動物は人間社会の中で自由にはなれない
両親が動物嫌いです。
犬を飼っていましたが、父の散歩のためでした。
父は支配者タイプの人です。
「健康のためにウォーキングを始めたいので犬が欲しい」と、メスのシェルティー犬を知人から譲り受け、外の犬小屋に繋いでいました。
母に一番懐いていたので、動物嫌いを自称する母もいい気分になったのか、私の妹でも可愛がるように可愛がっていました。
小学生の私は仲良くなろうとしましたが、どうにも『下』に見られていたようで、遂に懐いてはもらえませんでした。
外の犬小屋に繋いでいたところ、近所をうろついている雄犬に襲われてしまったらしく、ある朝、子犬を三匹産んでいました。
「汚らしいの産んだね」
母が言いました。
「どうする?」
「あたし、責任もって面倒みる!」
私はお乳を飲む三匹を食いつく勢いで眺めながら、言いました。
「いっぱい可愛がるから!」
いつから動物好きになったのかは覚えていません。
一番古い記憶はひいばあちゃんの家の広いお庭にたまに現れるオレンジ色の猫のことです。
自分とそう変わりのない大きさのそのねこに『ニャーちゃん』と名前をつけ、今日は出逢えるかなとワクワクしていた覚えがあります。
どこかの飼い猫だったのか野良猫だったのかはわかりませんが、森のような庭に出没するその猫に、異世界と触れ合う喜びのようなものを感じていました。
犬にも猫にも本気で噛まれたことがあります。
犬に追いかけ回されて泣いたこともあります。
それでも動物のことが嫌いになれませんでした。
気持ち悪い笑顔で無理やり近づいて、怖がらせてしまった自分が悪いんだと思うことが出来ました。
よその猫に噛まれて手の甲に穴が空いた時は、その子が処分されるのを恐れて必死で黙っていました。
アホといえるほど動物に同情してしまう子供でした。
中学生の時、私が餌をやったり段ボールでお家を作ってあげたり面倒を見ていた野良猫が、隣家のハムスターを食べてしまったことがありました。
その猫を私が自分の飼い猫のように可愛がっていることを知って、父と従兄弟のお兄ちゃんが口を揃えて「その猫、おまえの猫だと近所から思われてる。連れて来い」と言われたことがあります。
私は『殺す気だ』と察し、四階の窓から身を乗り出しながら、泣いて抗議しました。
「あの子を殺すなら、私もここから飛び降りて死ぬ!」
父のことも、ハムスターを食べられた家の人のことも、何も考えていませんでした。
ただ、面倒を見ている野良猫のことが可愛い。自分はあの子を愛してる。あの子が殺されたら自分が嫌だ。
それしか考えていませんでした。
話はまた小学生の頃の、子犬を三匹産んだシェルティーに戻ります。
子犬を産んだその日、私が学校から帰ってみると、子犬がいなくなっていました。
母に聞くと、
「ああ。あれパパが捨てたよ」
びっくりする返事が返ってきました。
急いでゴミ捨て場に走り、確認すると、半透明のビニール袋のひとつがまだモゾモゾと動いていました。
中を開けると弱って動きの鈍くなっている小さな小さな子犬が三匹。
急いで母親の元へ持って走りました。
動物は人間に許されなければ生きることが出来ない。
支配者の父に認められなければ、ゴミとして処理される。
そんなことを、思い知らされました。
結局、子犬たちは育つことを許され、母がお友達に聞いて里親になってくださる方々を見つけてくれました。
うち一匹は何度か大きくなってから会いに行きました。一番小さいので私がいつも抱っこして散歩させていた子でした。
父親は黒い犬だということがよくわかる子で、シェルティーっぽさはありながらどう見てもシェルティーではない外見に育っていたので、純血の犬しか認めない父にはゴミにしか見えなかったんだろうと改めて思わされました。
歳をとって世話が面倒になると、母は可愛がっていたシェルティーを人にあげてしまいました。
父も『散歩のため』といって引き取ったのにちっとも散歩に行かない人でした。
それでも犬がいなくなるとまた『散歩のために犬が必要だ』とか言いはじめ、我が家に二代目のシェルティーくんがやってきました。
今度はオスでした。
今まで飼った動物、すべて私は愛していましたが、一番世話を焼かせてくれたぶん、この子のことは一番級に忘れられません。
お迎えした時既に三歳だったのですが、犬小屋に繋がれるととても嬉しそうな顔で私たちを見ていました。
初めてのお散歩はなぜか父ではなく私が連れて行きました。
もう高校生になっていた私は、結構なアドベンチャー・ルートを散歩コースに選びました。
結構な幅のある小川を越えて進みました。
小川の中に点々とコンクリートブロックがあり、その上を歩いて進むのですが、シェルティーくんが怖がってついて来ようとしません。
「仕方ないなあ。ほらっ」
抱き上げました。
初めて会った日に、まだ懐いてもいない女子高生に抱き上げられてシェルティーくん、めっちゃ怖がりました。
シェルティーはただでさえ情緒不安定な犬種で、番犬に向くといわれるほど知らない人や怪しい人には攻撃的です。
それを私、ほぼ初対面で抱き上げて、小川の上を歩きました。
噛みつかれそうになりました。
ここで離したら迎えたばっかりの犬を、ごつごつした岩の川底に落としてしまう!
それが嫌なので我慢して歩き続けました。
シェルティーくんは私の腕に牙をあてていました。口を閉じたまま、前歯を押し当てて、ウウウ……と唸っていました。目が警戒するように私の顔を見ていました。構わず歩き続けているうちに警戒が解け、安心したように身体からは力が抜け、赤ちゃんみたいに周りの景色を眺めはじめました。
シェルティーは無駄吠えの多い犬種です。
情緒不安なこともあり、夜中に寂しくなって大きな声で鳴きはじめます。
前の子犬を産んだメスの子は、近所から苦情が出たため、声帯を除去してありました。
お迎えしてから父も母もそのことを知り、「迷惑になってはいかん」と躊躇うこと一つもなく手術を受けさせたようです。
よく響く声で鳴いていたのが「はう、はう」と掠れた声しか出せなくなりましたが、それで生きることを許されました。
父は犬を室内飼いすることを認めなかったので、また私も小学生だったので、それしか道はなかったのだと思っています。
お迎えしてから無駄吠えをすることを知ったので、「じゃあ別の動物に替えよう」とは行かなかったのです。
次のオスの子も無駄吠えが大きな問題でした。
犬種の問題を既に知っていながらお迎えした両親もどうかと思います。
母いわく「だってシェルティーが一番可愛いから」だそうですが、だったら最初の子を最後まで面倒見ろよとも思います。まぁ、それを黙って見ていた私が言えることではありませんが。
夜中になるとよく、寂しそうに「オオオ〜ン……。ウオオオ〜ン」と大きな声で鳴きはじめました。
私がもう大きくなっていましたので、そのたびに外へ出て行って、厳しく言い聞かせました。
「ダメだよっ? 今度吠えたらメッだからね?」
しばらく一緒にいてあげると安心したのか、それで大人しくなってくれる時もありましたが、再び遠吠えのように鳴きはじめることもありました。
悩まされた末に、『無駄吠え矯正器具』というのがあるのを知って、それを買ってきました。
小さなプラスチックの樽のようなものがついた首輪のようなものです。それを首輪と並べてにつけて、犬の喉に樽をセットします。樽の中には電池が入っていて、樽からは電極が二つ、飛び出しています。その電極を犬の喉に軽く当たるようにつけるのです。
この状態で犬が吠えると、電極から微量の電気が流れます。
何度か夜中に耳にしました。
「ウオオオ〜ン……ウォ……キャッ!? ギャンッ!!」
それでも最初のうちは懲りずに続けてまた無駄吠えをはじめました。
「ウオオオ……オォーン! キャッ!? キャンキャンっ!」
ベッドで寝転びながらそれを私は聞き、耳を塞ぎたい思いでした。
目を固く閉じて、「ごめんね……。ごめんね」と呟きながら。
それで無駄吠えの癖が矯正されることを祈りながら。
遂にその器具をつけられている間は無駄吠えをしなくなりました。
「やったじゃないか」
「よく問題解決したね。偉いわ」
両親はそう言いました。
ある日彼の喉を触ってみると、電極があたるところに二つ、窪みができていました。
器具は夜寝る前につけて、朝の散歩前に外していたのですが、それでも穴のようなものが喉に空いていました。
寝る前にそれをつける時、彼のまるで虐げられる奴隷みたいな表情が、胸を苦しくさせました。
器具は犬の無駄吠えだけでなく、他の音にも反応しました。
試しに器具を自分のてのひらに乗せ、電極を押し当てて、自分のバイクのスロットルを吹かしてみると──
こんな痛みを与えられてたのか!
その日以来、その器具を使うことはやめました。
私は愛犬に拷問器具のようなものをつかっていたのだと身をもって知りました。
私は猫を飼うと、必ず放し飼いにしてしまいます。
猫を、猫のためを思って、危険や問題を起こすことがないように、なるべく檻の中に閉じ込めて、ストレスが溜まらないように一日四時間ぐらい放牧してあげて、それで二十年生きてもらうのと、
とにかく好きにさせてあげたくて、たくましく生きてほしくて、首輪はつけるけど放し飼いにして、外に遊びに出たがったら一緒に散歩に行って、自分が行けない時にはひとりで行かせて、たまに楽しそうに広いお外を飛び回ってるのを窓から見守って、ノミをいっぱいくっつけて帰ってきたらノミと戦って、ねこをいじめる人のバイクに轢かれて若くしてその一生を閉じるのとでは、
私はどうしても後者を選ばせてしまいます。
自由にさせてあげたい。
でも人間社会の中で動物は自由ではいられない。
どうしても、ある程度縛らなければいけない。
去勢したり、避妊したり、
声帯除去したり、臭腺除去したり──
改造しなければ動物は人間社会に適応できないことが多い。
ごめんね。
ごめんなさい。
こんな人間である私を許してとは言えないけれど──
私はあなたたちといたいのです。
あなたたちのことが、大好きなのです。