三酒:マルガリータ
深夜2時になり掛けた頃に一人の中年の男がドアを開けて入ってきた。
「いらっしゃいませ」
BAR、ノットゥルノを切り盛りする壮年のマスターは折り目正しく綺麗に会釈して客である男を迎えた。
黒い背広に黒いネクタイと葬式帰りを思わせる男は生気が抜けたような顔でカウンター席に腰を下ろした。
「お飲物は何になさいますか?」
生きた抜け殻のような男にマスターは物怖じせずに訊いた。
「・・・・強い酒をお願いします」
力が籠っていない声で注文する男にマスターは質問せずに畏まりましたと言って後ろに置かれている数十種類の酒の中からワイルド・ターキーの8年物を取り出した。
アルコール度は50.5とかなり強めのウィスキーだ。
無骨な形のロック・グラスに氷を入れてからターキーを注ぎ革のコースターにのせて渡した。
男は黙ってロック・グラスを手に持つと一気に飲んだ。
しかし、直ぐにむせ返り咽喉を抑えた。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」
激しく咳き込む男にマスターは水を一杯差し出す。
奪うようにして水を飲む男。
「慣れもしない酒をそこまで飲むとは何か遭ったのですか?」
店に入ってきた時点で男が相当な量の酒を飲んでいる事を知っていたマスターは訊いてみた。
「・・・・・・」
男は黙っていたが、やがて何かを我慢するかのように口を開いて語り出した。
「・・・今日、婚約者の葬式をしたんです」
自分より10歳も年下の女で、まだ20歳を過ぎたばかりなのに不運にも事故で亡くなったと語る男にマスターは黙った。
「何で、あんなに年若くて優しい彼女が早死にしてしまうんでしょうか。太陽みたいに輝いていた彼女が・・・・・・・・・」
最後まで言う前に男は大粒の涙を流して泣き出した。
「・・・・・・・・」
マスターは何も言わずに逆三角形のカクテル・グラスを取ると平らな皿の上に塩を振り掛けた。
良く乾いたグラスの縁をレモンで濡らし皿の上に、逆さまに載せ塩をつける。
次にシェーカーにホワイトのテキーラを30ml、ライムを15ml、ホワイトキュラソーを15mlほどメジャーカップで量り入れた。
蓋をして小刻みに振りちょうど良い位まで振り終えると塩を塗せたカクテル・グラスに白い液体を注いだ。
出来あがったカクテルを泣く男に差し出す。
「・・・このカクテルは・・・・・・・・・?」
赤く腫れ上がり兎を思わせる瞳をした男が訊くとマスターは静かに答えた。
「カクテルの女王、マルガリータです。またの名を“鎮魂のカクテル”とも言います」
「・・・・鎮魂のカクテル、ですか?」
男は白いマルガリータを見て訊くとマスターは小さく頷いて話し始めた。
「このカクテルを作ったロサンゼルスのバーテンダー、ジャン・デュレッサー氏にも恋人がいました。しかし、彼女は不運にも若くして事故で命を落としてしまいました」
「・・・・・・・・」
黙って男は話の続きを促した。
「彼女の若い死にジャン・デュレッサー氏は貴方のように嘆き悲しみました。しかし、ただ泣いてばかりではなく彼女の為にカクテルを作ったんです」
若くして死んでしまった彼女の名前を永遠に忘れて欲しくない為に。
「それが、このマルガリータです」
悲劇の別れをした彼女の為に捧げる鎮魂のカクテル。
「この話が鎮魂のカクテルと言われるマルガリータの伝説です」
男は最後まで聞くと優しく壊れ物でも扱う仕草でマルガリータを引き寄せた。
暫く見ていたが、一口のんだ。
塩が混ざって程良い甘さが口の中に広がり心を癒してくれる。
亡くなった恋人がまるで、その場にいるかのように心が和んで悲しみが癒えていく気を感じる。
少しずつマルガリータを飲む男をマスターは黙って見つめた。
時間を掛けてマルガリータを飲み終えた男は、代金を払おうとしたが、ワイルド・ターキーの代金で良いとマスターに言われて、ターキーだけの代金を払った。
「・・・今度、来る時は幸せな顔で来てください」
マスターは背中越しに言う。
男は前を見たまま頷き店を後にした。
それから数年後、ノットゥルノに一組の男女が訪れてきた。
男は数年前に現われてマルガリータを飲んだ男だとマスターは思い出した。
悲しみの顔ではなく、幸せな笑顔で来た男にマスターは心の中で、おめでとうと呟いた。
夜の街にひっそりと開かれるノットゥルノ。
そこは人の悲しみを癒してくれるBAR。