26. 拳がものをいった……
「……?」
はっと息を飲む気配と共に項垂れていた頭を上げた。
自分の声ではない。言おうと思ったけれど、それを言ったのは別の誰か。
そこには朔埜が立っていた。
スマホを片手に。息を切らせて……
「若旦那様……」
そう口にすれば誰かの舌打ちが聞こえて来た。
すかさず藤本が人当たりの良い顔で挨拶を始める。
「やあ、この旅館のご当主ですよね。何か誤解されているようですが……」
だが全て言い終わる前に藤本の顔が、顔半分に朔埜の拳がめり込み吹き飛んでいった──……
史織も一緒にぽかんとする。
痙攣しながら動けなくなった藤本は恐らく重体だ。けれど……そちらなど構ってられないとばかりに他の男たちが慌てて弁明をし始めた。
「何だよ! 俺たちは客だぞ! 客に何してんだ、どうなってんだよ、この旅館!」
「そ、そうだぞ、俺たちが何したって言うんだよ!」
焦った男たちが掴んでいた腕を離し、史織を突き飛ばす。
よろめいた身体は朔埜が受け止めてくれた。
その目が痛ましく細められ、そういえば自分は地べたに転がっていたのだと思い至る。さぞや酷い格好をしているのだと恥ずかしく、情け無い気持ちになってくる。
項垂れる史織を背後に隠し、朔埜は声を張った。
「こんな場所でうちの従業員を複数で囲んで、あなた方が何をしていたのか、聞かずともがなでしょう」
「──ははっ、そうか。この旅館はそんな早とちりで客に暴力を振るうのか。いいか、この女は昔の男に復縁を強請りに来たんだ! 厄介な奴で一人で会うのが嫌だと後輩に泣きつかれて、俺たちは協力に来てやっただけだ!」
「そ、そうだ。この女が悪いのに、何で俺たちが責められなきゃならないんだ!? この件は宿側に抗議させて慰謝料をきっちり払って貰うからな!」
気を持ち直したらしい彼らは被害者を加害者扱いしだした。いや、加害者のくせに被害者ぶり始めたというべきか……
しかし史織が藤本と待ち合わせた事に間違いは無い。違うと言い募ったところで水掛け論となり、話は有耶無耶にされてしまうだろう。
それが分かっているから彼らも勢いを止めない。そうだそうだと史織を責める。
初犯じゃないだろうとは思ったが、言い逃れもそつがないようだ。史織は悔しさに唇を噛み締めた。
「──あなた方は何を言ってるんだ?」
けれど喧々轟々と喚く男たちを一投で断ち切るような、凛とした声をそのままに、彼らに白けた目を向けて、朔埜は史織の肩を抱いた。
「彼女と待ち合わせをしていたのは──俺ですが?」
(……はい?)
流石に声には出せないが……目は丸くなった気がする……
史織が驚きに固まっている事など気にも留めず、話は続いていく。
「──ああ確かに。厄介な男に声を掛けられて、けれど客相手に断るのも角が立つからと、相談を受けてました。今日は仕事終わりに待ち合わせをして、庭園を散策をする予定やったんだやけどな……鉢合わせてこんな目に合わされるなんて……」
そう言って切なそうに史織を見る眼差しに戸惑ってしまう。
(え、演技……と、口八丁が凄い……)
「っはあ? 藤本こいつ、やっぱ疑われてたんじゃねーか!」
「ふざけんな、俺たちは知らなかったんだ。なあ、本当だよ、頼まれたんだ」
「──……」
疑う事もなく怒り出し、罵り合いを始める彼らに、言いたい事がなくも無いが……代わりに史織の肩を掴んでいた朔埜の手にぐっと力がを篭められた。
(怒っている、気がする……)
当たり前だけど。
だって嘘ばっかりだ。史織の事も、藤本の事も、挙句一人に全て押しつけこの場から逃げおおせようと喚いている。
自分が嘘を平気でつける人間だからこそ、他人の虚言に容易く惑わされてしまう。きっと事実なんて、この人たちにとって都合の良い事だけでいいのだろう。
浅ましく、小狡く、悪質な……こんな人たちを世間に野放しにしておくなんて許せない。
史織にもふつふつと怒りが込み上げてくる。
その結果、体裁を考える必要より、感情的なものが勝ってしまった。
「嘘よ!」
そう叫ぶ史織に、男たちは嫌らしい笑みを向けてきた。
「……てかさ、苦労してるって聞いてたけど、もう別の男を誑かして、楽しくやってるみたいじゃねーか」
「そうだ、さっきだって俺たちに誘われて満更でも無さそうだったしな」
「……っな、」
──何て事を言うんだろう。
朔埜に意味深に視線を送りながら、得意気に話す男に愕然としていると、再び男の顔に拳がめり込んだ。
「……え」




