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29. 四ノ宮 水葉①


 翌日、史織は三芳に呼ばれた。

「警察で事情聴取というのも、あなたには辛いでしょう」

 それに旅館としては、被害者がお客様では無いのなら、可能な限り穏便に済ませたい筈だ。


 ──と、史織は考えていたが、研修を利用している会社の責任者は警察に呼び出され、その他の社員も今朝慌ただしくチェックアウトして行った。

 旅館の対応に不満を口にする者もいたが、自社社員の不祥事だ。怒りは事故を起こした社員に対するものだと、仕方なしと応じる者が殆どだったようだ。


 いずれにしても旅館側がお客様でなく、被害者とはいえ従業員を守った事が意外だった。

「あ、あの……」


 それにずっと気になっていた事がある。

「私、その……」


 名前だ。

 

 昨日朔埜が自分の名前を呼んでから、それが頭に響いてのぼせあがっていたら、はたと気付いた。

 西野 佳寿那と名乗っている筈なのに……

 

 バレて一番困るのは麻弥子だ。お見合い相手の動向を探るなんて品が無いし、当然千田の家に迷惑が掛かる。

 果たしてどう切り出すべきかと口をもごもご動かしていると、目を眇めた三芳が淡々と告げた。


「私は何も知りませんよ、全て若旦那にお任せしていますから」

「……」


 ふいと逃げた三芳の視線に置いてきぼりをくらったような気分になる。

 ……つまり、朔埜の管轄という事なのだろう。


「あなたも昨日の件は他言しないように。誰が関わっているか、旅館で共有する事はありません」


 口が堅く、旅館内での情報は漏洩させない。

 老舗旅館という言葉が頭を駆ける。

 接客業である限り、お客様第一である事に変わりは無いが、線引きはする。従業員の立場としては保護され心強く思うのだから不思議なものだ。


「ありがとうございます……」


 そう頭を下げると三芳は、はあと溜息を吐いた。

「あなたも覚悟を決めておきなさい。今よりもっと仕事に精を出し、よく働くように」


 話は以上と眼鏡を掛け、書類を手に取る三芳に再び頭を下げ、史織は三芳の仕事部屋を退出した。


 音を立てないように、するすると廊下を歩いて行く。

「覚悟、か」

 朔埜の立場では文句を言うのも当然の話だ。

 見合い相手の家の者が、探りを入れに家に入り込んだのだから。

 ……庇って貰ったと、嬉しく思っていた気持ちが消沈していく。

 

 朔埜が知っているなら、自分から謝りに行くべきだろう。昨夜確認しておいた朔埜のスケジュールを思い出し、史織は四ノ宮のパーティーが開かれる会場へと足を向けた。


 ◇


 忙しい中申し訳ないと思いながらも、歩は進む。

 何だかんだで自分は朔埜に会いたいのだ、なんて思いつつ史織は道を急いだ。


「お待ちなさい」


 そこへ低い声に呼び止められ、後ろを振り返る。

(お客様かしら)


 けれどそこには四ノ宮 水葉──朔埜の祖父が立っていた。


「大旦那様」

 慌てて頭を下げる。

 以前来たばかりの時に、三芳と共に遠目に目礼しただけだ。その際見透かすような目が印象的だった。

「すまんな急に。少し話せるかい?」


 穏やかな眼差し。

 優しい口調。

 けれどこの態度がそれだけじゃない事を、史織は知っている。祖父、千田 柳樹(りゅうじゅ)も持つ、明確な線引きを示す態度──


「……はい、勿論です」


 史織は頷き、水葉に従った。


「すまんかったの、怖い目に合わせてしまって」

 開口第一声が謝罪の言葉で驚いて、史織は慌てて手を振り否定した。

「いえ! 旅館のシステムのお陰で助かりました。ご配慮ありがとうございます」


 再び頭を下げるも、水葉は苦笑を返すのみだ。

 まあ確かに怖かったけれど……


 ホールへ向かう道を散歩道代わりに。

 少しばかり回り道を選び、水葉と二人そぞろ歩く。

 

「史織さん」


 ぴくりと身体が反応する。

 史織の名前。やはり気付いていたのだ。


「名前を偽り、申し訳ありません……」

「良い事では無いが、悪くも無かった。実はあなたが来てくれるのではないかと、儂も少し期待していたから」


 その言葉に顔を上げれば、水葉はどこか遠くを眺めているようだ。

「私がですか?」

 その言葉に水葉は微かに頷く。

「儂が思っていたのとは少し違ったけれど……あなたが朔埜に好意を抱いているのなら、あやつの心も少しは動いてくれると思ったんじゃ」

「若旦那様が……?」

 首を傾げる史織に水葉は曖昧に笑ってみせる。


「儂が詳しく言えばあやつに怒られるだろうから、その辺は朔埜に聞くといい……とにかく、あなたの事は知っていた。ここに来てくれてありがとう」

「え……? いえ、そんな」


 どこにも礼を言われるような要素は何もないのに。

 どう返して良いのか分からず史織は首を横に振った。


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