今日も君が僕を走らせる
ふんふん、とご機嫌な歌声が零れている。
庭師に許可をもらって花壇から綺麗に咲き誇る花、その中の一輪に触れるとシエナはパチン、と小さな音をたてて鋏でそれを手折った。腕に提げた籠にそれを入れると、次の花に取り掛かる。
咲き始めのものは避けて、一際零れんばかりに開花しているものへと、その白い指を伸ばす。
広い王城の中には大小様々な庭園が設えられている。受付をパスすれば平民でも入ることの出来る一般公開されている庭園や、貴族がお茶会などを開く為に予約して使うもの、王城で働く人達の休憩用の場所、高位貴族だけが立ち入ることを許される場所などなど。
単純に緑化目的だったり、研究用のものだったりまで数に入れると、それらは膨大な数になる。
「シエナ様!」
ザッ、と音をたてて目の前に現れたカイを見て、シエナはおっとりと微笑む。
「まぁ。もう見つかってしまったわ」
「いつも言ってるでしょう! 護衛の僕を撒くのはやめてください、と」
カイは乱れた息を整えつつ、シエナを睨みつけた。
シンプルなドレスに、素朴な籠、小さな剪定用の鋏。けぶるような金の長い髪はきっちりと三つ編みに結われていて、その裾を飾るリボンだけが唯一の装飾品。恰好からは到底そうは見えないが、シエナはこの国の末の王女殿下だ。
「臨時の護衛の、それも補佐なんて鬱陶しいだけかもしれませんが、俺としては」
「カイ、あなたはよくやってくれています。護衛を撒くのは……えええと、わたくしの、趣味……のようなものですから」
「即刻おやめください」
カイの額に青筋が浮かぶが、シエナはころころと笑うだけだった。
彼とて分かっているのだ。シエナはちょっとそこまで、と言って姿を消すものの、必ず誰か供を付けているし、一般公開部には決して立ち入らない。
貴族の茶会の向こうで庭師と土いじりをしていた時は青くなったものだが、変装が完璧だった所為で誰にも気付かれなかったのは幸いだった。
「お部屋に飾る花を摘んでいたの」
話は終わりとばかりに、シエナは籠をカイの腕に押し付けると、また花壇の方へと向かい機嫌よく歌う。
うららかな陽気に、心地のよい風。ひらりと舞うはなびら。歌う彼女はとても美しかった。
「……でも護衛を撒いていいもんじゃないと思うんですよね……」
その日の勤務を終え、夜番と交代したカイが日報を書きながら愚痴ると、一の姫の護衛である先輩が苦笑を浮かべた。
「三の姫様は、おっとりしていて手のかからない方だと聞いているけどなぁ」
三の姫、とはシエナのことで、彼女には二人の兄と二人の姉がいるのだ。
「まぁ、王太子殿下の護衛をしていたお前には、少しお転婆なぐらいがちょうどいいんじゃないのか」
ぽん、と肩を叩いて、先輩は先に部屋を出て行く。
「気楽に言ってくれる……」
はぁ、とカイのついた溜息は、重かった。
そんな風にシエナはいつもカイを翻弄し、腕の怪我で王太子の護衛の任を解かれ三の姫の護衛補佐に就いた彼は城中を駆けまわる日々が続いた。
やがてカイの腕が全快し、とはいえ一度任を解かれたのだから次はどこへ左遷されるのか、と覚悟を決めていた彼に、再び王太子の護衛の任が下る。
「…………よろしいのですか?」
驚きに目を丸くしたままカイが言うと、王太子は軽やかに笑う。
「お前が城中を駆け回り鍛錬を欠かしていないことは、皆がよく知っている。妹の世話は気楽だっただろう? だが私にはタフな剣が必要なんだ、戻ってきてくれるか」
それを聞いて、カイは大きな衝撃を受けた。
ノックをして扉を開くと、シエナは自室で大人しく本を読んでいるところだった。
「カイ。どうしたの?」
おっとりと微笑む彼女は今まで通りだが、カイが護衛補佐として彼女に付いていた時にはなかった光景である。
護衛の先輩も、王太子もシエナの護衛は気楽な仕事だろう、と言っていた。彼女がいつもこんな風に過ごしていれば、カイとてそう思っただろう。
だが彼が護衛の補佐としてシエナ付きになった当日から、彼女はカイを撒いてどこかに行ってしまい、彼女を探してカイは城中を駆けずり回った。結果的に体力は腕を怪我する前よりもついていて、駆けずり回るカイをトレーニングだと思った周囲の者の評価も上がったほどだ。
誰も大人しい三の姫がカイを撒いているなんて、信じていなかったから。
「お兄様の護衛に復帰したんでしょう? おめでとう」
王太子の護衛は、騎士としては誉れある仕事だ。
同じ王族でも、三の姫の護衛とは比べものにならないほど。
けれど、
「お断りしました。僕は、あなたの護衛を続けます」
カイがそう言うと、シエナは困ったように微笑んだ。