妻(処女)の血しか飲みたくないヴァンパイア伯爵は永遠の愛(童貞)を誓う
嗚呼、彼女の血しか、飲みたくない。
「伯爵様」
「伯爵様」
ねっとりと絡みつくような声と、視線。
媚びと色気の違いも分からん小娘どもが、私に触れられると思うな。
苛立ちを隠しもせずにホールを横切るが、追従してくる女達の多いこと多いこと。自分こそは私に相応しい、とでも勘違いしているらしく、少しでも暗がりがあれば恥ずかしげもなく胸元を寛げてこようとするのだ。
確かに私は、誉れ高い吸血鬼伯爵だが、こちらにも好みというものがある。どれほど空腹であっても泥水は啜らないだろう、そういうことだ。
「あっ、伯爵様!」
何もないところで躓いた様によろめきこちらに倒れ掛かってきた、人間でいうと年増、私に言わせれば小娘を、さっと避ければびたん! と彼女は床に倒れる。
そこそこ距離があったのだから、よもや私の所為などと世迷言を言うわけにもいくまい。
ひどい! という小娘の声も聞こえたが無視だ。実際、紳士としてはひどいのだろう。しかし、これまでの短くない時間に得た経験で、こちらが少しでも親切心を出したり紳士として振る舞えば、隙アリとばかりに自身をねじ込んでくるのが常だった。
飢えた獣のように、否、まだ飢えた獣の方が分別があるだろう醜悪な様は見飽きた。
そのままホールを出て、階段を上がる。ぴかぴかに磨かれた石造りのそれに私の姿は映らないが、まぁ私が美しいのはよくよく知っている。
美しさは罪だ。
そしてこの美貌を以てしても、いまだ手折らせてくれないのが、私の最愛の妻。
「ジョセフィーヌ」
大きく扉を開けて中に入ると、勢いよく銀のフォークが飛んできて私のすぐ横の壁にキンッ! と音をたてて刺さった。
今宵も我が最愛の妻は、惚れ惚れするぐらい恰好がいい。
「レディの部屋にノックもなしに入らないでくださいませ、伯爵」
我が最愛は椅子に座ったまま別のフォークを手にして、何ごともなかったかのように食事を再開した。
つれないところも、ますます愛おしい。
「食事中に失礼、マダム」
「あなたとの結婚は卑怯な契約の所為です、私はマダムだなんて呼ばれたくないわ」
キッと燃えるような瞳に見つめられて、私は内心身悶えする。
こんな苛烈な視線、彼女以外に向けて来る者はいない。どうしようもなく心地よくて、彼女の向かいの席に座ると、すぐにナイフが投げられる。
それを微笑んだまま避けると、彼女はチッ! と淑女にあるまじき盛大な舌打ちをかました。そういうわざと粗野に振る舞って私に嫌われようとしている姿も、いじらしい。可愛い。食べちゃいたい。
物理的に。
「……何かおぞましいことを考えていますね」
ぎろりと睨みつけられて、紅潮することのない頬に朱が立ち上りそうだ。お見通し、だなんて仲良しのようではないか。
「ハッ、これが熟年夫婦の以心伝心……?」
「脂下がった顔で人の体をじろじろ見て来るスケベジジイと思考が同じなだけです。あと私と伯爵は互いを認識してから半年も経っていないので、熟年という表現は間違っています」
そう。
半年前に、ある夜会に出席していたジョセフィーヌに一目惚れした私は、彼女の生家である子爵家が多額の借金を抱えていること、その借金を返す為に彼女が身売り同然で成金スケベジジイの後妻に入ろうとしていることを知って、私は全ての権利を強奪したのだ。
彼女との結婚も借金も、何もかも。
しかし、相手が吸血鬼伯爵たる私だと知ったジョセフィーヌは盛大に怒り、スケベジジイの後妻の方がマシだったと啖呵を切ったのだ。
何度思い出してもあのシーンの彼女は最高だった。抑えきれない怒りと絶望、そして諦めるものかという不屈の闘志。
認めよう。
永遠の命を生まれながらにして持っている私には、あの煌めくような魂の一瞬の輝きは、どうあがいても得ることの出来ないもの。
それゆえに、我が最愛は美しく、これほどまでに私を虜にする。
「ああ……我が妻は今宵も最高に美しい。君の血は、どれほどの甘露にも勝るだろう」
「……」
毎夜繰り返す言葉に、もうジョセフィーヌは返事もくれない。そういう冷たいところもゾクゾクしてしまう。
「君の血を早く飲みたいよ、ジョセフィーヌ」
「ご冗談を。もしも、私の血をあなたに差し上げる時が来るとしたら、それは私が死ぬ時ぐらいですよ」
へっ、と下品に笑って、ジョセフィーヌは今夜もニンニクたっぷりの料理を平らげる。それが私への嫌がらせになると信じている、本当にいじらしくて可愛い妻なのだ。
私のことだけを考えて、食事メニューまで変更している。これはもはや愛と言っても、過言ではないだろう。
「そんなことを言わないでおくれ、ジョセフィーヌ。君を亡くしたくないから、血を飲ませて欲しいんだ」
「ご冗談を」
もう一度繰り返して、彼女はこちらを睨みつけたまま、小さな口を開いて料理を食べる。
賢くいじらしい、可愛い可愛い彼女は知っている。
私が、彼女の命の輝きこそを愛していることを。
そして私が彼女の血を飲み、同族とした先で私が彼女への愛を失ってしまうかもしれない、ということを。
そんなことはあり得ない、と私は確信しているけれど、可愛い彼女は不安なのだろう。
まあいい、と私は考える。我が最愛の不安が消えるまで、気長に付き合い続ける甲斐性こそ、夫の役目というものだろう。
幸い、私には時間はたっぷりとある。
「愛しているよ、ジョセフィーヌ」
嗚呼、彼女の血だけが飲みたい。それ以外は、何もいらない。