1-5 「お前が、私を変えたのだ」
――「思い出させてみろ! 言葉ではなく、その剣でな……ッ!!」
――「いいだろう。忘れないように刻みつけるから覚悟してくれ」
グリスが強敵と対峙した時、いつだって先手とは相手に取られるものだ。
遠距離攻撃の手段を持たないグリスは、接近しなければ攻撃できない。
だが、グリスとは異なり、大抵の相手は魔術が使えるのだから。
――すっ、とソルティルは右手を上げて、グリス指さして、照準。
バヂィ! と雷撃が弾けて、一瞬でグリスを撃ち抜く軌道で、飛翔。
だが――。
――抜刀、一閃、両断――グリスは雷撃を引き裂いて――
――――さらに、疾走、接近。
「改めて……、よく動くな」
ソルティルが僅かに目を見開いて、喜びの滲んだ声を零した。
雷撃を斬るのは、先程の焼き直しだ。
つまり、あれはまぐれではない。
あの時は、疑念だった。
『ニール』によく似ている。
待ち焦がれた想い人に、よく似ている。
疑念であり、淡い期待。
しかし、今はもう、確信に変わっている。
ソルティルは、腰に帯びる二本の剣の内、一本を抜き放つ。
キィィン――……と、甲高い金属音が、闘技場に響き渡る。
「なんだよ……、この期に及んで焦らすのか?」
鍔迫り合いながら、グリスが不満そうに言う。
ソルティルが抜いたのは、七つだけのSランク武器ではない。
《グレイスレイヴ》を容易く抜くことはない以上、大抵の相手は予備の剣で済ませる。
予備とはいっても、Aランクの剣だ。
この剣でさえ、たった七つのSランク武器でもなければ、そう簡単には倒せないだろう。
それでも、グリスが怯む理由になどならない。
グリスは、世界に七つどころか、唯一の頂点であるラスボスを超えなければいならない。
グリスは、今ここで、《グレイスレイヴ》を抜いたソルティルを倒すつもりだ。
であれば当然、グリスがソルティルにとって、『大抵の相手』に留まるはずがない。
「不満ならば、抜かせてみろ」
「言われずとも、ナメてくれた代償は払ってもらうさ」
激しい剣戟。
ソルティルが、大きく剣を振り上げた。
渾身の一撃が、来る。
グリスとソルティルでは、根本的に魔力量にあまりに差がある。
ソルティルの莫大な魔力を込めた一撃を、グリスはまともに受けることはできないのだ。
真正面から受けてしまえば最後――間違いなく、彼の刀は破壊される。
「砕け散れ」
その刀も、蛮勇も、一切を破壊する――そんな想いを込めた言葉と共に、ソルティルは剣を振り下ろした。
対して、グリスはその全てを余さず捉えていた。
振り下ろされてくる剣の軌道。
そこに対して、刀を添える。
剣と、刀が触れる。
グリスの手に、力が伝わる――同時、その力の方向性を捉え、捻じ曲げる。
力の加減、力を入れる向き、タイミング――何か一つを、少しでも誤れば、簡単に押し負けていただろう。
激流を受け止めるのではなく。
激流を、乗りこなす感覚。
グリスにより軌道をコントロールされた剣は、その勢いそのままに、石畳の床を叩き、切っ先を深く沈めてしまう。
グリスはそこを見逃さない。
床に切り込んでしまっている剣に対し、側面から刀で衝撃を加える。
それだけで、いとも容易く、剣は粉々に砕け散った。
《スペル・ストライクバック》よりはまだ簡単なスキルだ。
《ブレイク・パリィ》。
相手の攻撃を受け流しつつ、さらに武器を破壊するスキル。
「砕け散ったのはそっちだったな」
さらにグリスが刀を振り上げ追撃を加えようとした瞬間――バチィ! と雷撃が弾けて、ソルが大きく後方へ跳んでいた。
自身の体に《雷》の魔力を流すことで、身体能力を引き上げたのだ。
「……どうやら、重ねて礼を失していたようだな」
折れた剣の柄を掲げて、その砕けた刃を見つめながら、ソルは言った。
ソルティルは、握っていた剣を無造作に投げ捨てる。
かぁ――ん……、と虚しい金属音を立てながら、床を滑る剣。
「わかってくれた?」
「ああ……貴様は、我が《グレイスレヴ》を抜くに相応しい……、」
「あー、待った」
「……なんだ?」
「ソル……、もうその仰々しい喋り方やめないか?」
「……は?」
「そろそろ俺のことを認めてくれてもよくないか? 俺は……、ソルと、また昔みたいに、もう少し気安い関係でいたいんだが……」
「貴様……、何を……」
「それ! それだよ、ソル……昔は『貴様』じゃなくて、『お前』だったし、『ニール』って呼んでくれてたろ? あの頃は偽名だったけど、今はもう素性を隠す必要もないし……、親しい人には、『グリス』って呼ばれてるんだ。だから、ソルも……」
「きさっ、貴様……、おま……おま、きさ……おままっ……」
「おまま?」
どうしたというのだろうか、とグリスは首を捻る。
なにやらソルの様子がおかしい。
グリスとしても、今の状況は少しマズい。
なにせ、シナリオを大きく先取りした以上、この会話はまったくシナリオにない、予測不可能なものだ。
ソルの反応は、未知の領域へ突入している。
「貴様は……っ、私が、今、どんな想いで……っ! 離れている間、ずっと、どんな想いでいたと……」
「そ、それは……」
離れている間――そう、これはシナリオでも存在した要素だ。
ソルティルとグリスは離れている間、ソルティルはずっと辛い想いをしてきた。
ヴィングトール家の非道な実験。
《グレイスレイヴ》の使い手としての重責。
誰も、彼女を救うことはできなかった。
ソルティルが辛い時、どれだけ『ニール』を求めても、『ニール』が彼女を助けることはなかった。
ソルティルだって、『ニール』=グリスにも事情があったことは理解している。
わかった上で、八つ当たりをしてしまう程、ソルティルは『ニール』が好きで、甘えてしまう、弱さを見せられる相手なのだ。
「私に指図をするならば、言葉ではなく剣でしなければならないことはわかっているだろう……さあ、ここからが本番だ! グリスニル……私は貴様に山ほど言いたいことがあるが、それらは全て剣に乗せ、貴様を刻んで伝えると決めているッッッ!!」
つまり、だ――ソルティル語を、翻訳すると、こうなる。
『離れている間、ずっと寂しかったので、私はとても怒っている。それなのに、喋り方をバカにされて、さらにムカついた。もう貴様を斬る』……というわけだ。
そして、ついに――ソルティルは、七つの頂点が一つ、《グレイスレイヴ》を抜き放った。
その剣の異常性は、一瞬で明らかになる。
標準的なサイズの剣よりも、長く幅広ではあるものの、片手で扱える程に収まる。
そのはずが――間合いの遥か外側から、刃が伸びて、飛来してくる。
――――蛇腹剣。
剣の内部にワイヤーが仕込んであり、刃が分割され、鞭のように伸びる構造になっているのだ。
本来、このような異形の剣は、強度が大きく落ちるが――《グレイスレイヴ》は《神器》だ。
《神器》は、《神獣》という、最強のモンスターから取れる素材によって作られる。
《神獣》の一体である、とある『竜』の鬣や牙を加工した刃とワイヤーは、構造の異形を補って余りある、凄まじい強度を誇る。
かくして成り立つ、異形にして最強。
鞭と剣の特性を両立したそれは、剣士の間合いを外側から侵食し、蹂躙する。
猛攻の幕開けに、グリスは防戦一方を強いられる。
複雑怪奇な動きの蛇。
近づくことすらできない。
このような異形を、どう対処すればいいか?
グリスは、《グレイスレイヴ》が伸び切った瞬間を狙って、刀を叩きつけて、大きく弾き飛ばす。
同時、駆け出して接近。
これだけで、接近することができる――はずだった。
ただの蛇腹剣への対処ならば、これでよかった。
しかし――。
ソルティルは弾かれさ先の座標に、磁場を発生させていた。
遠隔での魔術発動。《雷》の高等操作による、磁場の発生。
刃が弾かれるタイミング、場所の先読み。
全ての技量が、彼女の途方もない研鑽を示している。
磁場の反発により、グリスの背後へ刃が迫る。
これで終わりだ。
これを防ぐ方法は、現在のグリスには、存在しない。
――存在しない、はずだった。
そう、『現在のグリス』には、だ。
人生一つ分の後悔を背負う今のグリスは、本来の時間軸のグリスを遥かに凌ぐ。
――雷咲流、という流派がある。
極東に住まう、『ライザキ家』という一族が生み出した剣術だ。
『神装七家』とは、まったく異なる理念で強さを求めた一族。
剣ではなく、刀という武器の操法を極めた者達だ。
魔術ではなく、剣術を追い求めた者達だ。
グリスの師は、その雷咲流の使い手だった。
「雷咲流――《流星》」
――瞬間、グリスの姿が霞んだ。
グリスには、『加護』がない。火も、水も、操ることができない。
グリスは、『魔術』を使うことができない。
しかし――グリスが、『魔力』を操ることができないわけではないのだ。
むしろ、『魔術』という、自身の『加護』に基づいた技術を一切扱えないからこそ、誰よりも『魔力操作』を極めた。
誰もが当たり前に行う、魔力による身体能力強化。
これを極めるとは、どういうことか。
通常、『身体強化』は、ある程度の発動時間を指定して行う。
その際の『出力』も、基本的には一定だ。
『走るペース』などで考えてみると、わかりやすいだろう。
短距離・長距離に応じて、自分のペースというものがあるだろう。
そして、あらゆる魔力による作用は、『発動時間』が短い程に、『出力』が増す。
しかし、『発動時間』を短くするには、そのための長い長い修練が必要になる。
通常の身体強化は、『魔力を纏う』イメージ。
魔力で体を覆い、『維持』する必要がある。
だが、グリスの場合は、自身の動きと魔力を完全に一致させる。
これにより、『出力』は爆発的に高まり、ただ『走る』という動作を強化することすら、神域の技術に至る。
――――それが《流星》。
夜空を刹那で駆け抜け燃え落ちる星の如き、高速歩法。
磁場で弾いた《グレイスレイヴ》の刃は、空を切る。
しかしそれでも――ソルティルの攻撃は終わっていなかった。
蛇腹剣は伸び切っている。
もはや今からさらに磁場で弾いたところで、グリスには届かない。
雷撃を放つ? 不可能、狙うことすら間に合わない。
格闘戦に持ち込む? 不可能、刀を持って間合いで勝るグリスの方が速い。
ソルティルは詰んでいるか?
――否。
彼女はまだ、盤上に残しているものがある。
――それは、折れた剣だった。
蛇腹剣と同時に、折れた剣を磁場で弾き飛ばしていた。
自身に突き刺さる可能性すらある軌道。
それでも、グリスがそこへ来るのならば、ちょうど当たる位置に。
蛇腹剣で仕留められていれば、それで良し。
その時は自身で飛来する剣程度、いくらでも対処できた。
「これは……お前の教えだ、グリス……ッ!」
『お前』。『グリス』。
ソルティルは、今確かに、そう口にしていた。
――「なぜだ!? なぜ私が、お前に負ける!? 私の方が、魔力も、加護も、全て上のはずなのに!」
遠い昔。小さなあの頃。戦いの道理も弁えない小娘は、そんな文句を喚き立てた。
ソルティルは、ずっと昔、グリスに負けている。
「《神器》を持っていてもなお、その先を見据えて、盤上にあるものは全て使う……強くなったね、ソル……《神器》だけじゃない、本当の強さだ」
――そして、グリスは飛来した剣を掴み取ると、それをソルティルの喉元へ突きつけた。
「それじゃあ、改めてもう一度――久しぶり、ソル。思い出してくれた?」
「まったく……お前に負けるのはいつも腹が立つ。……お前を忘れたことなど一時たりともあるわけがないだろう……バカグリス」
そして二人は、同時に涙を流した。
■ ■ ■
【SIDE:ソルティル】
――ずっとこの時を待っていた。
思っていた程、ロマンチックではないけれど、こういう物騒な在り方も、私達らしくて悪くないか。
話したいことが、山程ある。
これまでのこと。
これからのこと。
たった今、出来た疑問。
あの技はなんだ? なんだあの動きは。
どうすれば人間があんなに速く動ける?
ありえない。本当におかしなヤツなのだ、こいつは、昔から。
――――あの時もそうだった。
本当は、許されないのだ。
今だって、許されないことをしている。
私情で決闘なんて、ありえない。
だから今日のことは、最初は『風紀を乱した者の粛清』だし、今の戦いだって、パーティーメンバーの選別だ。
でも、理由はなんでもいい。
だって、ずっと、ずぅ――っと、グリスと決闘したかった。
…………本当に、本当は許されない。
私は。
ソルティル・ヴィングトールは、世界に七つしかない《神器》を持つ勇者。
私は剣。
ただ、世界を救うだけの、世界のための道具。
剣に心はいらない。
それなのに……、グリスが壊したんだ。
グリスは、私を壊したのだ。
『道具』だったのに。
『剣』だったのに。
お前が、私を、人間にした。
お前が、私を、変えたのだ。
「……おい、いつまで持っている。……返せっ」
グリスから、壊れた剣をひったくる。
私は勇者。
私は剣。
世界を救うための道具。
剣に、心はいらない。
――私はきっと、世界を救うために死ぬ。
生まれた時から決まりきった、当然の運命。
それなのに。
私は壊れているから。
世界なんてどうでもいいから、どうせ死ぬのならば、彼の剣で殺されたい。
そんな壊れた願いを、想ってしまう。
私の未来はわからないけれど。
今はただ、彼と剣を交えられたことが嬉しくて、私は涙を溢れさせた。
■ ■ ■
この時、グリスはまだわかっていなかった。
彼が本当に恐怖すべきは、『そんな程度』のことではないのだと。
この二周目の、《シナリオ》の残酷さが、この程度で終わるわけがないことを。
――――この《シナリオ》は、一体誰が書いているのかを。