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十二章 親心

 気配を感じて、俺は飛びのいた。

 時刻は夜遅く。閉店と明日の仕込みも終わり、寝ようと店の椅子で横になっていた。


 異変を感じたのは、夜の冷たい風が入り込んできた時だ。ドアと窓を閉めれば完全に密閉される空間だったのだ。そりゃ気づく。


 小柄な人物が立っていた。目を強化して、視認。老人だ。紺色の忍装束を身に纏っている。


「今日はもう閉店なのですが」

「……貴様がフウカお嬢様の恋人か」

「え? 恋人? 俺に恋人はいませんが……」

「白を切るか。それもよかろう。……腕ずくで聞き出すまでだ!」


 ひゅんっ! と分身が出現する。それに囲まれるが、鼓動で分かる。

 右腕を伸ばして老人を捕まえる。


「何っ!?」

「せありゃっ!」


 胸倉を掴んだまま、床に押し倒す。


「……やりおる。殺すがいい」

「いや、待ってください。殺すつもりはありません。なぜ、このようなことを?」

「貴様がお嬢様をたぶらかし、かどわかしたのだろう?」

「フウカのことですよね。……誤解があるようですが、まずは自己紹介を。俺はレン・ヤナギバ。ここ、『魔女の涙亭』の店主です。フウカとは一月前に知り合って、稽古をつけてもらってました」

「む? お嬢様が出奔したのは二年前……。もしや、貴様……いや、貴殿では関係……ない、と?」

「ええ」

「……」


 老人の顔が「やっべー!」という風に青くなる。


「フウカとは師匠と弟子の関係なんです。で、聞きましょうか。なぜ、フウカを? 追っ手というのは貴方ですか?」

「違うでしょうな。ワシはフウカお嬢様に仕えていた上忍でございます。それはもう、家族同然の間柄で、信頼はされていたと思います。しかし、お嬢様は急に忍を抜ける、との旨の書置きを残して消えてしまわれた。今はお暇を頂き、フウカお嬢様の出奔の理由をお尋ねしたく、私用で参って……」

「で、俺とフウカが会話しているのを見てたんでしょう? それで、俺が連れ出したと考えた。ここでは和風の料理も出していますしね」

「面目ない……」

「フウカを殺すつもりはないんでしょう?」

「無論! この老躯、フウカお嬢様のために捧げました。その忠を捧げた相手を殺すなどと。お話がしたいだけでございます」

「なら、明日。早朝にいらっしゃってください。お名前は?」

「……朱魔サルトビと申します。サルトビで結構でございます」

「ではサルトビさん。早朝、お会いしましょう」

「大変失礼した上、お世話にもなってしまった。このご恩、何らかの形で返させていただく所存ですぞ!」

「はい。では、おやすみなさい」

「うむ」





 早朝訓練の後、店に戻ると、サルトビが入り口で待っていた。フウカはゲッと顔を歪ませる。


「ちょ、レン! なんで……!」

「お話がしたいだけだったそうなので。会ってあげて下さい、追っ手ではないようです」


 いうと、渋々フウカがサルトビの前に顔を出す。


「チッス、サルのじーさん。お久しぶりっス」

「おおおお……フウカお嬢様……! お久しゅうございます!」

「詳しい話は、中でなさいませんか? 緑茶をお入れしますよ。お金を出して頂けるなら、朝食も」

「よろしいのでございますか? ならば、甘えましょう」

「レンの料理、美味いっスよ!」


 二人の希望で、今日の朝食は鴨とわかめのうどん。黄金色の出汁に鴨の旨みが加わり、よりおいしくなっている代物だ。

 はふ、はふと啜りながら、サルトビは頷いている。


「美味しゅうございます……! 若大将殿、かなりの腕前ですな!」

「お粗末さまです」

「……で、何スか。あっしは抜けたんすよ、忍。もう捜索は打ち切られてるっしょ、多分」

「打ち切られてはおります。しかしですな、お嬢様。忍を毎度毎度殺していると、そこにいると証言しているものでございますよ」

「あ」

「相変わらず、少し抜けておいでですな」

「うるせぇっスよ!」

「ほっほ。このジジイは、死ぬ前に一度、十五を超えた年のフウカお嬢様を見たくて、少しお暇を頂き、調べ、参上した次第です。それと、なぜ忍をやめてしまわれたのですか? お嬢様の才能は群を抜いて……」

「クノイチ特有のアレが嫌だったんっスよ。好きでもないヤツとなんでそんなことしなきゃ何ないっスか!」

「相変わらず、すれているようで初心でございますな。……ああ、それと恐らく、ソウイチロウ様もお嬢様の存在に気づいておいででしょう」

「げっ、親父がっスか!?」

「しかし、黙認していらっしゃるようですな。鬼と呼ばれたソウイチロウ殿も、やはり娘が可愛いのでしょう。このジジイまでもが可愛いのです、実の親は可愛くて仕方ないのでしょうな」

「口を開けばやれ修行だのやれ術の開発だのうるさかった、あの親父が?」

「そういうものですぞ。修行を勧めたのは生存確率を上げんがためでしょう。どうでもよければ、強いたりはしませぬよ。自分にも息子や孫がおりますが、可愛いの何の。離れていても、繋がっている。家族とは、そういうものですぞ」


 家族、か。

 俺にはそういう感情はわからない。繋がっている相手もいない。

 妹や弟、兄や姉がいれば、少しは違ったのかもしれない。けれど、それはあくまで、かもしれない、というだけ。

 俺には、家族はいない。

 だから、こういうほのぼのとした光景を、俺は、ひょっとしたら、羨んでいるかもしれない。


「……レン」

「あ、はい。何でしょう」


 ふわっと、花のような匂い。

 鼻腔をくすぐったその香りは、脳髄まで届いて甘さを残していく。

 同時に、唇に感触。

 やわらかい。これはなんだ、目の前にフウカの顔がある。


 唇?


 唇。


 マウス、トゥ、マウス。


 どゆこと?


 まぁ、キスだ。


 キスか。

 キス。


 って、ええええええええっ!?


「なっ!?」


 と言ったのはサルトビだったが、俺も口が塞がれていなければ、同じ言葉を発しただろう。

 離れて、フウカは妖しく微笑む。


「生娘のキスっスよ、嬉しいっしょ。どうせ、自分には家族がいない、とか思ってるんっしょ? 元いた世界だとどうだったかは分かんないっスけど、ここにいたら、あっしらは……もう家族同然じゃないっスか」

「……に、にしても、いきなりキスはねぇだろオイ!」

「お、そっちの方が地みたいっスね。今のは、聞かなかったことにしてあげるっスよ」

「た、助かります。……ビックリしました」

「あっしもっスよ。キスって、甘いんスね。いや、他人の唾液が甘いんスか?」

「ファーストキスなので、知りませんよ」

「奇遇っスね、あっしもっス」


 で、サルトビは……え、何か泣いてるんだけど!


「お、お嬢様……! 唇だけとはいえ、許せる相手ができたのでございますね……! よかった……!」

「大げさっスよ」

「いえ、大げさではありませぬ! 赤子の頃より、見守ってきたこのジジイにとって……くぅ……泣けてくる……!」

「……あ、あはは」

「レン殿!」


 ガシっと俺の手を掴み、男泣き真っ最中のサルトビが近寄ってくる。

「フウカお嬢様をお頼み申し上げますぞ、若大将殿! 一人で生活できるとは言え、十七の齢なのでございます! 貴方のような自立した男性がそばにいてくれるとどんなに心強いか!」

「あ、あはは……」


 懸命なその姿に、俺は苦笑いを返すしかなかった。

 そして休暇の間、サルトビがこちらに滞在する事になった。

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