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[ʌntáitəld]  作者: N.river
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白紙に虫 5

 そんな野津川が発症に気が付いたのは三カ月ほど前のことだ。とはいえ発光が背中からだったことと、伴う症状が何ひとつなかったことからそれもどれくらい経ってのことか分からない。ともかく、まったくもって何ら劇的な場面もないまま訪れた病は、青天の霹靂そのものだった。経てこのワークショップへ参加するようになったのは診断を得るため訪れた主治医の勧めにほかならず、引き換えに疾病手当の給付資格は得られる、そう説明を受けたからだった。

 残念ながら世間は発光する体を抱えて仕事を続けられるほど寛容ではない。そうして生活に行き詰まり、未来が描けなくなった人の行動は極端に走りやすく、実際、発症を原因とした自殺や自暴自棄から犯罪は連日起きると、社会問題にまで発展している。金銭的援助はそれら悪循環を防ぐためのものであり、例外なく続けていたバイトを自ら辞した野津川にとってワークショップへの参加はかわる「仕事」、のようなものにもなっていた。そして終われば早く帰りたい、と思うのは勤める者、全ての共通項で間違いないらしい。

 芝はここ、国立特定疾病センターの中庭にあり、右には本館が、左には病棟が建っている。みなに続き右の本館へ入れば野津川の前に、致死性発光を患う患者のほかにも難病を抱えた人々が、今しがたのようなワークショップや事務手続きに多く集まる館内は広がった。

 椅子を返すついでに次も予約しておこう。

 なるべく金属音を立てないよう返却ラックへ椅子を戻す。どこか市役所を思わせる窓口を探し、振り返った。とたんそれは目に留まる。

 腕を組んだ男女だ。

 用事を済ませたところらしい。

 微笑み合うと、今まさに向かおうとしていた窓口を後にしていた。

 どういうことだ。

 思うのは決して前向きな話などできやしない場所だからで、何をどうすればそうも笑い合うことができるのか。不可解以上、驚きを覚えて野津川は思わず釘付けとなる。過ぎたかちらり、彼女に視線を向けられたような気がして何かを探す素振りだ。急ぎ目を逸らしていた。それでも視界の隅で二人の姿を追いかける。

「予約の方、どうぞ」

 頭を突き出す事務員に呼ばれ、慌てたように窓口へと向かっていた。

 果たして慣れた段取りで入れた予約は野津川でまだ三人目だった。たしかに来週の今頃、自身がどうなっているのか分からない者ばかりなのだから、みな間際まで未来には控え目なのだろう。

 本当にいつか自分も光となって散ったりするのだろうか。しっかり予約して帰る野津川にはそうした「生々しさ」こそまるで乏しい。疾病センターの敷地を出て下ったところ、今日もバス停でバスを待ちながら、長い夏休みを消化しているような気分でカバンへ予約票をしまい込んだ。

「った」

 指先に走ったのは痛みというより熱さで、思わず手をひっこめる。何事かと確かめれば米粒ほどの大きだ。指先で血は吹き出していた。どうやら予約票で切ったらしい。指先を咄嗟に野津川は口へ入れかける。気づき動きを止めていた。

 なぜなら血は光っていない。

 なら自分の体の中で一体何が光っているのか。

 さっぱりもって分からない。

 だというのに実感を持て、という方が無茶なのだ。思えてならなかった。

 誰か。

 突如、怒りはこみあげてくる。

 だとして誰も、何も、教えてくれない。

 ただバスに揺られ、三十分余りで自宅のあるマンションに辿り着いていた。マンションは部屋から見える景色が気に入って、狭さも割高な家賃もかまわず契約した十五階建てだ。

 そのオートロックを開いてエントランスの郵便受けをのぞく。仕草はもう何度も繰り返してきたもので、しかしながら中にA四サイズの茶封筒は横たわると、繰り返すはずの「いつも」からルティーンが逸れたことを野津川へ知らせた。

 来た。

 まさに目が覚めたような気分だ。急ぎ引っ張り出せば右下に、間違いなく例のロゴも印刷されている。興奮のあまりその場で封を切りかけて、焦るな、唱えてむしろ胸へ大事に抱え込んだ。ままに九階にある部屋のドアを引き開ける。発光が強まれば明かりなど必要なくなると聞いているが、野津川の光はまだそこまで強くない。電気を点け、すぐそこにあるキッチンのケトルに火を入れた。着替えた後で閉め切られていたカーテンを引き開け午後の光に照らされた街を、そんな街を裾に連なる山々を眺める。

 と吹き出す湯気がケトルの笛を鳴らした。

 ついに封筒が届いたのだ。このあいだ輸入品を扱う雑貨店で見つけた、ちょっと高価なジャスミンティーを試すことにしよう。思いつくまま胸、躍らせて、野津川はキッチンで飴玉ほどに丸められた草の玉を急須へ落とす。携え、部屋の真ん中に広げられた座卓へいそいそ、腰を下ろしていった。

 さて、原稿を送ったのはもうひと月前か。ひょっとすると返事を手にすることなく終わってしまうかもしれない。そう思わなかったわけでもない。だが結果発表までスパンの長い賞レースに比べこちらの方が手っ取り早く、睨んだとおりこうして封筒は届けられていた。

 出版社からの返事だ。

 ついに受け取っていた。

 自費でも構わない。

 自分の本を出せたなら。

 診断を受けてぼんやり過ごす毎日に、それはふいと浮かんだ企みだった。

 学生の頃から物語が好きで、いつからか真似て小説のようなものを書いてきた野津川にとって自分に才能がないことくらい、とうの昔に気づけている。だからして目の黒いうちに賞賛されたいわけでも、今さら有名になりたいわけでもなんでもなかった。ただカタチにさえすれば、触れて目にする事が出来れば、このまま光となって散るだけらしい自身へも納得することが、満足することができるような気がしたのだ。

 アイデアはこれまでの野津川なら決して実行しないような類のものだった。ゆえに一念発起は必要で、選考を依頼して自費出版専門の出版社へ恐る恐る原稿を送っている。

 熱いジャスミンティーを遠慮気味とすすり上げた。

 その手で端から慎重に封を切ってゆく。バス停で傷つけた指先を気づかうと、結果が記載されているだろう用紙を中からそうっと引き抜いていった。

 目が滑りそうでならない。

 さあさあ。

 自らへはっぱをかけて、並ぶ文字へ目を這わせてゆく……。

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