銀河くじらに会ったはず
「遠い銀河のなかに、真っ暗で星のない空間を見つけた」
宇宙を探査する隊員の一人が、そんな体験を口にしたのが始まりだった。
「宇宙の壁に行き当たった」
そう話す探査員が現れた。
この壁の噂話は、いつの間にか増えていた。
「壁だか黒い板にぶつかりそうになったっていう探査隊もあったらしいぞ」
「ただの壁じゃないっていう隊もある。真っ黒で巨大なんだけど、動いていたとか」
どの話にも共通するのは、ある銀河付近で不思議な壁のようなものを目撃したということだ。
やがてこんな話も出てきた。
「黒い壁につやつや黒く光る惑星を見つけたんだ」
「星もあったのか。いや、星ではないかもしれない」
「ゆらゆら動くんだ。泳いでいるみたいに」
「尾ひれもついているんだろうか」
そのうち、こんな結論が出された。
壁ではなく、それは生き物だと。
黒々と光る目があって、銀河のなかをゆったりと泳ぎ回っているくじらがいるんじゃないか、と。
『銀河くじら』と名付けられたその生き物の正体を、宇宙探査隊員たちはどうにかして解き明かしたいと考えた。
遭遇したどの探査隊も、これまで映像一つ撮ることができていなかったのだ。
ついに、銀河くじらを調査する探査隊が組まれた。その噂のある銀河方面へ向けて、探査員を派遣することになった。
宇宙船には、最新のシールドを搭載することにした。
かなり巨大な生き物らしいので、ぶつかったら弾き飛ばされる可能性がある。船全体をすっぽりと覆い、どんな強い衝撃からも守れるようにあらゆる工夫を凝らした。
人類は準備万端のつもりで、その銀河系へと向かっていった。
ところが、目撃情報では場所まではっきりと特定できなかった。
そもそも宇宙は広いので、この間はここで見つけたと言っても、今はどうなのかさっぱり分からない。
気がつくと、探査員たちは何日も何日も宇宙を彷徨っていて、何の収穫もないことに飽き飽きしていた。
「少し気分を変えたいな。ずっと宇宙に漂っているのも疲れたよ」
誰からともなくそう言い始めた。
「そうだな。どこか近くに砂や岩の惑星があれば、降りてみよう」
全員一致で決めた。
ほどなく、近くに巨大な惑星が見えてきた。解析の結果、岩石に覆われていて特に問題がなさそうだった。
「あの惑星に」
そう決めようとしたとき、隊長の声が飛んできた。
「待て。大きな惑星はやめるんだ」
「どうしてですか。あの星なら安全ですよ」
「いや、大きな星に騙されてはいけない」
惑星が騙すとか一体何を言い出すのか、探査員たちはみな驚いて隊長の話に聞き入った。
「いいか、今我々は宇宙の海にいる。地球で海にいるとき以上に気をつけなければならない」
「そんなこと、当然じゃないですか」
「地球の海で大きなくじらを探すときのことを考えてみろ。大海原の真ん中で突然大きな島と出会う。その上に乗ると島が動き出す」
「それってもしかして、島じゃなくて……」
隊長は腕組みをしたまま、大きく頷く。
「島だと思ったら、くじらだったとかいう奴だ」
何となく、話が見えてきた。
「我々が降りようとしているのは、島じゃなくて惑星ですよ。しかもちゃんとデータもそろっている。惑星だと思って降りてみたら、銀河くじらだったってことはないはずです」
「いや、甘いぞ。銀河くじらの生態は分かっていないんだ。この辺の大きな惑星には注意した方がいい。もしかすると、奴の一部だったりするかもしれん。惑星に降りて、それが動き出しても分からないかもしれないのだ。みすみす逃したりしたら大変だ」
「はあ……」
探査員たちは、隊長の言葉に気圧されてしまう。
「我々は、他の探査隊とは違う。最新の設備を導入してみんなの期待を背負っているのだ。もしもくじらの背に乗っていて逃したらどうする。他の隊に何て言えばいい?」
隊長は続けてこう告げた。
「銀河くじらに会ったはず、なんて言い訳をするのはごめんだぞ」
どうやら隊長はプレッシャーを感じて、相当疲れているようだ。
「分かりました。それじゃ、小惑星ならいいんですね」
探査員たちは、岩石だらけの小惑星を見つけると、降下した。
「やっぱり地上はいいな。今夜はよく休めそうだ」
みな安定した地表に降りたことですっかり安心して、ぐっすりと眠った。
ふと、雨の降るような音が聞こえる。
「この小惑星、雨が降るんだったかな」
雲に覆われた星ではなかったと思う。そのうち、ガタガタと振動がして、強い風が吹いてきた。
「地震だ。風もひどい。何か異変があるに違いない。危険な小惑星だったのかも」
調べた時点では何でもない岩の星だったが、動きがおかしい。
そのうち、とても耐えられない激しい振動が始まり、探査員たちは大慌てで宇宙に向かって飛び立った。
ときたま雨が勢いよく降ってくる。しかも、どういうわけかただの水ではなく、強い酸性の雨らしい。
探査員たちは、慌ててシールドを張って宇宙船を守る。
夢中でスピードを上げた。
すると、ドスンと何かに衝突した。衝撃はシールドが吸収してくれた。
それにしても、宇宙に出たはずが、何かの壁に突き当たったのだ。
「もしや、銀河くじらにぶつかったのでは!」
「シールドを解くのはまだ危険だな。よし、レーダーで周りを見てみよう」
探査員たちは、みな前面に銀河くじらの巨大な姿が映るのではと期待した。
「あれ、何だこれは……」
どういうわけか、宇宙船の周りはすべて壁だった。
「壁に囲まれたなんて話は聞いたことがない。何が起こっているんだ」
そのとき、データを解析していた隊員が飛び込んできた。
「雨水を分析したんだが、どうやら胃液か何かのようだぞ」
「まさか、壁って胃のなかの……」
探査員たちは、ようやく自分たちの置かれた状況が分かった。
「何としてでも脱出しないと、そのうち消化されてしまうぞ」
しばらくの間、探査員たちは壁のあちこちにぶつかって、必死で出口を探した。
その甲斐あって、ひどい目に遭いつつも、大量の水分と一緒に跳ね飛ばされた。
「や、やったぁ」
隊員たちの宇宙船は、激しい勢いで宇宙に吐き出されたのだ。
宇宙船のスピードが落ち、シールドを解いてみると、もうそこはもとの場所から遠く離れた銀河の彼方だった。
その宇宙は静かで、何の生き物の姿も見つからなかった。
「それで、探査に失敗してそのまま帰ってきたってこと? 結局、銀河くじらは見つけられなかったんだよね?」
他の探査隊にそう尋ねられると、探査員たちは思いっきり首を横に振った。
「いや、違うよ」
そろって反発した。
「だって、何も姿を見ていないんでしょ」
「見ていないかもしれないけど、お腹のなかにいたんだ」
探査員たちは、きっぱりと言い張る。
「銀河くじらに会ったはず!」
宇宙は広い。
人類は、銀河の海をゆうゆうと泳ぐそのくじらの姿を追い求める。
しかし、接近してみれば、いつの間にか小惑星と一緒に食べられていたりする。
地球も小さな星にすぎないが、人類はあまりに小さすぎる。
銀河くじらの正体は、杳として知れない。