十九章 好きな人のために
休日。朝早くに、店のドアを叩く音。
「はい、お待ちください」
着替えてドアを開けると、女の子とロッタが立っていた。
「で、弟子にしてください!」
ペコッと頭を下げてきたのは、ダークブラウンの髪をみつあみにした女の子だった。横には眠そうなロッタが、申し訳なさそうに立っている。
「大将、迷惑なのは分かってる。けど、こいつ聞かなくって……。メシはここで済ませるからいいって言ってんのに」
「だ、だって、そうしたらステーキくらいしか食べないでしょ! 休みの日だってあるんだし!」
「最近はうどんとかラーメンも食ってるぞ!」
「何その料理! 聞いた事ないよ!」
小麦と肉ばかりなので、確かに偏り気味なのは確かだ。おまけです、といつも配慮して野菜の小鉢を付けてはいるが、焼け石に水だろう。
「ああ、ロッタ君。例の彼女さんですね?」
「そうそう。幼馴染のレベッカ。こいつ料理が下手でさ……」
「うー……」
うーむ、料理を教えて、か。
俺は味を知れば、過程がなんとなく分かり、おおよそ目分量で大体その味になる。だから、今までは技術や味を盗み、自分のものに昇華することしかやらなかった。
だから、技術を教える……のは難しい。彼女が同じ吸収率だと考えない方がいいだろうし。おまけに、俺は何かを教えた経験が皆無だ。
さて、どうするか。
「ステーキくらい、あたしが焼いてあげるし!」
「お前のステーキ、真ん中の部分冷たいんだよ。大将の食ってみろ、ソースもすげーんだぞ?」
「うぐぐ……!」
「まぁ、パンと基本的な肉の下処理、それと焼き方と簡単なソースを教えましょうか。それと、ロッタ君の好きなマヨネーズのサラダの作り方も」
「優しいなあ、大将。自分で頑張って獲得した経験だろ? いいのか?」
「ロッタ君は常連さんですからね。彼女さんからの手料理、というものも楽しみでしょう?」
「そ、そりゃ……まぁ、そうだけどさ」
「ロッタ君の幸せに、一枚噛める、というだけで満足ですよ。では、レベッカちゃん、行きましょうか。ロッタ君も見学なさいますか?」
「見る見る。レベッカ、お前大将に迷惑は掛けんなよ?」
「分かってるわよ!」
さて、世の中にはこういう人間もいるのだと、大変勉強になった。
「……手順は説明しましたよね。どうしてこうなるのでしょうか」
「ご、ごめんなさい!」
黒ずんだ肉にパン、ぐっちゃぐちゃなサラダ。
これは酷い。
焼きすぎなのは確かだが……中は、まだ生だ。パンも全然膨らんでいない。サラダは何かマヨネーズが多すぎるのか、ネチョネチョになっている。
「確かにいきなり一人でやってみろ、というのは酷だったかもしれませんが……」
「いや、大将の説明超分かりやすかったよ。オレ、やっていい?」
「はい」
ロッタが手際よく調理をする。
肉に下味をつけ、なじむ間に野菜を切る。不恰好だったが、食べられない事はないレベル。
マヨネーズもソースも教えたとおりにこなし、ステーキも初心者にしては上出来な仕上がりに。
「いつも料理は?」
「いや、しないんだけど……大将の説明でこうならないワケがねえもん。レベッカ、才能ないってお前。諦めろ」
「絶対、嫌! 上手くなるんだから!」
「……では、横についていますから。もう一度」
で。
「才能ないですね。諦めてください」
「そんな!?」
いや、肉にありったけの塩ぶちまける時点でおかしいだろ。
「適量を一枚肉に馴染ませるのに、何で一握りも塩をぶちまけるんですか」
「だ、だって。適量って……」
ここには量りがないものだから、分量は「適量」とか「スプーン何杯分」とか、ざっくりな説明しかできない。
だからって、こんな非常識な事をするとは、夢にも思うまい。
「適量というのは、適切な量、ということです。こんな塩辛いステーキなんて、誰が食べたいと思いますか?」
「うっ……」
「相手の事を想えば、想うだけ……こうしよう、ああしよう、と工夫や試行錯誤を重ねるものです。……想う心があれば、上達します。保障しましょう。それはありますか?」
「ある! あります!」
即答だった。エネルギッシュな彼女の返事に、俺は思わず笑みを浮かべる。
「そう誰かを想えることは、素敵な事です。よし、徹底的に仕込みますよ。覚悟はいいですか?」
「はい!」
そして、彼女の挑戦が始まった。
「違います、フランベは軽くワインを注ぐものです! そんなヒタヒタにしてはいけません!」
「は、はい!」
「ステーキを外すタイミングがいつも遅いです。ほら、ここが黒ずんでる」
「直します!」
「何度言えば理解するのですか! 卵を割るときは軽く平らなところで。慣れていない人がボウルの角で割らないように!」
「はい!」
そして、昼間。
「……まぁ、そんなものでしょう」
「で、できた……! ステーキに、サラダ! パンも!」
失敗作を食べ過ぎて気分が悪いものの、何とかそれらしい物体に仕上がった。
最後の方は指導なしでも、なんとか言われた事を思い返して実践することができていた。これは進歩である。
「これは牛肉……バッファローなので中がレアでもいいんです。ポークの場合は、しっかりと中まで火を通してくださいね」
「はい、先生!」
「さて、ロッタ君。お待たせしました」
「……見た目は、うん。普通だな」
ロッタはステーキを切り分け、中の赤身に手を当てる。
「お、あったかい」
「ふふん!」
十二枚のステーキが犠牲になったが……まぁ、上達したのでよしとしよう。
ぱく、と口に入れると、ロッタは頷いた。
「うん、美味いよ、レベッカ。頑張ったな、サンキュ!」
「……う、うん」
「誰かのために作るのは、楽しいでしょう?」
「はい! 先生のおかげです!」
「もう少し飲み込みが早いと助かったんですけどね。さて、レベッカちゃん。俺のステーキと比べてみましょう」
自分で作ったものを置く。
レベッカはロッタのを一口大に切って頬張って、頷いていた。
「うん、美味しい! 家のステーキよりも! ふふん、家のステーキに勝っちゃったからね。先生のステーキも同じくらいで……」
食べた瞬間、レベッカは目を見開いた。
「え……!? なんで、これ……柔らかくて、臭みがなくて……お、同じお肉なのに! 同じソースなのに、同じ作り方なのに……どうして!?」
「これがプロ、というものですよ。ステーキ一つでも、焼き方、焼く時間、下味の付け方、ソースで全く別物になってしまいますからね」
「……まぁ、レベッカも食べにくりゃ分かるよ。大将が、どれだけ人のことを考えて料理作ってるか。野菜食べてないオレに、こっそりと野菜の小鉢、おまけしてくれたり……」
「おや、気づいていらっしゃいましたか」
「分かるよ、さすがにさ。……だから、時間合った時に、一緒に食いに行こうぜ!」
真っ直ぐなロッタの笑みに、笑みで返してレベッカは頷いた。
「うん!」
店の常連が、また一人増えた。




