二酒:ノックアウト
誰も居ない店内でグラスを磨いていたマスターの元に数十分前に一人の若者が訪れた。
まだ、未成年と思われる容姿をした少年はカウンターに乱暴な動きで座るとマスターに酒をくれと頼んだ。
「ここは未成年が来る場所じゃないですよ」
マスターは落ち着いた声色で少年を諭した。
「うるせぇ!酒を出せって言ってるんだよ!?」
少年は怒鳴り返したが、マスターは態度を変えずに言葉を投げた。
「そんな傷だらけの身体に酒は毒です。喧嘩に負けて自棄酒は良くないですよ」
少年の顔は痣だらけで青白かった。
どう見ても少し前に殴られた痕で、酒を飲めるような身体ではない。
「あんたに何が解るんだよ!!」
少年はマスターの胸倉を掴んで怒りの声を出す。
「君の心境くらいは理解できますよ。差し詰め大勢の人数に囲まれて抵抗もせず一方的に殴る蹴るの暴行を受けたんでしょ?そして、傷だらけの顔で家に帰れば両親に咎められて叱られた。それで逆上して家を飛び出した。違いますか」
殴ろうとしていた手を少年はカウンターに下ろし胸倉を掴んでいた手を離した。
「・・・・何で解るんだよ」
「それなりに人生を経験したので解りますよ」
マスターは乱れたシャツを直して言った。
「・・・あんたの言う通りだよ」
少年はカウンターに突っ伏して静かに泣き出した。
マスターは少し少年を見ていたが、磨いていたグラスを脇に置いてカクテルを作り始めた。
ドライジン、アブサン、ドライベルモットを20mlずつシェーカーに注いでホワイトペパーミントを1tsp入れてシェーカーを振り始めた。
少年はカウンターから顔を起こしてマスターがする事を見つめた。
「何を作ろうとしているんだよ」
「今の君にピッタリのカクテルを作っているんだよ」
マスターはシェーカーを上下にリズムカルに振りながら喋る。
シェーカーを振り終えるとカクテルグラスに中身を注いで少年に渡した。
「“ノックアウト”と言う名前のカクテルだ。飲んでみなさい」
「未成年は飲むな。傷だらけの身体には酒は毒だって言ったのに今度は飲めか」
少年は赤く腫れた眼でマスターを見た。
「細かい事は気にしない事ですよ。男は器が大きい方が好かれます」
マスターは温和な表情で言いながら少年に勧めた。
乱暴な手つきでグラスを口にした少年は咳き込んだ。
「ゲホッ。何だ、この味・・・・・・・・」
「その名の通り一発でアウトにされるくらい強いカクテルです。これを飲み干せば明日から君は変われますよ」
「何の根拠で言ってるんだよ」
「私の勘ですよ」
少年の質問にマスターは無責任な発言で返した。
しかし、少年はノックアウトを飲み干した。
初めて飲む酒だったのか少年は身体をグラつかせたが、強い意志で踏み止まった。
「未成年で飲み干すとは強いですね」
マスターは微笑みながら言う。
「あんた、さっき明日から変われるって言ったよな?」
「えぇ。言いました」
「・・・・明日から変わってやる。明日から俺は牙を剥いた狼になる」
「狼ですか。それなら仲間が出来たら大切にしなさい。狼は仲間を見捨てない動物ですから」
「・・・覚えておくぜ」
少年はふら付く足を意志で支えてカウンターから立ち上がった。
「金は要りませんよ。未成年に酒を飲ませたとあっては私が困りますから」
「元から金なんて払う気はねぇよ」
ふん、と言うと少年は店を出て行った。
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「・・・・・あの時は、お世話になりましたね。マスターには」
カウンターに座る青年はグラスを拭く壮年の男に言った。
「いいえ。気にしていませんよ」
マスターと呼ばれた男は温和な笑みを浮かべて返した。
「数年前まで虐められていた高校生が今や世界ミドル級ボクシングのチャンピオンなんて誰も信じないんじゃないですか?」
「えぇ。ファンの皆からも嘘でしょ?とよく言われます。だけど、本当の事ですよね?マスター」
「はい。だけど、貴方は変わった。違いますか?」
「変わりました。3年前に飲んだ“ノックアウト”のお陰で」
青年は“ノックアウト”を飲んだ。
数年前に飲んでいた時と違い少しずつ・・・・・・・・
その様子を見てマスターは本当に変わったと思った。
世界ミドル級ボクシングの若きチャンピオンが変わったとされるBARの名前はノットゥルノ。
そのBARは人の人生を変える奇跡のBAR。