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9. 潜入開始


 学生時代の史織は親の言う通り、いい子だった。特に「大人しくて控えめ」である事が母の希望だ。

 元々俯いて人の影に隠れるような女の子だったから、その要望は難しく無かったけれど。


 日常生活や成績に問題も無く、両親に苦言を呈させる事も無かったので、史織も特に「自分」に疑問を持った事は無かった、のだが。


 それなのにあの時、葵にはっきり嫌いと言われ、史織は傷付いた。いや、正確には驚いていた。

 葵の顔を思い出せば、自分が他の彼の目にどう写っているのかが気になるようになった。それに、もし次に会えた時、良い印象を持たれたいなんていう思いも抱くようにも。

 史織は元々内気な自分を嫌っていたけれど、あれではっきりと、変わりたいと思うようになったのだ。


 習い事やアルバイトを始めたい。そう必死に両親を説得した。アルバイトは特にいい顔をされなかったが、自分で働いたお金で自己啓発をしたいという訴えに父が頷いてくれた。史織が変化を望む事を、父は気付いたようだった。


 史織には自分が無い。

 だから作りたいと、変わりたいと思った。

 踏み出した一歩は、世界が広がるような、不思議な感覚で史織を包んだ。


 穏やかな秋晴れの中、スーツケースを一つ持って。

 空と同じように顔を青褪めさせながら、史織は京都の地を踏みしめた。


 今更ながら、本当に上手く行くのだろうか。

 千田の名前に頼らない、自立した人間になりたいと。そう望んで自分を研磨してきたけれど。

 ばくばくと胸が鳴る音が耳に響く。


 京都は史織にとって禊の地でもある。

 変わりたいと願ったきっかけの場所。

 それなのに訳の分からない使命と自分の事情に、変に身体が強張ってしまう。


「本当に、何でこうなったんだろう……」

見上げる先には憧れの旅館。

 それなのに、これからのひと月を思うと……心が不安で、胸が張り裂けそうだった。

 

「ああ、西野さん? お話は聞いていますよ」

「はい、よろしくお願いします」

 出迎えてくれた使用人に、史織は急いで頭を下げた。


 山際に立つ古民家のような趣の家屋は、新鮮な彩りに囲まれた庭園が覗いている。奥行きある家は屋敷のようで、先に続く奥の間には紅葉が風にそよいでいた。


(うわあ)


 憧れの、旅館。

 

 この老舗旅館を経営するのは、四ノ宮家。

 古都京都において、未だ名を馳せる名家なのだそうだ。

   

 四ノ宮家は老舗旅館の経営から始まり、今はホテル業、旅行業、運輸業へと手を伸ばし世界規模な事業展開を連ねている。

 ただ元は小さな宿屋が商いの始まりであり、代々の当主は本家の旅館を本拠地にする習わしとなっているのだそうだ。

 ……世界に裾野を広げているのに、何故拠点を京都に置いているのだろうと、少しばかり不思議に思う。……まあ史織には関係ないけれど。


 それに麻弥子は四ノ宮家に嫁入りしたら、京都在住になると言う事になる。それは麻弥子は納得するのだろうかと、やや疑問だ。それもまあ、史織にも関係ないけれど……


 細やかな疑問から目を背け、自分の仕事は四ノ宮 朔埜の浮気(?)調査なのだと改めて気合いを入れる。


「こちらへどうぞ」

 物思いに耽っていると、いつの間にか奥の間へと辿り着いていた。凛嶺旅館は特室とは別に、一般的な宿としても有名な旅館である。

 史織が訪れたのは母屋だが、古い宿に増改築を繰り返しているようで、酷く道が入り組んでいる。

 果たして自分はどこをどうやってここまで来たのだろう。

 後ろを振り返れど、紅葉に染まる庭園に面した渡り廊下の、その先に見える扉をくぐった覚えもないくらい、どう歩いたのかの記憶もない。

 

(ここで働くって、本当に大丈夫かしら?)

 

三芳(みよし)さん、西野さんがお見えですよ」

 密かに案じていると、案内人が襖の中へと声を掛けた。

「入って下さい」

 どうぞ、と促す案内人に従い、史織は恐る恐る襖を引いた。


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