11. 四ノ宮 朔埜①
「──何で見合いなんてしなきゃならんのや」
「いい機会やろ。じいに感謝せえ」
素気ない物言いに朔埜は祖父──四ノ宮 水葉を睨みつけた。
囲炉裏を火かき棒で掻き混ぜ、水葉は朔埜に向き直った。
きちんと正座をしているこちらに対し、祖父は胡座だ。それがお互いの立ち位置が分かる図式でもある。
朔埜には十八歳の時から家が決めた、二歳年上の婚約者があった。
けれど朔埜が大学卒業と同時にと約束していた結婚が、纏まらなかったのだ。
彼女は二十五歳。このご時世では遅くは無いが、良家の令嬢としてはそう言われる年頃らしい。
結局それが隙を作り、まだ若いのだからと、見識云々と別の縁談が舞い込むようになってしまった。
今尚名家と呼ばれる四ノ宮家と、縁付きたいと願う家はそれなりにあると言う事だ。付き合いのある家からのものだから、顔を合わせるだけならば、断れない。
朔埜は、はーっと息を吐いた。
──だとしても、あの人選には多少の悪意を感じているからだ。
「……なあ、旅館。どうしても俺が継がなあかんのか」
「四ノ宮の当主はお前や」
膝に置いた手にぎゅっと力を込めると、それを見咎めるように祖父は目を眇めた。
「他に好きな女がいるんなら、妾にしたらええ」
握り締めた手がぴくりと動く。
「そんなん、俺が嫌なの分かって言うてるやろ……」
「……」
そもそも朔埜が妾腹の子なのだ。
いや、当時父は結婚していなかった。
二人が付き合っている中で母が妊娠し、父は認知した。けれど家の事情で結婚には至らなかった。
というか、何も持たない母との結婚に、父が踏み切れなかったのである。
そうしてそこそこのお金を渡され、朔埜は母と共に父の元を去った。
それから十五年経ったある日、祖父が朔埜を迎えに来た。母は再婚していたし、朔埜は家を出てほぼ自活していたから、最初は四ノ宮と言われてもピンと来なかった。勿論父親という言葉に浮かんだ感情も忌まわしいものでしかない。
その頃の朔埜は、所謂不良だった。
染髪に着崩した制服。
自分の存在意義さえ不明瞭になり、真面目にやってるのも馬鹿らしくて、不貞腐れていた。だから両親も朔埜を遠ざけたのだろうけれど。
それなのに目の前には祖父を名乗る人がいる。
血縁者ではあるが、見た事も聞いた事もない人。それなのに──
『やあ、初めまして』
朔埜は何故か、この老人にどう声を荒げていいのか分からなかった。ただの年寄りとして片付けるには、曲者感が否めないけれど……
人の家にちゃっかり上がり込み、興味深そうに部屋を見回している。自分の部屋なのに、何故か朔埜の方が居た堪れない。
そんな朔埜を見透かすように、目の前の老人は懐手をして口の端を吊り上げた。
『心配するな、お前に何の価値も無ければ直ぐに解放してやる。生活に不安があるならその後の最低限の保障もくれてやろう』
警戒を露にする朔埜に対し、何一つ大した事は無いという風に、祖父はからからと笑ってみせる。
不思議と、それが朔埜に響いた。
自分を都合良く躾るでもない、懐柔するでもない。ただ手を差し出すだけの祖父の姿が、朔埜の心を擽った。
『こっちの都合もあってな。目ぼしい奴はあらかた見たが、これと言うもんがおらんかった……気楽に応じてくれんかの。悪いようにはしないが、大したもてなしもせん』
独り言のように呟いた水葉の言葉が朔埜の気持ちを後押しした。
(悪くないかもしれない……)
『……ええよ』
そうして朔埜は四ノ宮に行く事を選んだ。
理由は祖父に嫌悪を覚えなかった事が一つ。
もう一つは、高校の入学金を支払うと言ってくれたからだ。
年々少なくなる仕送りでは生活するには足りず、朔埜は年齢を誤魔化してアルバイトをしながら学校に通っていた。
だから大卒と中卒の仕事の違いも、給与への影響も知っていた。更には使われるより使う側の方がいい。……そう先を考えるなら、高卒以上の学歴がどうしても欲しかったのだ。
母には引っ越す事だけ葉書で送ったが、どう思ったのかは知らない。何の連絡も返って来なかったから。
……きっと四ノ宮に行く事を決めた朔埜を怒っているのだろう。母にとっては自分を受け入れ無かった家。
けれど、母が新しい家庭を築き、そこに入れて貰えない朔埜は、自分でどうにかしないといけない。
与えられるチャンスを選り好みしている余裕は朔埜には無い。それだけだと四ノ宮家へ向かうトラックに乗り込み、見送りの無い後ろを振り返った。
◇
結局朔埜は大学まで進むように祖父に命じられた。
四ノ宮の旅館業を学びながら、自分の今後を模索する。
そうして過ごしている間に、祖父は朔埜を後継に指名してしまったので驚いた。朔埜の父も結婚しており、息子が他にいたからだ。
一族からの反発があるのでは無いかと懸念したが、誰も当主の決定に否やとは言わなかった。
そういう家系なのだろうか……そもそも何故父は祖父の後を継がないんだろう。
その疑問は直ぐに解決する事になる。
父は東京にいた。
今や手広くやってる四ノ宮の経営母体は東京にあり、父はそちらを纏める経営のトップとなっていた。
老舗旅館の経営とは規模も動く金銭も違う。四ノ宮家の本質は旅館業とは言え、今やそちらの方が四ノ宮を支える母体と言っても過言ではなかろう。
けれど四ノ宮の「当主」は祖父である。
その辺の違いは朔埜には分からない。けれど、
(多分、親父は事業を「息子」に継がせたいんやろな)
そう思った。
四ノ宮家は当主を必ず京都に置くという慣わしがある。
朔埜の弟は四ノ宮家の正妻の息子だ。恐らく父は、その息子に東京の仕事を渡したいのだろう。
その為に朔埜を京都に縛りたい。
なんだと思った。
けれど、
『お前は誤解している』
朔埜の心を見透かしたように祖父が笑った。
『四ノ宮は、京都が一番強い』
朔埜には祖父の言わんとしている事が分からなかった。
少なくともその時は。




