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23. 思いを遂げるには

 

「俺は──、一過性のものにのぼせ上がったりせん……」

「……ほおう」

 顎を摩り、祖父が半眼を向けて来た。

「随分長い一過性じゃのー」

「……っ、うるさいわ。それに、乃々夏との約束もある。下手な事は出来ん!」


「え、あたし〜? 呼んだ〜?」

 急に背後から掛かった声に朔埜はびくっと後ろを振り向いた。

「うお、乃々夏やんけ。気配断って近付くなや……てか何してんねん、こんなところで」


「大旦那様〜、お久しぶりです〜」

 朔埜の台詞をまるっと無視して乃々夏は身をくねらせて祖父に挨拶をしていた。

「はいよ、お久しぶり乃々夏ちゃん」

 かくいう祖父も嫌な顔一つ見せず、にこにこと返事を返している。

 当主が住まう奥座敷に、招かれもせず踏み込むのは乃々夏くらいのものだろう。


「……辻口、何で乃々夏を連れてきたんや」

 乃々夏を諦めて、土間で佇む自分の手下に声を掛ければ、平坦な声が返ってきた。

「お嬢様が朔埜様にお会いしたいとおっしゃるので」


 満足そうに笑みを零す乃々夏に溜息が出そうになる。

「客間で待ってればいいやろが」

「だぁって〜」

 ほわほわと笑う乃々夏に険を向けても受け流されるだけだが……

「乃々夏ちゃん水羊羹食うか?」

「わあ、食べたい〜」

「辻口、茶淹れろ」

「畏まりました」

「……」

 

 わいわいと進む会話を聞き流し、朔埜がはぁと頭を押さえていると、辻口の携帯が震えた。

「──失礼致します、はい。辻口です……」

 そう言って電話口の相手の話を聞く辻口の表情は、次第に困惑を見せる。

「……分かりました、こちらで対処します」

 ピッと音を立て切れる電話を一拍見て、辻口は朔埜に向き直った。

「西野さんが、見当たらないそうです……」

 その言葉に朔埜の顔が強張った。


 ◇


 十五歳のある日。

 父親の意向で決められた婚約者はとても綺麗な顔をした男の子。

 けれど母はその子を「外腹の子」と蔑み、認めていないようだった。

 ……確かに名家の子息にしては、髪といい態度といい作法といい──直すべき事が多すぎる。

「そんな事言わないで下さいまし、お母さま」


 にこりと笑うと母は、悲しみより悔しさを歪めたような顔で、乃々夏に縋った。

 父は警察庁で働いている、偉い人。

 東郷という家が代々その職に就いている事から、何がしか、使命感のようなものを受け継いでいるのだと思っていた。


 けれど乃々夏は一人娘で、父の後を継ぐ事はできない。教育も勉学に重きを置かれてはいなかった。

 だから自分はいずれ誰かの妻となり、その人を支える役目を担うのだと、乃々夏なりに理解してきた。

 つまり誰か婿を取るのだと、そう思っていたのだけれど──


 何故か乃々夏は四ノ宮へ嫁に行き、旅館の女将をやる事になったのだ。

「……待望の後継者が見つかったのだ。お前も東郷に嫁いだのなら、家の為に尽くせ」

 そう諭される母の顔にはありありと不満が浮かんでいる。

 乃々夏の父母は政略婚だけど、母が父を望んで成った婚姻だと聞いている。父の事だから私情より家を守る事を第一に、母と結婚したのだろうけれど。

 だから結婚に際して、きっと東郷家を貶めるような真似をすれば即離婚する。くらいの誓約を、父は母にさせていてもおかしくない。だからこそ乃々夏は首を捻る。


 世間一般では、母の言う通り朔埜との結婚は東郷の醜聞になりうるのに。


(待望?)


 その言葉の意味を探り頭を巡らせる。

 朔埜には正妻の子が産んだ一つ下の弟──昂良(たから)がいる。四ノ宮家の嫡男は彼だ。それなのに待望とはどういう意味だろう。何故昂良を無視するような言い方をするのだろうか。

(でも、確かにお父さまは昂良に期待していないようだったけれど……)


「──どう考えても、錆びれた旅館の当主の妻より、世界規模で事業を広げる企業家の妻のが全然ええわ。何かにつけて東郷、東郷て、あなたは娘が、乃々夏が可愛くないんですか?!」

 そう言って睨みつける母をつまらない物でも見るような眼差しで一瞥し、父は乃々夏に向き直った。


「お前も母親と同じ意見か?」

 

 現当主はわざわざ瑕疵のある朔埜を見繕い、父もそれを受け入れている。


(何かしら?)

 

 父の瞳の奥にある確固たるものに興味を持った。だから、

「いいえお父様、乃々夏は東郷の娘ですから」


 顔色を無くす母を他所に、乃々夏はにっこりと笑みを作った。

 

 朔埜との時間は楽しかった。

 住む世界の違う人間と言うやつだろう。良家の子女との付き合いがつまらなく感じる程、彼の見せる世界は非常に魅力的だった。

(賢いのね、一つ学ぶだけで十吸収してるみたい)

 育ちは平凡……というより虐げられていたらしいのに。産まれた時から知っているかのように、正しい道を辿っていく。

(大旦那様がこの人を見込んだのも分かる、多分この人……)


「面白いか?」

 淡々と課題をこなしていく朔埜を肘を突いて眺めていると、朔埜がこちらに顔を向ける。

 朔埜の様子を観察していたけれど、ずっと横顔を見つめられる方は気になって仕方がないだろう。

 乃々夏は笑みを返した。


「楽しいよ〜、朔埜は頭がいいんだねえ〜」

 その言葉に朔埜は難しい顔をして何かを考えこむように黙ってしまう。

「……お前ほどやないやろ」

「え?」

「お前は俺よりずっと出来がええ。けれど女やからか? 嫁入りせんといかんなんて。このご時世におかしな話やと思うけどな」

 

 その言葉に乃々夏は込み上げるものを堪えられずに笑い出した。

「あなたって馬鹿ねえ、あたしよりも自分の価値に気付きなさいよ」

 そう言って頬に手を添えると、その身体が僅かに強張るのが見えた。


 ……朔埜と乃々夏の結婚は両家の同意によるものだ。それを朔埜には拒めない。自身の出生に後ろ暗さを覚えているから。

(──でも)

「あなたはちゃんと、あたしを好きになるかしら?」

 はっと目を見開いた後、朔埜ははっきりと口を開いて言葉にした。


「……なる」

 きちんと覚悟を持ってこちらを見つめかえす朔埜の瞳はとても素敵で、乃々夏の心を蕩かしてくれるけれど……

「じゃあ、あたしを好きになったらプロポーズしてね〜」


 そう言って手を離すと朔埜は驚いたような、戸惑ったような顔でこちらを見つめ返した。

「結婚するなら覚悟が必要でしょう? それはきちんと自分で持って頂戴」


 この人が自分の夫となるなら、乃々夏の人生はきっと彩鮮やかな世界となる。けれど、乃々夏はそれが幻想のように淡いものだと知っている。


 欲しい物ほど、満足するのはほんの一瞬。

 期待していた分、思っていたのと違うと失望する気持ちは、皮算用の比ではない。

 そんな思いはしたくない。


 親の為とか親のせいとかじゃなく、お互いを見据えて決めた未来が欲しい。

 乃々夏もまた、母のようになりたくないのだから。

 

 だから……


(ちゃんと、あたしのものになって欲しいわ)


 ◇


「あたし、知ってる〜」


 愕然とする朔埜に乃々夏はおっとりと首を傾げた。

 はっと息を飲む朔埜にちらと見遣り、指先に髪を絡ませる。


「知ってる? て、何をや……」

 余裕の無い表情のまま眼差しに険を乗せれば、視線で窘める祖父の注意にも気付かない。

 そんな朔埜に乃々夏はふふと笑みを浮かべる。


「西野ちゃんは〜、同級生のお友達と離れで会うみたいよ〜。廊下で話してるの聞いちゃった〜」


 明らかに青褪める朔埜に、乃々夏はにこりと微笑んだ。

「二人は〜、両思いだったのかな〜?」

「っ違う!」


 自分の声に驚きを隠せないように、朔埜は口元を手で抑えた。けれど僅かに逡巡を見せた後、直ぐに辻口に振り返る。

「──会社研修を引き受けている離れはどこや」

「水仙の間です」

 それだけ聞くと朔埜は素早く立ち上がり、奥座敷を飛び出して行った。


「……乃々夏ちゃん、良かったのかい?」

 ずずっと茶を啜る当主に乃々夏は変わらぬ様子で微笑む。


 朔埜は気付かなかった。

 乃々夏が伸ばした手が届く前に、彼が行ってしまった事に。


「朔埜様はとても素晴らしい当主となりましょう」

 乃々夏は水羊羹を小さく切り口に入れた。

 

「朔埜はちゃんと、妻にした人を大事にすると思うぞ?」

「そうですねえ……でも心ここにあらずな結婚生活なんて、楽しくありませんわ」


 ずっと言いたかった事を当主に投げかければ、正面から見透かすような、咎めるような視線が向けられた。


「お前たちは似た者同士だからなあ……」

 そう言って苦笑する当主に乃々夏もまた淡い笑みを返す。

「あたしは……他に好きな人がいると結婚したくありません」


「……つまり史織さんは邪魔という事かな」

 ふうと息を吐く息が火鉢に掛かり、火の爆ぜる音と共に炭の赤みが増した。


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