を引き出すほうが効率がいいのだけれど、今の技術では無理だからね。それはそれで倫理やプライバシー的に問題があるかもしれないけれど」
アーデルハイトの発言を聞いて、三花はふと考える。
タマニアと会話したところで有効な情報は得られない。それは彼女が仮想世界の知識に疎く、かつ幼くて情報伝達能力が低かったからなのでなないかと。
だったら脳から直接聞き出すことが出来れば、もう少し有益な手がかりが得られるかもしれないと。
「どうかしたの?」
「いえ、何でもないです! それでは……えっと、拷問楽しみにしてますね!」
「爽やかな笑顔でそう言われると、逆に怖いわね」