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36. 四ノ宮 昂良③


 昂良はずっと不満だった。

 自分の周りにあるものが。

 当然のように受け取ってきたものは、全部自分が望んだものでも、頼んだ事でもない。


 彼らは昂良に擦り寄れば、得られる恩恵がある。だら近付いてくるんだと、気付いてしまった。

 それまで鮮やかだった自分の世界が壊れた瞬間。


 少し仲良く接するだけで、施しを受けたように喜ぶ彼らに気持ちが悪く思う。こんなものが自分が抱え込み、囲まれ、満足していた世界なのかと。

 急に世界が黒白に変わってしまった。


 それから昂良は自分に関心を示さないものを探すようになった。友人も、金持ちは嫌いだとあけすけに嫌悪を示す輩を。恋人も、昂良は好みじゃない、釣り合わないと言って距離を取る者を。

 けれど駄目だった。

 気を許すと皆昂良に依存する。

 あれだけ置こうとしていた距離を詰め、笑顔で自分に擦り寄ってくる。


 あんなに勉強が大事だと言っていた彼女も、もう昂良から離れない。成績が落ちるより昂良に捨てられるのが嫌だと、今では自分の上で毎日のように腰を振っている。

 ……ああ、もう嫌だ。

 欲しいのはこんな物じゃないのに。


 兄のように何も与えられない存在だったら、何でも有り難かだって受け取るのだろうか。

 旅館で使用人のように働く事も、親が決めた婚約者にも納得し、受け入れて……幸せだと思えただろうか。


 兄は……


 どうしているだろう……


 十八歳になり、昂良はすっかり途方に暮れていて、ぽつりと呟いた自身の声に従う事にした。


 父の秘書の挾田(はさだ)に声を掛け、異母兄がいる事を相談した。

 挾田は三十歳でまだ駆け出しで、気さくな性格。何より昂良を可愛がり、よく気にかけている相手だ。

 彼は昂良に兄がいると把握していたようだが、昂良が知っているとは思わなかったようで。父母に内緒でどんな人か知りたいと懇願すれば、困惑しながらも応じてくれた。


 やがて受け取った書類には、正式に旅館の後継者になると決まった事。婚約が内定した事が明記されていた。兄は具体的に何をしているのか、調べようとしても学業と兼業して旅館経営の修行をしている以上の事は分からないようだった。

 四ノ宮の家は口が堅いと、秘書の彼は言っていたが、それ以上何も無い、というのが理由といった風でもあった。


「これといって面白い話なんてない人でしたけど……ああそうだ。婚約者の他に恋人がいるのではないか、なんて噂話はありましたよ」

 苦笑する秘書に、昂良は受け取った報告書をぺらぺら捲った。

「浮ついた話は口が軽くなるのかもしれませんね」

 明るい口調で何でもない事のように付け加えるけれど……

「報告書には書いてないみたいだよ」

「噂、ですから。相手の素性も知れませんし」

「兄が隠してるという事かな?」

「……そんな風でもありませんでしたね、なんて言うかこう……初恋?」


 そう言って笑う秘書に昂良は目を丸くした。

「初恋?」

「ええ、幻影のようなものでしょう? それに呆けているそうですよ」

「……」


 初恋なんて、昂良には覚えがない。

 恋らしきものは沢山してきたけど、どれが初恋だったかと言われたら分からない。

 本当にどうしてそんなに、兄ばかり……

 

「まあ、結果ただの十九歳の子供というのが結論です。将来を約束された昂良さんが気にするようなものは、何もありませんでしたよ」

「そうですか……」

 どうして誰も気付かないんだろう。

「あんな旅館くらい、くれてあげれば良いでしょう」

 そんな旅館を貰う、兄の方がずっと恵まれているのに。

「もし、その……」

「え?」

「あ、いや……その、兄の相手を調べる事は、できませんよね?」

 何を言い出すのかと、自分でも思う。けれど止まらなかった。もしかしたら、もしかしたらの話だから。


「え、うーん……そうですねえ、出来ない事はありませんが……」

「出来るんですか?!」

 驚きと期待で声が弾けるように熱を帯びる。

「……昂良さんが言うなら。ええ、調べてみます」

 そんな昂良の様子を見て、挾田はにこりと笑う──


 もし兄の初恋を手に入れる事が出来たなら……自分はやっと一つ、何かを見出せるのではないだろうか。

 そんな思いが心を揺さぶった。


「じゃあ、お願いします……兄の事、知りたいんです。いつか会うかもしれないし、書類上の事だけでなく、どんな人なのか……」

「はは、そうですか。分かりました」

 昂良の心情など梅雨知らず、挾田は人好きのする顔で笑っていた。


 ◇


 それから暫くして挾田がやっと掴んだのが、千田家の令嬢というものだった。千田は創業者が一代で成り上がった家だけれど、今は経済界でも無視出来ない程の影響力を持つ。その創業者には年頃の孫が何人かいた。


「この中のどれか……」

「そうですね、でもこの人たちの誰より昂良さんがお付き合いしている相手の方が、ずっと素敵ですよ」

 挾田は褒める訳でもお世辞を言う訳でもなく、本心でそう言っているのだろう。


 彼女もまたどこぞの令嬢で、昂良に興味を示さない人だった。だから一緒にいたいと思ったのに、結局今迄の彼女と同じ。昂良にのめり込み、今では結婚のふた文字に目をぎらつかせている。

 もうそんな歳になったのかと、ふと思い立ち、父の事が頭を掠めた。

(今の彼女には父母も納得しているけど)


 どんな偶然を装ったのか、デートの時に両親に鉢合わせてしまった。その際きっちり挨拶してみせた彼女に舌を巻いたものだ。

 家柄も問題無く、自分に自信のある彼女は胸を張り笑顔だった。両親にも好感触であったものの、昂良の方は将来の事まで仄めかされて、うんざりしたものだ。

 分かったのは自分と父は違うという事。

 家柄や価値観で将来を決めてもきっと納得できない。


 そもそも求める物を見出したから傍に置いていただけで、生涯を共にしたいなんて言っていないのに……

 或いは父もこうだったんだろうか。例え彼女に子供が出来たとて、気持ちは変わらない。


 ……ただ、彼女の場合は家柄に問題がある。

 このまま飽きたと別れれば、責任を追及されるだろうし、逃げる事も許されないに違いない。


 だから、

 彼女が納得するようなステータスを持った相手。

 そんな男が近寄れば、彼女はどんな反応を示すのか興味があった。


 だから試した。

 あっさりと鞍替えした彼女に苦笑しつつ、昂良は彼女と別れた。


 ──例え女好きと噂がある男でも。

 好きだ、お前だけだと熱っぽく言われれば、自分は他の女たちと違うとのめり込むものらしい。自分に自信のある女なら、尚更。


『あなたは自分にのめり込む女性を、可愛いと思わないんですか?』

 お下がりの彼女に満足したらしい。不思議そうな顔をする男に昂良は鼻を鳴らした。

『そう思うなら、あんたは何で色んな女に手を出すんだよ?』

『沢山の可愛いを知りたいんですよ』

 にやりと笑う男に昂良の理解はやはり追いつかない。

『全部同じでうんざりするだろうに』

『しませんね、毎回どきどきするんで』

『どきどきか……』

『しませんか?』

『よく分からない』

 そう言うと男は肩を竦めた。

『勿体無い、それだけ恵まれているのに。そのご自身の価値を分かってもいないなんて』

『価値……か』


 父母のような価値観は分からない。

 分からないし、自分で決められないなら、他人を物差しにするのもありだろう。


 兄の初恋。


 彼女を手に入れれば、あの兄は自分をどんな目で見るだろう。もしかしたら彼女の心も兄に残ったまま、自分を受け入れる事になるかもしれない。

 そう思うとぞくぞくする。

(どきどきなんて、目じゃない)

 やっと目にした充実感に、昂良は喜びに震えた。


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