7.悪魔の誘惑
レオンハルトは出立直前にもエリザベートの部屋を訪れようとしたが、会う気など微塵も起きず断りの返事を返した。
帰国前に婚約者の顔が見たいなどと甘い台詞で侍女に取り入ったようで、侍女はしきりに面会を勧めてきたが、気分が悪いと一蹴すると渋々引き下がった。
さすがにここまで断ればレオンハルトも面会は諦めたようで、侍女を通して手紙が届けられたが、見もせずに暖炉にくべて燃やした。
どうせ書いてあるのは舌触りのいい偽りの言葉だ。そんなものをよこされたって、不快にしかならない。
今のエリザベートはとにかくレオンハルトが憎くて、見返してやりたかった。
「私が綺麗だったら、こんな思いをすることはなかったのに…!」
綺麗になりたいと、強く思った。
今までは求婚者に醜いと言われても平気だったのに、レオンハルトに言われた言葉は胸に突き刺さって痛い。
「私を綺麗にしてくれるなら何だってあげるのに…」
エリザベートがそう呟いた時だった。
『本当かい?』
どこからともなく声がした。
男性のものである声。
エリザベートの部屋に父以外の男は立ち入りできないというのに、先程の声は間違いなく若い男のものだ。
「誰?」
「初めまして、皇女。俺の名はアシュレイ」
いきなり目の前に現れたのは、美しい男。
あれ程魅了されたレオンハルトよりも整った神がかり的な美しさを放つ外見に、そんな場合ではないのに見惚れてしまう。
艶やかな黒髪、妖しい紅色の双眸。
この世の者とは思えない程、美しい外見をした男だった。
「君の望みを叶えてあげよう」
いきなり現れた男はそう言って微笑む。
その笑みは美しいものであるはずなのに、何故か背筋がぞっとした。
危険だと、本能が警鐘を鳴らす。
これ以上関わってはいけないと、身体が告げている。
だが、望みを叶えてくれるという言葉に惹かれる自分がいる。
「お前は…一体何なの?」
誰ではなく、何と問うたのは、それだけ相手が異質であったから。
本能が目の前の存在が人間ではないと告げていた。
「悪魔。その中でも大悪魔と呼ばれる立場にある」
返ってきたのはそんな答えで。頭がおかしいのかと思う。
だが、男はそんな考えを読んだように、証拠を見せようかと言うとパチンと指を鳴らし、見てごらんとエリザベートを促す。
「一体何…?」
怪訝に思いながら、言われるまま鏡に向かう。
「…何これ」
鏡に映っていたのは、エリザベートではなかった。
鏡にいたのは、美しい女。
華奢な身体つき、女神を連想させる整った造作の顔。
エリザベートが見たことも、想像したことさえもないほどの美しい女がそこにいた。
「君の綺麗になりたいという願いを叶えてあげたんだよ」
何故か邪悪に感じる微笑みを向けて、男が言った。
「これが私?」
あり得ないと思う。
だって、エリザベートとの共通点は、金色の巻き毛と翠色の双眸くらいのものだ。
鏡の女はエリザベートの半分程度の横幅しかない華奢な身体つきで、てかりなど感じさせない瑞々しく張りのある透き通るような白く美しい肌をしていて。
人形のような、否それ以上に整った顔立ちは、目や口や鼻などそれぞれのパーツが完璧なまでに理想的な形をしていて、更にそれらがこれ以上ないほど絶妙な位置に配置されている。
エリザベートとの共通点である金の巻き毛も翠の瞳も、輝きがまるで違う。
鏡の女のそれらは、自ら光を発しているかのようにキラキラ輝いて見える。
この世の誰よりも美しいと確信を持って言える鏡の女が自分だとは、エリザベートには思えなかった。
エリザベートとて、自分の容姿は理解している。
太っていることも、どれだけ手入れしても肌が油ぎっていることも、そばかすが浮いていることも、その他のことも。
鏡の女とは真逆。
「君がこの容姿の代わりに俺の望みを叶えてくれるなら、今日から君はこの容姿になれる。世界中の誰よりも美しい女に」
エリザベートが鏡の女に見惚れていると、男は誘惑するように囁いた。
まるで心を見透かされているかのようなタイミングに驚くが、今さらそんなことに驚いている場合ではなかった。