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33. 四ノ宮 昂良①


 四ノ宮 昂良は産まれも育ちも東京だった。

 良家の令息、一人息子として大事に育てられ、そこに疑問を持つ事など何もなかったし、良好な家族関係から、そんな必要も無かった。


 十五歳のある晩、父母が小声で諍う声に気が付いた昂良は息を詰め、声のする方へ近付いた。


「あんな女の産んだ子を後継にするなんて! お義父様は一体何を考えているの?!」

「いいじゃないか、君は旅館の女将だなんて嫌だって言ってただろう? 東京で成功してこうして旅館経営なんかよりずっといい暮らしをしてるんだ。あんな古臭い縛りのある家の一つ二つ、くれてやるくらい構わないだろう」

「……それは、あなたがその子に後ろめたさを覚えているからでしょう?」

「何だって?」

「あなたにとっては青春時代を一緒に過ごした大好きな相手との子供だもの……情があっても不思議じゃないわよね」

「あのなあ……何度も言ったけど、僕が結婚したいと思ったのは君なんだ。過去に付き合っていた女性を蒸し返すのはいい加減にしてくれないか」

「子供まで作っておきながら何言ってんのよ!」

「出来てしまったんだから仕方ないだろう。それに君だって納得して僕と結婚してくれたんだろう?」

「それは、そうだけど……」


 母は良家の令嬢だ。

 既に子供がいる相手に嫁ぐには、或いは嫁に出すには説得と、お互いの熱意も必要だったろう。


「彼女には充分な養育費を支払ってあるし、もう縁は切れているんだ。……子供の方は仕方がない。親父の決定だからな。だからって何も恐れる事はない。ただの旅館の経営者だ」


「分かってるわ……でも不安なの……」

「そんな必要は無いよ……」

 お互いを思いやる言葉と気遣いが壁の向こうから聞こえてくる。

 ただ父母がお互いに見てるのは自身ではなく、その背景だけれど。

 彼らにとってそれは愛情より大事なもので、そんな価値観で繋がり、縛られている『家族』。


「……」

 そんな似たもの同士でいつまで経っても仲の良い二人から傍立てていた耳を離し、昂良はふーんと鼻を鳴らした。


 兄がいる。


 結婚の際に母に話してあるというなら、そうなのだろう。子供が出来ていながら結婚しない父にどうかとは思わない。自分も今付き合っている彼女と結婚するかと言われると、返事はノーだ。子供が出来たとて考えが覆るとは思わない。

 父もそんな付き合いの相手だったんだろう。ヘマをした。自分は気を付けよう、と思うくらいだ。


 ただ……


「兄、ね」


 すっかり夢中になり出した父母に、昂良の呟きはもう聞こえない。昂良は自室に戻りながら京都の旅館とそこに住む祖父の顔を思い浮かべた。


 

 祖父には十歳の頃に会ったきりだ。

 父母が学校の成績を誉め聞かせれば、喜んでいたのを覚えている。

 けれど、何故か垣間見えた失望が、鋭く昂良を射抜いたのをよく覚えている。


 昂良は学業でも家庭環境でも、期待に添えなかった事は一度もない。だからこそたった十歳の昂良でも、祖父のそれに敏感に反応したのだ。


『お祖父様……?』

 昂良の頭を撫でた後、そのまま離れていく掌の重さを、何とも言えない思いで追いかける。

『……昂良、か。良い子に育てたな秀矢、梓さん』

『まあ、そんな。ありがとうございます、お義父さん』

『そうだろう親父、たまには遊びに来るからな。寂しがるなよ』

 ころころと笑う母に、胸を張る父。


 結婚当初から疎遠だったという父の実家に、その日昂良は父母と共に初めて訪れた。

 祖父が自分に会いたいと言ったから。

 昂良が十歳になって。両親が結婚して十年以上あった確執とか蟠りとかは一旦忘れて。親父も歳を取ったんだろう、なんて父は言っていたけれど……


 嬉しそうに会話に興じる父母を見るに、彼らは気付いていない。昂良を映す祖父の目は、確かに孫を見るそれだろう。けれど、それだけだ。そこにはいつも見てきた過度な愛情も、多大な期待も存在しない。


 昂良は産まれた時から全てを持っていた。

 物心つく前から与えられ、求められる事が当然だった。

 だからこそ敏感に感じた失意(それ)

 そうして昂良はその日、初めて自分に無価値という言葉を当て嵌めたのだった。



 それを覆した、兄──


(ふうん……)


 面白くない。


 父はチンケな旅館だなんて言っていたが、小さかろうが、大きかろうが、それは本来四ノ宮家の一人息子である昂良のものだ。

 

 それに成長するにつれ、社交の場に出れば昂良にだって見えて来るものがたる。

 父が運営している会社。それが成り立っているのは、正確には祖父の影響力。

 父が東京に拠点を移したとしても、祖父の名は必ず耳にするからだ。

 名家、老舗、良家……そんな家柄のものたちが揃って京都の四ノ宮を口にする。


『京都のお父様はお元気?』

『ええ、変わりませんよ』

『昂良さんは、旅館を継ぐのかしら?』

『いや、息子には旅館だけでなく、色々やらせてやりたいんですよ』

『まあ、そうなのね……』


 楽しみねと口にしながら、冷めた眼差しが返ってくる。

 そうして祖父と同じように昂良の価値を定め、離れていく。

 どうして父は気付かないんだろう。

 昂良と違い、褒められた事しか受け取らない。


 昂良は家でも学校でも一番で、誰も自分を無視出来ない。

 それなのに、この場では誰も彼も昂良を上辺だけ褒め、去っていく。

 何故──

 追い縋るような気持ちで、離れていく者たちを睨みつけていた。



 その理由はこれだったのだ。

 自分を認めなかった祖父と、行方知れずだった兄。

 それにあの旅館には何かある。

 自分を追い詰めていた何か、ようやく掴みかけたそれを追い、昂良は一人、京都へ向かった。


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