10.落とし穴【2】
「これは…なんだ?」
目眩が止まった気がして目を開くと、そこに宿の天井はなかった。
それどころか、自分の体は安定しているのに、周囲は眩しい光に包まれでもしているように真っ白で、上下も左右もない。
「いいから、こちらを見よ」
タクトはマハトの顎に手を掛け、顔を自分へと向かせる。
魂融術は、神耶族と対象者が、生ある限り切ることの出来ない絆で、魂魄を紐づけする術だ。
これにより、対象者は神耶族の能力値をその身に授かる。
純粋に精神的な存在である魂魄を繋ぐため、物理的な世界から隔絶された場で行われるのだ。
そして、二つの魂魄に絆が結ばれるまでの永遠にして一瞬のその時間、対象者は現世では決して得ることの出来ない、得も言われる満足感を得る。
「ぬしは、全くとんでもない傑物であるな」
陶酔しているマハトが思い描く "最高の満足" を、タクトはてっきり "剣豪になり得た自分" なのだと思っていたが。
他者の手を借りず、常に己の技量を磨いて頂点を目指すマハトは、その目標を成し得た後にもまた、新たな高みの目標を見つけ、それを目指して邁進していた。
「全く…、根っからの餓っつきだが…」
タクトは思わず失笑したが、しかしそんなマハトをますます愛しく思った。
ひたすら自身の資質を磨くことのみに注力し、なにかを達成する快感を貪る。
マハトの真の望みは、大きな目標を成し遂げる達成感と、その向こうに現れるさらなる渇望を繰り返す、清廉潔白にして終わりなき欲望だった。
タクトはこれこそ自分が選んだ者だと、更なる悦びを感じる。
「さあ、これで儂らは一蓮托生だ。よろしく頼むぞ、マハト」
タクトはマハトの唇に、改めて愛おしそうにキスをする。
「んあ…あぁ…っ!」
「おいおい、此処はもう現世だぞ。そんな声を出しては、隣の部屋におかしな勘違いをされてしまうではないか」
そんなことを言いながらも、タクトの顔にはその美貌に似合わない笑みが浮かんでいる。
神耶族は姿形は人間に酷似しているが、実は無性の種族だ。
故に、夫婦や番の概念を持たない。
当然、房事を行うこともない。
スキンシップの一つとして、肌を触れ合わせたりキスをしたりもするが、それはあくまで絆や情を確かめあう行為に過ぎないのだ。
契眷属に足り得るかどうかの試金石として、房事に似た誘いをすることもあるが、それ以上の行為に及ぶかどうかは、神耶族それぞれの個性による。
タクトは、そういう意味では『試金石でも愉しむべき』と考えるタイプであった。
「そう急かすでない。楽しみはあとのほうが良い…」
これからの展開を考えながら、タクトは笑っていた。