五章 今に戻り
「あー、あったな、そんなことが」
「ええ」
人気もなくなった、『魔女の涙亭』は、俺とミリアストの語り場となっていた。
「あれ以来、稽古も続けてんのか?」
「ええ、まぁ。もうすぐ一人前だそうで……」
「お、良かったじゃん! あれでフウカ、見る目は厳しいから、相当のもんだろ!」
「あはは、だといいんですが。……ケーキのお代わりをお持ちしましょうか?」
「ああ。……こう、人がいないと、ノビノビできるな! 甘いもの食っても、変な顔されないし!」
「誰もしませんと思いますけどね。ミリアストちゃんは可愛いので、似合ってますよ」
「……お、お前! 誰にでも言ってるのか!」
「俺は嘘を吐かない、いや、吐きたくない人間です。極力、真実しか申しませんよ。それに、可愛い、なんて、誰にでも言いません。本当に可愛らしいから、そう言っているだけなんですよ」
「……ほ、ホント?」
「ええ。その容姿に加え、いじらしさと、強さの割りに甘いものが好きな意外な一面。俺は可愛いと思いますよ」
「だったら、まぁ、いいかなぁ」
「ふふっ。また甘いものを食べたいのであれば、おいでください。俺も腕を磨いておきましょう」
「……そういや、お前、自分のこと、俺って言うのな。何か話し方にあわねぇな」
「僕ほど幼くもありませんし、私ほど丁寧ではないので、俺です」
「ま、いいけど。……ケーキ、美味しいよ」
「はい。その笑顔が見たくて、作っていますから」
そう。俺が飲食業を志そうとしていたのは、とあるラーメン屋で修行していた時のことだった。
俺はすぐに独立しなければならなかった。高校に行くお金がなく、勧めで飲食店で――豚骨ラーメン屋で働くことになった。
そこで俺が見たのは、当たり前のことだった。
ラーメンを懸命に作る。麺を打ち、スープを作る。もちろん具にもこだわっている。チャーシューは入れる時に直火で炙るし、野菜もシャキシャキとした歯ごたえが楽しめるように下処理をする。
それを客に渡すと、笑顔が溢れ、そして麺をすすりこむ。その反応で、俺達も笑顔になる。
単純な連鎖。努力が幸福を生む。それを生で見られる場所。
それが料理だったのだ。
俺はそんな幸せを作る料理人という仕事に憧れ、努力をし、各地を転々として、故郷に戻り、高名な場所で働いていた。
「そういや、お前ヤナギバって家名持ってんじゃん! 貴族だったのか?」
「いえ、そもそも俺のいた国では、貴族制というものがなくて、誰にでも家名が……。ああ、でも、生まれは金持ちだったそうですよ」
「だったそうって、なんなんだ? てか、家族はお前のこと心配してねーのか?」
「ええ。そもそも、俺に家族はいません。捨てられたので」
「なっ!? なんだよ、それ!」
「そう熱くなることもないでしょう。珍しい話ではありません。人は冷たくなれる。人を影で笑う、努力して得た結果を妬む、無関心なものへは手を差し伸べない。当たり前です。両親は俺を児童養護施設……という、施設に手切れ金を渡して去りました。物心着く前の話です。なので、両親の顔も覚えていませんよ。……ですが、そのおかげで、幸運にも自分のやりたいことが見つかりましたので。別に恨んでません。むしろ感謝しています」
しかし、目の前の小さな女の子は、怒りが冷めない様子だ。
「血の通った、実の子供だぞ! 捨てるだなんて……愛の結晶だろうが! なんで、そんな冷たいことができるんだ! なんで、お前はそれに怒っていないんだ!」
「宝石は綺麗ですか?」
「な、なんだよいきなり!」
「宝石は、貴女の目には……綺麗に映りますか」
「そりゃ……キラキラしてて、素敵だなーって思うけどよ」
「俺にはただの、金になる石ころ程度の認識です。人の見方は千差万別。貴女には綺麗な石でも、俺には金にしか映らない。今回も同様でした。あの人達にとって、俺は鼻つまみ者でしかなかった。それだけのことですよ」
「……そんなんでお前、寂しくねーのかよ」
「寂しい?」
寂しい、寂しいか。うーむ。
「ないですね」
「寂しいに決まってんだよ!」
聞いてくれよ。
「よーし、決めたぜ!」
「……何を、でしょうか」
嫌な予感しかしないが。
「アタシが、お前の家族になってやんよ! 簡単な話だぜ! な? いいだろ?」
……このまぶしい笑みを見る限り、多分、深い意味はないんだろうけど。
まぁ意地悪と一緒に注意しておこうか。
「それは、プロポーズですか?」
「?」
「俺と結婚したい、と?」
ウィンクを飛ばす。すると、ようやく事の次第が分かってきたようで、顔を真っ赤にして席を立った。
「な、な、なっ!? お、おま、お前っ!? そ、そーゆー意味じゃなくてだな!? ば、ばか! 馬鹿ぁ!」
「おや、そういう言い方にしか聞こえませんでしたが」
「……お、おっしゃ。腹括ったぞ、アタシは! け、け、結婚、してやるよ!」
「いっ!?」
そうくるか!
「あ、アタシがここまで言ってやってんだぞ! はいかイエスで返事しろぉ!」
「二択のようで一択なんですね……」
突っつきすぎたようだ。年頃の女の子と会話したことがあんまりないから、距離感がいまいちつかめない。
「さすがに意地悪が過ぎました。つまり、兄妹のような関係になりたい、と仰りたかったのでしょう?」
「わ、わ、分かってんなら意地悪すんなよ! 泣くぞ!?」
「泣かないでください。そして、その気遣い……ありがとうございます。じゃあ、簡単ですが儀式をしましょうか」
がさごそと食器棚をあさる。
確か、ここに。あった。
華奢なグラスを並べ、そこへぶどうジュースを注ぐ。
「……こういう時の口上は、なんでしたか」
「いいじゃん適当で」
「では。我はミリアストと家族の関係を結ばん。その絆は血脈ではないが、堅牢であり、何者にもそれを指図される謂れはない。この杯を開けることで、それの証明とする」
「ど、どういうことだ?」
「つまり、この飲み物を飲めば、家族と言うことですよ」
「ワインじゃねーよな?」
「ぶどうジュースですよ」
「ならいーや。あれ不味いし」
「うーん、俺もあまりお酒は好きじゃありません」
一応、一通りは仕入れているが、食事がメインだし、相手を見て俺は酒を出すようにしていた。
酒は百薬の長である。しかし何事も、過ぎれば毒だ。過ぎたるは及ばざるが如し。それを理解していなさそうな客には、決して出さなかった。ここは飲み屋じゃない。酔って人に迷惑を掛けるなんぞ、言語道断。
俺の年齢は二十二歳。一応、一通りの酒は飲んだ覚えがある。しかし、俺は酔えない。アルコールが喉を焼く感覚はあっても、ふわふわした気持ちになることは皆無だった。それにジュースの方が美味いし。どんなものが、どんな客に、どんな料理に合うのか。それが分かっている以上、飲む理由がない。
「では、飲みましょうか」
「おう」
かんぱーい、とか言ってグラスをぶつける、わけではない。日本では珍しくない習慣だが、華奢なグラスでそれをやるのはただの馬鹿だ。軽く持ち上げるのがマナーである。
向こうは知っていたのか、それとも割れそうだからと配慮したのか。俺と同じく軽く持ち上げて、グラスに口をつける。
「……んくっ、ぷはっ! これでいいのか?」
「はい。今日から俺達は兄妹です。妹は――ミリアストは俺が守りますよ」
「バーカ、お前なんかに守られるかよ、ガルフに追い回されてたヘッポコがさ。逆に守ってやんよ。……それと、ミリーでいい。この世界ではな、略称を使えるのは本当に親しい間柄だけなんだ。教えてなかったよな、これ。……呼ばせてやる」
「はい、ミリー。……うーん、何か変な感じですね。家族など、関係すらなかったもので……」
「これからは、家族だぞ。うん、そうだ!」
満足そうに、残りのケーキを頬張る彼女を見ていると、なんだか心が落ち着いてくる。
兄妹、か。それがごっこ遊びでも、嬉しいものがあるよ。
ありがとう、ミリー。