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19. 思わぬ再会②


 藤本 晃は大学時代の、史織の片恋の相手だ。

 彼女がいたから、どうなりたいと思った訳では無いのだけど。想いを寄せている事で彼女の反感を買ってしまい、気まずい思いをした経験がある。

 だから多分史織が藤本を好きだった事は、彼は知らないと思うけれど……

 て、問題はそこではなくて。

 

(私は今、西野 佳寿那なんだ。……偽名を使ってるってバレちゃまずい……)

 脂汗を流して立ち竦んでいると、辻口が史織の肩を叩いた。

「西野さん? 担当のお客様がいらしてますから」

「ふは、はいっ」

 藤本と史織の間にはそこそこ距離がある。

 幸い史織の動揺も、別の名前で呼びかけられていた事も周囲には勘づかれてないらしい。

 ぎゅっと拳を作り、気を取り直して史織はエントランスを見回した。


 史織が担当するのは、個人のお客様だ。

 団体さんは史織には荷が重いと判断してくれた三芳を万歳三唱で讃えたい。

 どうやらそれらしきお客様を丁度ドアマンが受付に案内しているようで。史織は震える足を叱咤して、急いで踵を返した。


「藤本ー、行くぞー」

「あ、はい」


 同じように藤本もその場を立ち去る気配を背中に感じ、史織はほっと息を吐いた。


 史織の担当は四国から来た花崎という老夫婦で、史織の辿々しい旅館の説明を、おっとりと聞いてくれる優しいお客様だった。


 どうやらこの旅館は初めてでは無いらしく、余裕もある。これもきっと三芳の計らいだろう。

 史織に対する気配りというよりは、お客様への不手際を防ぎたいからだと思うけれど。


「去年は、建仁寺と三十三間堂に行ったのよ。参拝したいところは沢山あるのだけど、歳を取ると余り歩き回れなくてね。お嬢さんはどこかお勧めはある?」


 お茶を淹れていた手を止め、顔を上げる。

 史織は京都は二度目だ。

 ただ、今回に至っては観光は出来ていない。

 史織は四年前にあれこれ見た記憶を引っ張り出し、一番のお勧めを思い浮かべた。


「高台寺……でしょうか」

「あら、いいわね。そういえば暫く行ってないから、そこに行ってみようかしら」

 

 にっこりと笑う夫人に楽しそうにご主人も頷いている。

 仲の良い夫婦だなあと思い、なんだか微笑ましいような羨ましいような、気持ちがむずむずしてしまう。


「では何かありましたら、お呼び出し下さい」

 自然と浮かぶ笑みのまま、ぺこりと頭を下げて、史織は部屋を後にした。


「結婚かあ」

 ぽつりと口にして、何故か気恥ずかしくなる。

 史織にはまだまだ縁遠い話だ。いつかはと思うけれど、現実味が全く無い。

 麻弥子のお見合いの手伝いをしているせいか、最近この言葉が妙に耳に入ってくるけれど……


「千田さん、結婚したの?」

 突然背後から掛けられた言葉に、史織の心臓が跳ね上がった。

「ふ、ふ、藤本くん?」

「うん、久しぶり」

 にっこりと笑う藤本に史織は左右を見渡す。誰かに聞かれたら困る会話になるかもしれない……なったらどうしよう……


「千田さん?」

「あ。う、うん。何?」

「こんなところで千田さんに会えるなんて嬉しくなっちゃってさ。探しちゃった」

(……学生時代なら嬉しかったかも……ううん、飯塚さんがいるから困っただけか)


 藤本は何故か史織の手元を気にしているようだ。何かついているのかと、史織もそれに倣って自分の左手を見てみると、前からクスッと笑う声が聞こえた。

「あ、いや。指輪をしてないのかなと思って。……仕事の邪魔になるの?」

「……あ」


 どうやら藤本は史織の苗字が変わった事を、結婚した為だと勘違いしたようだ。

 えーと。

「あの、結婚したんじゃなくて……これはその、家の事情で……」

「えっ」

 ──嘘は言っていない。


 けれど藤本の驚く顔に罪悪感が芽生えてしまう。

 申し訳ないと思うけれど、かといって事情は打ち明けられないし……

 もし次に会う事があったら、謝って話そうと誓う。


「そうなんだ、ごめん、立ち入った事聞いて……」

「う、うん。気にしないで。それとここでは『千田』って呼ぶのはちょっと……」

「あ、じゃあ名前で……」


 それもっと駄目ーっ。

「そ、それもちょっと! 実はここ来たばかりでねっ。仕事中に友達と馴れ馴れしくしてると思われちゃうと、ちょっと困るかな?!」

「そっか、そうだよね……」

 そんなに残念そうな顔をされると本気で困ってしまうのだが……


「えっと、」

 やはりきちんと事情を話すべきかと、先に続ける言葉を躊躇っていると、肩をぐいと引かれ、後ろに倒れそうになる。

 何かにぶつかり事なきを得たけれど、その何かが何なのか、史織は顔を顰めて声の方に視線を向けた。


「申し訳ありません、うちの従業員が何か?」

 視界を目の前に乗り出した羽織姿に隠され、はたと気付く。──朔埜だ。

(やばい、どうしよう)

 あわあわとする史織だが、前に出ようとすると朔埜に押し戻されてしまう。


「いえ、そういう訳ではありません」

 藤本の恐縮している声が聞こえる。

「わ、若旦那様……」

 そっと羽織の裾を引くと、朔埜が振り返った。……その目が笑っていないので、史織は慌てて裾を離す。


「も、申し訳ありません」

 接客でミスをしたと思われたのだろう。

 蚊の鳴くような声で謝れば、藤本が慌てて弁明してくれた。

「あの、彼女には旅館の説明をして貰っていただけで。別に何か不手際があった訳ではないんです。もう終わりましたので、大丈夫です」


 ……相変わらず優しい人だ。こんな人に迷惑を掛けるなんて、恥ずかしくなってしまう。

「……そうでしたか。では西野さん、三芳のところに戻るように。失礼致します藤本様」

「え、あ……はい……」


 史織は目を見開いた。

 恐らくだが、藤本も目を剥いているだろう。

 まさかとは思うが、宿泊客の顔と名前を全部把握してるのだろうか……老舗旅館の若旦那ともなると、そんなスキルも必須なのかもしれない。凄すぎる。

 

 そんな二人の驚きを置いてけぼりに、朔埜は呆然とする史織の腕を掴み、さっさと踵を返してしまう。

 立ち竦む藤本に、ごめんと口の動きで謝り、引き摺られるように史織も朔埜に続いた。


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