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34. 四ノ宮 昂良②


 高校一年の夏休み。

 一日くらいなら親だって誤魔化せる。何なら祖父に口添えして貰ってもいい。

 とにかく昂良は自分の胸に溜まる靄を晴らしたかった。

 年賀葉書を持ち出して、祖父の元へ向かう。

 そしてもう一つの目的は異母兄。

 彼はどんな存在なのだろうか……

 

 四ノ宮の経営する旅館、凛嶺旅館に辿り着き、果たしてどうやって祖父に会おうかと頭を悩ませる。

 勿論正面から行っても構わないのだけれど、確か前回……もう五年も前になるが。

 その時はそうやって訪れ旅館の特室に泊まったのだ。実家だから当然だと父は言っていたけれど、あの時の従業員たちの取り澄ました表情を昂良は気に入らなかった。


 何処かこっそりと入り込める場所はないだろうか……

 だだっ広い敷地をぐるりと回っていると、庭園が見えてきた。……確かここを抜けた先に祖父が住む奥座敷と呼ばれる庵があった。旅館の近くは山間で、幸い今は人目もない。昂良は柵を越えて旅館に忍び込んだ。


 綺麗に整えられた竹林に隠れ、記憶を頼りに庵を目指す。すると前方に人影が見え、慌てて身を潜めた。

 ざっざっ、と音を立てて、竹箒を持ち落ち葉を掃いて焚き火をしている。藍色のお仕着せは確か使用人のもので、その着物と後ろ姿から男だと分かる。けれど髪が金髪だ。格式高いと言われているこの旅館で、そんな事が許されるのだろうか。

 

 訝しみながら観察していると、油断が生じ小枝を踏んでしまった。足元からパキリ、と乾いた音がする。

 音に釣られて振り向いた顔とばちりと目が合い、昂良は息を飲んだ。

「……とっ」


 言いかけた言葉ごと、昂良は慌てて唾を飲み込んだ。

 ──父さん

 そう口にしそうな程、目の前の少年は父によく似ていた。

 心臓がばくばくと鳴る音が、昂良の身体を駆け巡る。

 つまりこの男が、自分の兄……

「……ふっ」


 思わず笑いが込み上げそうになる。

 兄だなんて警戒していた母に話してやりたい。やってる事はただの使用人の仕事じゃないか。父の考えが合っていた。

 僅かに覚えていた不満も、今この光景を目にした事で吹き飛んだ。旅館の相続とは言ってもその実権は父、()いては自分の物なのだ。つまり彼は所詮使用人の域を出ない。

 抱えていた靄が晴れるような気分と共に、強張っていた身体が弛緩していく。


 そんな昂良の内心を見透かしたように、兄は薄らと笑みを作った。そのどこか怪しげな表情に昂良の背がぞくりと泡立つ。

 青く茂る庭園の中、ゆるゆると立ち込める煙と火の爆ぜる音が、兄と二人の空間へと昂良を包んでいく。

「こんにちは、どちらへお出掛けですか?」

「……っ、庭園を散歩しているんだ。いいだろう、別に!」

 忍び込んだ後ろめたさは多少あるから、客の振りを装って誤魔化そうと試みる。

 けれど兄は笑みのまま、首をことりと倒した。


「大変申し訳ありません。この先は関係者以外は立居入り禁止ですので、ご遠慮頂いております」


 その関係者だと、言ってやりたい気分で昂良は息を吐く。

「ふん、別にいいじゃないか、散歩くらい。客に多少の融通を効かせるものだ」

「お客様、ですか……?」


 そう呟いて兄は黙り込み、やはりゆるりとした笑みを崩さない。その様に昂良は次第に苛立ち始める。

「そう言っているだろう、それに何だよその頭は。客商売するなら黒く──ああ、いっそ丸めてしまったらどうだ? きっとその格好に良く似合う」


 けらけらと笑ってやるも、兄は何の感情も見せない笑顔のまま、変わらず道を塞ぐように佇んでいる。

 その態度に昂良の我慢が切れた。

「おい! もういいからそこをどけよ」

 そう声を張れば、やっと朔埜の表情から笑みが抜け落ちた。

 

「──ああ、ったく。三芳が掃除でもしてろ言うんも分かるわあ。何で俺がこんなクソガキの相手に寛容にならなあかんねん」


 場の雰囲気をぶち壊す低い声に、昂良の身体がギクリと固まる。

「な、なんだって……?」

「邪魔や、とっとと出てけ」

 見れば妖艶な笑みはいつの間にやら歪な笑みになっていた。

「えっ」

 動けないまま、振り上げられる竹箒を呆然と見上げていると、後ろから強く手を引かれた。


「も〜、朔埜ったら〜、お友達に意地悪しちゃ駄目って言ってるでしょ〜」

 驚きに顔を上げると、そこには可愛らしい女の子が昂良の腕を掴み、佇んでいた。

「……意地悪って何やねん、これはただの躾や」

「そんな躾はいけません〜」


 腕を引かれるまま数歩下がって、昂良は自分の腕に絡まる女の子を改めて振り返る。

 ──凄く可愛い。

 昂良が付き合ってきた子は常に学校で一番可愛い子だったけど。見慣れたそれよりずっと垢抜けたその子に、込み上げた言葉を飲み込み視線を彷徨わせた。


 その女の子は昂良からするりと離れ、親しげに朔埜の腕に擦り寄る。

「朔埜〜、旦那様が呼んでるよ〜、私も学校の様子聞きたいって呼ばれて来たんだ〜」

 女の子の台詞にけっ、と悪態をつきつつも、兄──朔埜は嫌がる風もない。

「面倒臭。お前も呼ばれたからってほいほい来んの止めや」

「も〜、嬉しいくせに〜、素直じゃないんだから〜」


 その子がにこにこと朔埜の頬をつつき、朔埜は視線だけ逸らしているが、拒みはしない。仲が良い。そんな印象を受ける。

 そんなやりとりに一区切りついた彼女がくるりとこちらを向いた。

 にこりと笑うその姿にどきりと胸が鳴るのに、その寄り添う相手に複雑な気持ちになる。


「ごめんなさい〜、ここは関係者以外立居入り禁止なんです〜」

 その台詞を彼女の口から聞けば、頭を叩かれたような衝撃に襲われる。

「ぼ、僕は……か、関係……」

「言うても無駄や、乃々夏。こーゆーんは力ずくで追い出せばええねん」

 必死に紡ぐ言葉を無視し、にべもなく朔埜が答える。

「も〜、駄目だってば〜」

 それを制しつつも朔埜に戯れつく彼女に昂良はむっと顔を顰めた。

 そんな昂良の様子に気付いた乃々夏と呼ばれた少女がさっと朔埜から手を離す。


「あ、ごめんなさい……あたしたち婚約者なの。それで、つい……」

 許してね、と柔らかくはにかむ乃々夏に昂良は思わず声を荒げた。

「婚約者……?」

 変わらずそっぽを向いたままの朔埜を宥めるように手を添えて、乃々夏は嬉しそうに続ける。

「そう、親同士が話してね。まだきちんと決まってないけど、きっとそうなるの。だって旦那様のあんな顔は初めて見るから」


 頬を紅潮させ話す乃々夏はとても愛らしい。

 旅館の後継者という立場には、こんな可愛らしい少女との婚姻も用意されるものなのか。

 朔埜に対して益々恨めしい気持ちが募っていく。


「朔埜ー、乃々夏ちゃーん」


 遠く、名前を呼ぶよく通る声。

 数年前の記憶と重なり昂良の頭を刺激した。

 祖父だ。

 けれど何故か身体は反転し、昂良はその場に背を向けて駆け出した。


「あ、おい」

 呼びかける朔埜の声に振り返る事はない。

 ここまで来るともう、祖父が昂良の助けとなるとは思えなかった。

 いや、分かってしまったと言うべきか。

 この地に住む祖父が後継者の座と婚約者を用意し兄を迎えている。つまり認められているのだ。

 それがあの時向けられた昂良への眼差しと、どれ程違うのか……とても目の当たりには出来ない、したくない。


 それでも離れた場所で、後ろ髪を引かれる思いで振り返る。

 焚き火から上がる煙が薄く彼らを隠し始めて、きっと向こうからも昂良は同じように見えていない筈だ。


「誰かいたのか?」

「……別に」

「迷子みたいでした〜」


 なのに見えてしまう。祖父と乃々夏の眼差しに、優しさと慈愛……そして期待が込められているのを。


(羨ましい)


 何でも持っているからと言って、それが昂良の望む物とは限らない。初めて自分から欲しいと求めた物だからこそ、これ程までに輝いて見えるのだ。

 燻る煙すら、晴らしてしまう程に……


(狡い……)


 兄は昂良の欲する物を持っている。

 けれどそれは元々昂良のものだった。

 

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