22. 誰かの思惑と翻弄とすれ違い
「あら〜? 西野ちゃんだわ〜?」
そう言って乃々夏はおっとりいつと首を傾げた。
愛しい人が調べていたから知っていた、千田家の孫娘。こんなところまで足を運んだのは、彼女の従姉が朔埜とお見合いをする運びになったからだろう。
従姉にいいように使われているなんて、乃々夏には信じられないけれど。
ついでに先程彼女といた男性も知っている。折角調べた写真がくしゃくしゃになったと、辻口が顔を顰めていたからだ。
「あら〜、何だか良い雰囲気ねえ。どうしましょう〜、面白い事考えちゃったあ」
自分の恋愛はあまり上手く行っていない。
だから少しばかりお節介を妬いて、自分に有利に事を進めたいのだ。
「あ、辻口さぁん」
この場でこのタイミングで、言われなくとも誰を探しに来たのか分かる。胸の奥に燻る嫉妬の火を誤魔化すように、するりと間近にある腕に、自らのものを絡めた。
「乃々夏お嬢様」
窘めるような声は無視して、そのまま上目遣いで辻口を見上げる。
「ねえ〜、朔埜のところに行きたいの〜、エスコートして下さらない〜?」
「……畏まりました」
絡めた腕をそっと外し、辻口は静かに首肯した。
(もう、もっと嬉しそうにしたらいいのに〜)
主人が主人なら、使用人も使用人である。辻口の反応に不満を覚えるも、自分が描いた通りの絵がきっと描けたら楽しい。
(だからまあ、いいわ〜。許してあげる〜)
そう考えて、乃々夏はふふっと笑みを零した。
◇
「西野さん、今日までありがとうね。高台寺素敵だったわ、行って良かった」
「花崎様……」
今日は花崎夫妻のご帰宅の日だ。
史織が初めてお世話をしたお客様。
旅行を少しでも楽しめるように、三芳や辻口に食らい付いておもてなしの作法を学び、精一杯尽くした。
その時間を労うそのたった一言が、こんなにも嬉しいなんて……
思わず涙ぐみそうになる史織に花崎夫人は、あらあらと涙を拭ってくれた。
「若旦那様からね、初仕事なんだって聞いていたの。旅館がそんな事いうメリットは無いのにな、なんて思っていたんだけど。きっと今後の事を考えていたのね」
「……若旦那様が?」
花崎夫人は笑顔で頷いた。
「西野さん、接客に向いていると思うわ。来年も来るからその時はまたお世話して頂戴ね」
その言葉に、はたと意識が戻る。
自分はここにたったひと月しかいないのだ。当然来年の予定なんてない。
込み上げていた喜びが戸惑いに変わる。
「はい、これ」
「え?」
思わず受け取ってしまった、小さな袋には高台寺の印字がされている。
慌てて花崎夫人を見上げると夫人は悪戯っぽく微笑んでいる。
「主人と相談してね、お礼。あと『初めて』の記念品よ」
にっこりと笑う夫妻に堪えきれない涙が溢れた。
「そんなに喜んで貰えて私たちも嬉しいわ、誰かにお土産を選ぶなんて滅多になくて。うちは男の子ばかりだから反応もそっけないんだから」
戯けてみせる夫人と、寡黙なご主人が優しい顔で頷いてくれて。史織はこの時間、この時を与えてくれた朔埜に感謝した。
◇
祖父は四年前から朔埜が史織に関心を示した事を知っている。その頃朔埜は四ノ宮家の引き継ぎを祖父から受け始め、忙しかった。だから意識しなくてもその内忘れるだろうと、自分の感情を押し込め有耶無耶にしようと目論んだ。
けれどその思惑はまんまと外れ、むしろ気付けば意識しないと思い出すようになっていく。そんな自分に驚きと共に戸惑いも感じた。
四ノ宮家を貰う事になり、プレッシャーから逃げたかったのかもしれない。けれどそれがたった一度会っただけの女に向けられるとは思いもしなかった。
一緒に気晴らしをしてくれるような女なら他にもいるのに、何故かそちらは全く気乗りしなくなってしまった。
そうして自分が彼女を忘れられないのだと気付き、結局朔埜は四ノ宮の力を使って女の素性を探らせた。
千田 史織
その下に書かれた彼女の経歴を見た朔埜は、思わず口元を綻ばせた。
彼女はあの千田家の令嬢の一人だ。
実権を握らない親類の括りではあるが、千田家の現当主である会頭の、その孫に変わりはない。
(身分は、悪くない)
けれど朔埜には既に婚約者がいた。
祖父が決めた相手。
その家が四ノ宮家に重要な縁のある相手だと、その頃の朔埜には充分理解できていた。
けれど、
手にした書類を手放せずに握りしめる自分がいる。
そもそも彼女の家柄が予想に反していた事は運でしかなかった。そうでない可能性の方が高かったのに、自分は何を期待していたのか……
分からない……
選べない……
結局婚姻の決断を出来なくなり、大学卒業と同時に行う予定だった乃々夏との結婚は流れた。
それが先方の不信を買ったし、外野にあれこれ口出しさせる隙を作る羽目になってしまったのだけれど。
今も乃々夏を待たせてしまっている。
約束したのに……
それから更に年月が経ち、千田家との縁談を持ち出された時は目眩を覚えた。乃々夏との進まぬ仲を見越した誰かが寄越した縁で、その背景には父がいると聞いて驚いた。
朔埜としてはどうでも良い話で、受ける気も無かった。けれど祖父に会うように勧められた。
(……史織じゃないのに)
千田の家と関係を持てば、どうしたって史織の記憶が頭を刺激する。忘れる事も受け流す事もできなくなったらどうするんだ。
苛立つ朔埜に祖父は呵々と笑った。
『好きな女なら妾にすればいい』
それは政略と恋愛は別だと言う事だろうか。
不快感を露わにする朔埜に、祖父は悪戯っぽい目を向けた。
『ああ、すまん。言い間違えたな朔埜。──ただ好きなだけの女なら、妾にすればいい』
『……』
『お前の父のように、守る覚悟も引き止める勇気も持てず、それでいて忘れる事もできないなら。そう考えるよう、四ノ宮家当主としての思考を作り上げろ。そして、儂を越えろ』
『……やめ』
当主を継ぐにあたり、よく祖父は自分を越えるよう、朔埜に言い聞かせた。まるで祖父がいなくなってしまうようなこの響きが嫌で、朔埜は耳を塞いできたけれど。
「──史織の行動は把握しておらんかった。何でここに来たんかも知らん」
最初あの様子から、四年前の事も自分の事も覚えていないだろうと思ったていた。けれどそれは半分正解で半分不正解だった。
彼女の中に自分がいた。
それを聞いた時、全身の熱が一気に高まったと同時に頭の一部は冷えていき。
一時の感情に流されて、過ちとして産まれた自分が父のように振る舞い、史織に母のような思いをさせたらと思うと、ぞっと身体が強張った。




