5月27日に
梅雨が近づく灰色の空からは、蕭々と雨が降り続いている。
午後からは雨は止むって天気予報では言っていたのに、嘘つき。そう考えてから私は指を彷徨わせて、結局またコーヒーカップに触れた。
二杯目のコーヒーはもう冷めてしまって飲む気になれず、また窓の方に視線を向ける。
外が薄暗い所為で鏡の様になった窓ガラスには、待ちぼうけで不貞腐れた表情をした私が映っていて、ちっとも可愛くない。
お姉ちゃんのアイロンを借りて懸命に巻いた髪も、この雨の湿気の所為でへにゃりとなっていて、まさに今の私の心境みたい。
テーブルの上に置きっぱなしのスマートフォンに新しい通知はなく、時間を確認すると待ち合わせ時間からは50分も過ぎていた。
「……振られたのかな? 私」
口にすると、じわ、と心に嫌な染みが広がっていく。
彼は私よりも二つ年上で、大学のサークルで出会った。好きになったのは私の方が先で、告白したのも私。
去年社会人になった彼は、一年目は仕事が忙しいと言ってだんだん会う時間が減っていき、二年目の今年は後輩の指導を任されたから、と言って更に会える時間が減った。
仕事は順調のようで、努力すればするほど成果の出る現状にとてもやり甲斐を感じているらしい。
「好きな人が嬉しいのに、喜べないなんて嫌な子だなぁ、私……」
小さく呟いても、広がる染みは消えてくれない。
私はまだ学生で、社会人になった彼とは時間も価値観もどんどん合わなくなっていくことは当然予想出来ていた。それでも互いを思い合っていれば乗り越えられる、大丈夫、と考えていた。のは、甘い考えだった。
彼は私と会っていても、職場の後輩からの連絡にはすぐ対応する。勿論それは先輩として、指導係として当然のことだとは思うけれど、その後輩が女性だと聞いてしまったら、モヤモヤするのは止められない。
ひょっとしたら今日は、その彼女に会っていたりする?
ようやく会える約束の日に、どうして私は一時間近くカフェで一人でいるの?
そんな筈はない、と思うのに、モヤモヤが広がっていく。
本当は分かっている。社会人一年目の彼が、仕事でミスをしたり苦労したりしている時に私は何もしてあげられなかった。
気分転換を提案したり、ただ傍にいたり、逆に一人にしてげるぐらいしか、出来ることはなかった。
彼のことが好きで好きでどうしようもないのに、私が彼にしてあげられることは少ない。学生の頃ならば、近い目線を持っていたけれど今はちっとも同じものを見ているとは思えない。
「離れた方が、あの人は楽なのかなぁ……?」
忙しいのに時間を作ってくれてデートしている時、彼はいつも疲れた顔をしていた。眠そうにしていた。
帰って寝た方がいいよ、と言ってあげられたらよかったのに、私は彼に会えるのが嬉しくてその言葉がいつもなかなか言えずにいた。
好きな人が、私がいない方が楽なのだとしたら、私から離れてあげることが愛なのかな?
早く彼に来て欲しい。でも、来て、彼の目に映る感情を見るのが怖い。
もし、私と別れたいと思っていたらどうしよう。
どんどん悪い考えばかり浮かんでしまう私のところに、彼が到着してしまう。あんなに待ち望んでいたのに、今は顔を上げることが出来ない。
「……待たせてごめん」
彼が向かいの席に座る僅かな音、それから声。またカップに触れて彷徨う指が、きゅう、と彼に握られる。
「奈々」
名を呼ばれ、恐る恐る顔を上げると真剣な表情の彼がいた。
この人を本当に愛しているのならば、その願いを叶えてあげることこそ、愛なのだろう。
だから、どんなことを言われても、私は受け入れるわ。
「待たせて、ごめん」
もう一度言われて、私はつい笑ってしまう。さっきまであんなに待っていることが不服だったのに。
彼はもう片方の手で取りだしたのは、ケース。ぱこ、と開くときらめく指輪が鎮座している。
「……もうなかなか会えない日が続くのは、嫌なんだ。家に帰ったら、奈々にいて欲しい」
「え……?」
驚いて目を丸くする私に、彼は続ける。
「結婚してくれ」
いつの間にか外は晴れて、七色の橋が架かっていた。