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[ʌntáitəld]  作者: N.river
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白紙に虫 6

 文字の設定は大きめだ。開いたノートパソコンで丁寧に追いながら単純な誤字を、手が滑ったような変換ミスを探しながら読み進めてゆく。言語によっては語順で「てにをは」が決まるものもあるが、こちとら結構、自由度の高い言語だった。可能な限り語順を試し、独りよがりがないかを見極めてゆく。そうしてなぞるほど鮮明となってゆく風景を今一度、俯瞰しなおした。景色の中で動く登場人物たちを、今日グループセラピーで出会った人たちと同じ距離感で観察してゆく。他者だからこそ謎めく彼らの目的を、行動の選択を、連なり広がりゆく世界を、ひたすら慎重に吟味していった。

 そのうちにも見失ってならないのは要所、要所におかれたタスクだろう。プロットとも呼ばれるそれは全体における各シーンの役割を反映させており、拾い逃せば大事なパーツを逃す。登場人物らの内面も、起きる出来事も、包み込む世界の描写もだ。欠いて物語が組み上がることはなかった。組み上がらなければ動作もせず、テーマという抽象もまた浮き上がってくることはなくなる。一言で言えるが一言では言い尽くせないメッセージも、当然、霧散するはずだった。

 それらへ気を配りながら好んで描くのは遠く日常を離れた光景だ。ゆえに注ぎ込むのは現実ではなく真実で、現実で吐けば陳腐でしかないささやかな願いそのものでもあった。

 過程に多くの選択肢は現れる。選ぶことで現実では得られぬ自由と万能感を手にし、同時に無数ある選択肢の中からひとつに絞る不自由とひたすら対峙した。

 ヤルか、ヤラレルか。

 選び、捨て去り、決定してゆくことは真剣勝負そのものだ。

 全ては勝つことが前提の作業だったが、そうはいかずいつもてこずる。

 何しろ山より大きな猪は出ず、そしてその山はいつも己の大きさを計り違えた。裸の王様も人前へ出るまでは裸である事を知らないように、選び抜いたはずの選択枝もいつもどこか違えて最後は陳腐となりさがる。

 ちょくちょく見つかる誤字を正しながら野津川は、書き上げた時、これ以上は無理だと思えた己の物語にうんざりしていった。すっかり借りてきたような展開にも、断言される文言の短絡かつ浅はかさにも、やがて恥ずかしさを覚え、いたたまれなくなる。どうしてこんなものを。思えばなお意気揚々と送付した時の気持ちは蘇り、逃げ出したい衝動に駆られた。多くを読み込んでいる編集者ならなおさら苦笑いしていたことだろう。顔は鮮明と脳裏に浮かび、それでも補って余りある魅力があるかといえば自信を持って差し示せる箇所こそ見つけられず万策尽きる。

 散々だ。

 結果を待つあいだ書いていたものさえ色褪せてゆくようで、送付した原稿を半分まで読み返したところで追う気をなくし顔を上げた。

 そんなこと。

 とうの昔に知っていたはずだった。

 良くないのではない。

 何度やろうと悪いだけなのだ。

 どれだけやろうと、ひたすらうまく出来ないだけだった。

 何か、どこかを掛け違え、いつも全てが台無しとなる。

 そんな掛け違えはきっと性根の悪さにあるんだろうとしか思えなかった。

 もっとまっすぐ素直に進めたら。

 だいぶ暗くなった窓の外へ視線を投げた。書店に並ぶ文筆家たちのように胸のすく快挙を成し遂げることが出来たのではなかったろうか。野津川はただぼんやり思い巡らせる。

 分かっていたから一度だってこんなことをしよう、などと考えやしなかったはずだった。自ら地雷を踏みに行くなどと、やはり病のせいで自分はおかしくなり始めているのかもしれない。いまさらのように省みる。

 選考は言うまでもなく不採用だった。用紙は二枚きり。非常に丁寧な文面で、しかしながら手垢のついた形式で、一枚目に結果が、二枚目にその理由が書かれていた。全ては無駄に冗長過ぎることに原因があるらしく、登場人物を絞り、コンパクトに組みなおせたあかつきには再検討したい、と一見すると前向きな文言でつづられている。だが実際そうなると丸ごと書き変えるほかなく、それこそ間に合うかどうか野津川には分からなかった。何よりこれまでを詰め込んだ作品として仕上げたかったのだ。それが自身の意思となんら関係なく他者の「指示」に従っただけのものだなどと、想像しただけでも意欲は萎えた。

 ノートパソコンを閉じ、立ち上がる。

 すっかり冷めたジャスミンティーをシンクへ流した。

 だとして本来の顛末に戻っただけで、その顛末こそ多くの人がなぞる道で間違いない。世にいう「存在の爪痕」なんて残して去れる者こそ奇特であり、比べたなら大いなる寄り道が出来た分、楽しかったじゃないか。およそひと月、期待するままドキドキハラハラしてきた日々を振り返った。

 緩んだ頬が次第に震える。

 そこに野津川は少し、涙を這わせカップを洗った。


 体力に問題はない。

 だから野津川は朝から全力で走っていた。

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