序章 始まり 1
ここは、ヴェルタスティア。日本じゃないよ。
そう、俺――柳葉蓮は日本人だ。
出身は福岡県、糟屋郡育ち。いい具合に田舎の場所だ。歩いて十分もすればコンビニがあって、田園や畑なども点在する。住宅もほどよくあってか、住みよい場所だった。
ああ、ヴェルタスティア、何て場所は太陽系第三惑星地球には存在しないから、安心して欲しい。
俺はどういうわけか、日本からこのヴェルタスティアに移動してしまった人間だ。
この惑星――ヴェルタスティアには、二つの国がある。
一つはマガラ王国。自由国家を掲げており、自治に貴族や騎士を巡らせているだけで、王族自らが鍬を振るう国。
もう一つはナレスタ帝国。国がある程度の仕事などを世話している国だ。学校や軍など、見知ったものが多い。
この二つの国は友好的である。
けれども、地球にない脅威があるため、手を組んでいるに過ぎない。
豊かな土壌と広大な大地は、人間はおろか、様々な生物を育んでいる。
魔物、モンスター、エネミー、まぁ色んな言い方はあるが、あえて日本風に言うなら化け物である。
それらを狩る、バスターと呼ばれる職業が盛んだ。それを中心に、動いている。
例えば、ナレスタ帝国はバスターを育成する機関があり、優秀な成績を治めたものは軍へ、といった具合に整っている。
一方で、俺が住んでいるマガラ王国は自由である。
そこで力をつけているのは、バスターズと呼ばれる狩り専門の集団達。
名声をあちこちに轟かせている者もいれば、薬草やキノコなどを採取して、身近な便利屋として生きる者もいる。
俺? 俺は違うよ。あんな魔術とか気力とか、そんな常人離れして危険な職業になんかつきたくないし。
「大将! ステーキ!」
俺は大将と呼ばれていた。
一軒の店を、俺は経営している。たまたま料理の腕があり、知識があって、それを活かせる場所だったので、そこで働くことにした。
店を以前に開いていた人物は念願のバスターになって、二日後にあっさりと帰らぬ人になった。まぁ、一般人が変な夢を見たら、そうなってしまう。
夜遅く。やってきたのは、顔なじみの青年だった。新米バスターのロッタだ。
「はい、何にします? 本日はバスターズの方々から多く仕入れてもらってますので、選べますよ」
「何があんの?」
「本日はファンガルフ、キングポーク、キラーバッファロー、グリーンドラゴンですね」
「……グリーンドラゴン、おいくら?」
「千ベルドですよ」
「高っ!」
「あはは、例のバスターズ……『怜悧の剣』がドラゴンを狩って来まして、先ほどまで四人で宴会をしていらっしゃいました。食材を提供する代わりに、こちらはそれを調理する形で応じたのです。キングポークなら五十ベルドですよ」
分かりにくいだろうから円相場で言うが、五十ベルドがおおよそ五百円である。
「……じゃあ、それで」
「そうがっかりなさらないでください。キングポークも脂が甘くて美味しいですよ」
「お、大将がそういうなら、間違いなさそうだな!」
「今日はどうします? パンチがあった方が良いですか? あっさりしてた方がいいですか?」
「パンチ! ガツンとお願いしまっす!」
「かしこまりました」
俺はキングポークの肉を冷蔵室から取り出して、下味をつける。この冷蔵室、魔石というものを使って温度を調節しているらしい。周囲には氷ができるほど、冷えている。
さて、下味下味。岩塩、ローズマリー、コショウ。そして、パンチということなのでニンニクをたっぷりと擦り込む。で、スライスしたものを貼り付ける。
「先にこちらを摘まれてください。お好きでしたよね?」
夕食代わりに食べていたフライドポテトを盛り付けなおして、青年の前に置いた。
「おお、フライドポテト! いいの!?」
「ええ。贔屓にしてもらってますからね」
「んじゃ、遠慮なく……。うん、うめぇ。ホクッとして、塩加減が絶妙でたまんないぜ……。どうやったら、こんなカリッとホクッとなるんだ?」
「水に長くさらして、揚げる際にその水気をよく拭き取っておくんですよ。冷凍ができるなら、一分ほど揚げたものを冷凍すればいいだけの話なのですが……」
「色んなもんに詳しいんだな、大将は。今度家でやってみるよ。ああ、後、あれくれ、あれ!」
「はい、シュワっとするジュースでしょう? ……どうぞ、レモンスカッシュです」
「お、さすが大将! ……っかー! うめえ!」
「今日はどちらまで?」
「ちょっと遠くの、鉱石が採れる洞窟があるんだけどさ。そこにリザードマンが繁殖しちゃって……。それの討伐隊に加わったってわけさ!」
リザードマンというのは、二足歩行する巨大なトカゲだ。大きい個体は二メートルはある。
聞く話によれば、人語をある程度理解できるとか何とか。だとすれば、厄介な相手だったろう。
「ご活躍だったのでしょう?」
「一体を任されてさ……ようやく勝ったんだよ! 一人で、リザードマンにさ! おれ、強くなってるよ!」
拳を戦慄かせて、青年は瞳に熱いものを滾らせる。
そんな彼を見て苦笑しつつ、俺はしっかり火を通したステーキを彼の前に置く。
「どうぞ」
「ありがと。んじゃ……。んっ! うめぇ! これ、すっげぇコクのあるソースだな! しかも肉、火が通ってんのに柔らかい」
「ソースは赤ワインとバターにブイヨン、ソイソースだけですよ」
「……大将の料理、妙な調味料混じってるよな。ソイソース、とか、コンブ、とか。カツオーブシ、なんてのもあるし。それと、ボウルに盛ったライスの上になんか乗せたら、ドン、っていうんだろ? 変だぞ、大将」
「俺の居た場所では、普通だったんですが。まぁ常識なんていうものは、個人によって異なりますから」
「どゆことだ?」
「例えば、ロッタ君も憧れの『怜悧の剣』というバスターズ。彼らはドラゴンを狩るのが当たり前。でも、それはロッタ君からして見れば、常識はずれですよね?」
「あー、なるほど。確かに、当たり前ってのは、人によって違うな」
「そういうわけです。よって、人が変わっていても、それを貶めるのではなく、個性だと、変わっていて当たり前だと思うのが大事だということです」
「けど、悪い方に変わってたらどうするんだよ」
「そのために、法律があります。マナーやルールを守れなければ、共存ができないのですよ」
「……大将の話は、難しいなあ。ていうか、法律? ってなんだ?」
「国が決めた約束事、ですよ。人を殺しちゃいけないとか、そんなのです。まぁ要するに、自分は自分らしく、というお話です。強くなったからとはいえ、傲慢になってはいけませんよ。ロッタ君は、ロッタ君のまま、変わらないのが一番です。……いらっしゃい」
入ってきたのは、東から来たバスターのリョウ、という人物だった。東の方から来ているらしく、オーダーも普通とは違う。
「いつものを所望する」
「はい、肉うどんですね。少々お待ちを」
讃岐で修行した師匠に教えてもらった、うどん。作ってあったのを沸かしてある湯に入れて、茹でていく。
出汁は関西風。カツオとコンブ、いりこをふんだんに使った、黄金色の出汁だ。それに塩と、薄口醤油とみりんを少々。
茹で上がった麺に出汁、それに、牛丼用の具を乗せれば、肉うどんの完成。ちなみに、この牛丼もこちらでは人気だ。
東には醤油や昆布などの食材があり、それを送ってもらっているのだ。このリョウという男に頼んで、取引が始まった。
リョウも修行に来ているらしく、修行先で好きなものが食べれるなら、と喜んで協力してくれた。なので、味も満足いくよう、努力している。
この人には、フォークではなくお箸を渡す。
「はい、どうぞ」
「かたじけない」
「……二本の棒で食ってる。食べにくくないの、リョウのおっちゃん」
「小僧、東の方ではこの箸というものが主流だぞ」
「へえ~」
今日も今日とて、色んな人が訪れる。
けれども、一番の上客は――彼女達かな。
と、うわさをすれば。その一人がやってきた。
「おや。どうされました? ああ、いつものですか」
「……悪いけど、頼むよ」
「ははは、お待ちを。丁度、生地ができてますので」
明日の仕込みをし終わってたのが幸いした。すぐに作れる。
生地を焼く間、彼女にはハーブティを飲んで待ってもらう。
その間にも、生クリームをホイップさせて、焼きあがると同時に、整形する。
無駄なスポンジをそぎ落とし、丸い台座を作る。それを横一線に半分にする。無駄なスポンジもとっておく。明日のパフェに回すのだ。
旬の果実――今だとイチゴか。それをジャムと一緒にスポンジへ挟む。職人に作ってもらったパレットナイフでホイップクリームを綺麗に塗り、上にちょこんとかわいくあしらえば、ケーキの出来上がりだ。シンプルなクリームケーキである。
お湯も沸かして、イチゴの酸味とホイップクリームの甘みと濃厚さを邪魔しない、爽やかなダージリンのような紅茶をつけて、彼女に差し出す。正直、こっちの紅茶の銘柄はわかっていない。なので、香りと味を自分で確かめて、出している。
一人、お忍びでやってくる彼女の席はいつもの、奥まった場所。建物の死角である。
「れ、レン……言ってねぇよな。アタシが、その。こんな、女みたいなのを食べてるって」
「隠さずともよいと思いますがね。貴方は可愛らしいのですから」
「だ、だって! こんなでっかい剣をぶんまわして、ドラゴン伸すような女が……かわいい、わけ、ないよ」
しゅんと落ち込む彼女。
彼女は『怜悧の剣』のリーダー、ミリアスト。小柄で、ふわふわとした赤毛を高いところで一本に纏めている。悪く言えばやせっぽっち、よく言えばスレンダーな彼女から繰り出される斬撃は、振るうだけで真空刃を巻き起こす、らしい。
ミリアストの剣に、断てぬ物なし。そう吟遊詩人が歌うほど、剛の剣を極めた人物であるらしい。らしい、というのは、全て又聞きだからだ。実際に戦っている姿を見た事はない。
おとなしそうに見えるが、いつもは自信に満ち溢れている。顔も可愛いのだが、どうにも彼女には自分がガサツな女だという思い込みがあるらしく、似合わないからと好きなケーキもこっそりと、ここで食べるに終わっている。
「可愛いですよ。少なくとも、俺は笑いません。そうやって、美味しそうに食べてくれるミリアストちゃんだから、ケーキを作ろうと思ったんですよ」
当初、甘味なんてそもそも置いてなかった。
けれども、彼女がこっそりと『食べたい』と打ち明けてくれたので、置くようになった。ちなみに、食べたいものは? と訊ねて言いよどまれたので、更に突っ込んで出してもらった答えである。
男性ばかりだった店も、一般女性もが入れる場所になったのだ。
「……ホント?」
「本当ですよ。自信を持ってください。可愛い貴方だから、俺はもっと腕を磨こうと思ったのですよ。……今日のケーキはいかがですか?」
「美味しい。……ホント、最初拾った時はどうなるかと思ったけど、大将、なんて呼ばれて。もう一人前じゃないか?」
「自分で食い扶持が稼げてますからね。一人前、と言っても差し支えないでしょう」
そう、俺――柳葉蓮を拾ってくれたのは、ミリアスト率いる――『怜悧の剣』だったのだ。
俺は懐かしむように、過去へ思いを馳せた。
序章 始まり
「……あれ?」
違和感。
三月十五日、天気予報では生憎の雨。
起きれば、からっからに晴れている。まぁそれはいい。それはいいのだ。
問題は俺が寝転んでいた場所にある。
地面を押し返すかのような反発。その正体は、草だった。名前も分からない草が、押し上げている。
「……俺、部屋で寝たはずだよな」
思い出してみる。
昨日寝たのは、転々とした暮らしの中で落ち着くことになった、アパートだ。
1DKの部屋は思いの外、狭かった。そんな窮屈さは一切ない。なにせ、遮蔽物も建造物も周囲に見当たらなかったのだから。
それに、こんな草原なんて、故郷では見たことがない。
阿蘇の方に旅行に行ったら、確かこんな景色が広がっていたな、くらいだ。
どこまでも。遠く遠く、草原。
爽やかな風が吹く。そのたびに波打つ、草の海。
幻想的な光景に和んでいたのも三十秒程度。靴も何もない、ジャージ姿の俺に危機が訪れる。
「いっ!?」
狼だった。牙が見るからに凶悪そうで、低くうなり声を上げている。
「か、勘弁してくれ!」
俺は逃げる。狼には敵わないが、俺も五十メートルは五秒後半と俊足だ。逃げて、逃げて、逃げ――
「ぐあああっ!?」
タックルされ、地面に転がる。
突然体を襲った痛みに、混乱する。
そこへ、狼がその口を開けて、近づいてくる。
嫌だ、嫌だ!
ワケも分からずに死んで堪るか……! こんなのは、いやだ!
――と、
「ッらぁ!」
それは一瞬だった。
一瞬で、俺を食い殺そうとした狼は真っ二つになり、血飛沫を草原に撒き散らす。
真っ二つにしたのは、身の丈もあろうほどの巨剣だった。ほんのりと赤いその剣は陽光を受けて照り映える。
持ち主は、華奢な女の子だった。顔つきを見るに、十四、十五くらいの年頃か。にしては小さいが。
更なる状況の変化に混乱して口を開けずにいると、彼女は溜息を一つこぼした。
「ったく。一般人が平原で……って、見ない格好だな。なんだそりゃ」
それはこちらの台詞だった。
彼女はえらく薄着だった。黒いインナー、おへそが見えている。下もスパッツのようにぴっちりしていて、腰には紅蓮の布が巻きつけられている。
そして、胸に銀色の防具をつけている。最低限、身を守るためのもの。それは分かるが、何でまたそんな格好を。
彼女は上から降ってきた。見上げると、何かいる。翼を広げているのは……馬!? 馬が空飛んでる! なんだあれ! 地面に降り立ち、その場所で止まっている。
「え、ええっと。俺、気づいたらこの草原にいたんです」
「は? 誘拐でもされたのか?」
「分からない。分からないけど、ここは俺の住んでた場所とは違う、ってのは分かります」
「……お前、名前は」
「柳葉蓮」
「は? どこで区切るんだ?」
「柳葉、で区切るんだ」
「ってことは、ヤナギバが名前なのか?」
「ああ、違うんです。俺は蓮。多分想像通りなら、俺の名前はレン・ヤナギバってことになります」
「……ああ、東のヤツなのか。そんなの、東の離島に住んでるヤツの名前だぜ?」
「うーん。そもそも、ここってどこなんだろう。地球で、日本って言う国……ですよね?」
「馬鹿か。ここは、ヴェルタスティアって星だ。で、マガラ王国って国。ホント、変なヤツ」
ああ、中学生の頃、ライトノベルと言うジャンルでよくあったな。
――異世界トリップ。
いざ起こると、突拍子もなさ過ぎて実感すら湧かないよ。