27. えっ?
因みにこの、え、は史織である。
朔埜の拳には遠慮がない。いや、史織としては庇ってもらえたようで嬉しいとは思うけれど、一従業員としては、……凛嶺旅館は大丈夫かな? である。
「わわわ、若旦那様?!」
「──っな、何するんだよ!?」
四人いた仲間が半分になり、男たちは地べたに転がる二人に驚愕している。
「そ、そうだぞ。け、け、警察に言うからな!」
「警察に言うて困るのは、あんたらや」
ドスの効いた低い声にぎくりとする男たちに、朔埜は構わず鋭い視線で続ける。
「お客様、うちの旅館は評判の宿でしてね。設備には細心の注意を払っているのですわ」
声音だけは多少柔らいではいるものの、険を含んだ眼差しは慇懃無礼と言っても過言ではない。とは言え、とてもそんな態度を諌めるような雰囲気でもない。
良く言えば閻魔、悪く言えば悪鬼のような形相で、目の前に立たされた二人はさながら裁きを待つ罪人か、差し出された生贄のような顔で立ち竦んでいる。
傍らで傍聴する史織ですら緊張が走る。
朔埜はそんな男たちの様子に満足したように、にっこりと笑い、続ける。
「うちの庭の灯籠には録画機能がついています。勿論音声録音機能付きです」
「はっ?」
「な、なんだってえ!? そんなの……プ、プライバシーの侵害だぞ!」
「共用の庭園でプライバシーとか言われましてもねえ。不審者が庭に入り込んでも困りますから、お客様の安全を重視した上での計らいですわ」
「録画、機能……」
慌てふためく二人に対し、史織の力がほっと抜けた。
これで犯罪の証拠が出せる。
「……旅館勤務は敷地面接が広い上、昼夜を問いません、中には質の悪い方もいらっしゃいますし、夜間は人員も薄くなります。一従業員で対処不可能な場合……ああ、もういいわな。面倒臭、つまりあんたらみたいなどーしよーも無いのが、うちの旅館の従業員にしょーもない事しようとするんを防ぐ為ですわ。ついでにあんたらが投げ捨てた史織のスマホは防犯機能が掛かってるさかい。緊急連絡先を押してから五分。繋がらない場合は警察に通報する仕組みになってるんやわ」
「なっ、なっ……」
青褪める男たちは朔埜と、史織のスマホが飛んで行った方を交互に見て口をぱくぱくさせている。
そうなのだ。
史織が押したアドレスは旅館の名前になっていたものの、実際は防犯ブザーの役割を果たす番号だった。
「す、すまなかった! 悪ふざけが過ぎたんだよ! 旅行に来てさ、な?」
「そ、そうだよ! あんただって分かってただろう? でも次からは誤解されるような行動は──」
三度。
男の顔に拳がめり込み、吹き飛んで行った。
……なんかもう、人の顔が半分ひしゃげて吹き飛んで行くのに見慣れてしまっている自分がいる。
残りの一人と史織が呆然としていると同時に、遠くにサイレンの音が聞こえてきた。
「ああ、来たか。遅いわ」
「えっ、ほんとに?」
ぽかんと呟く。ブラフでは無かったのか……
研修中にスマホの使い方は三芳にしっかりと叩き込まれていた。
『万が一の時はこれを押しなさい』
他にも不測の事態による緊急連絡があれば、この番号で誰かが対応、指示する。
電話口で事情を説明すれば警察への通報は取り止められるようにもなっているから、遠慮せず必ず押すように、と。
史織が連絡先をタップした時点で旅館に防犯通知がいっている。……ただ半信半疑ではあったので不安はあったが……
「なっ、嘘だろう? まじかよ?!」
「冗談やのうて、あんたらはこのまま研修中に起きた不祥事が元で、仕事はクビや」
「な、な……」
ずりずりと後退る男に朔埜が追い討ちをかける。
「逃げても無駄やで、河井はん」
「なあ!?」
史織も一緒になって驚く。
……前も思ったが、朔埜は宿泊客全員の顔と名前を覚えているのだろうか……
「──ムカつくわあ、うちの旅館を巻き込みくさって……今回は未遂だろうと、学生時代にグレーで済んでいた件も洗い直されるやろな。被害者の一人も自殺未遂を起こしとる。いい加減腹決めてきっちり相応の刑期を全うしてこい」
初犯では無いと疑ったが、そんな事件まで起こしていたとは……改めて藤本を見て顔を顰める。
(あら、でも……?)
「な、何でお前、そんな事まで知ってるんだよお……」
残った一人は情け無く泣き顔を歪めている。
こんな姿を見れば、恐怖もいくらか柔らいできたけれど……
確かに、どうして朔埜はそんな事まで知っているのだろう?
朔埜はさも意外そうに目を丸くする。
「なんや、知らんのか? 東京もんは常識が薄いのう」
そう言って朔埜は綺麗な顔をずいと河井に近づけ、気のせいか顔を赤らめる河井に挑発的な笑みを浮かべてみせた。
「──宿の主人に知らないものは無いんや」
「な、なんだよそれ! 意味分かんねーよ!」
喚く男を更に追い詰めるように、行燈を掲げる三芳の姿が見えた。その後ろには警察官の姿が付き従っている。
「ひ、ひいっ!」
警官たちは、がたがた震える河井を見て、地べたで伸びている男三人に微妙な顔をしてから、諦めたように首を振り応援を呼び始めた。
「やり過ぎですよ、若旦那……」
「……連行の手伝いをしただけやろ」
「まあ、事前に東郷はんから連絡もろてますけどね……」
「乃々夏、あいつ……もっと早よ言やいいのに……」
そう唇を尖らせてから、労るような眼差しで史織を見下ろす。
「大丈夫か?」
そっと肩を摩られ、びくりと身体が強張る。と同時に涙が溢れてしまった。
「ご、ごめんなさい……大丈夫、です」
手を振って、涙を誤魔化そうとしていたら、急に身体が傾ぎ、妙な浮遊感に襲われた。そのまま頭から朔埜の羽織を被せられ、ざくざくと何故か何処かに連れ去られてしまう。
「あ、の……」
「舌噛むから黙っとき。あーくそ、ったく。俺が迂闊やったわ、自分に腹が立つ」
凄いスピードの中、耳に届く悪態を聞きながら、史織はひっそりと鼻を啜った。
(怖かった)
再び込み上げそうになる嗚咽を奥歯を噛み締め耐えていると、史織を抱える朔埜の手に力が篭った。
「来るのが遅くなって、すまんかった……」
「……う、」
そう言ってしっかりと抱きしめる朔埜の胸で頷いて、史織は声を殺して泣いた。
◇
「府警が来てくれたみたいですから、もう大丈夫でしょう」
遠くサイレンの音に耳を傾け、乃々夏は呟いた。
「……客商売としては大事にせんで欲しいんやけどな」
「ふふ、それは勿論。四ノ宮を表に立たせたりしませんよ」
「乃々夏ちゃん──いや東郷警部補、立派になったの〜」
「恐れ入ります」
二人の様子を窺いながら、辻口は一人、安堵の息を吐いた。




