5.裏切り
パーティが終わり、エリザベートは自室でくつろぎながら、レオンハルトと出会ってからのことを思い出していた。
求婚されたときのこと、毎日訪ねてきてくれて色々な話をしたこと、そして先程のパーティで一緒に踊ったこと。
彼のことを考えるだけで心がときめく。だけど、同時に別れが辛い。
「明日、彼は帰ってしまう」
自分で言って、自分の台詞に傷付いてしまうほどに。
明日、レオンハルトはセルビス公国に帰ってしまう。
そうなると結婚式まで彼に会うことはできなくなる。
結婚までは一年。
そんなに彼と会えないなんて、寂しくて死んでしまう。
今までの人生でそんな風に思ったことはないというのに、たった1ヵ月前に出会った人をこんなにも離れ難く思うようになるなんて。
彼のことをこんなに好きになるなんて、想像もしていなかった。
もっと彼と話したい。
そう思うと我慢できなくて、エリザベートはこっそり部屋を出て、レオンハルトに与えられている部屋に向かった。
見張りの兵士は要所要所に配置されていたが、彼らには銀貨を握らせ見なかったことにさせた。
そうしてレオンハルトの部屋の前にたどり着き、緊張を抑え込もうと大きく深呼吸をしたとき、静まり返った廊下に人の話し声が漏れ聞こえてきた。
その声がレオンハルトの声だと気付き、反射的に聞き耳を立てる。
「…から……わざと……」
いくら廊下が静まり返っていても、さすがに扉を隔てていては話し声ははっきり聞こえてこない。
「…エリザベート……本当は……」
途切れ途切れに聞こえてくる言葉の中に自分の名前が出てきて、嬉しくなる。
きっと彼もエリザベートと離れ難いと思ってくれているのだろう。こうして会話にエリザベートの名が出てきたのがその証拠だ。
どんな話をしているのだろう?
気になって気になって、いけないとは思いつつエリザベートはこっそり扉を開けて、彼らの話に聞き耳を立てた。
「お前、他人事だと思って…」
途端に明確に聞こえるレオンハルトの声。
エリザベート相手に話すときは常に丁寧な口調の彼も、供の前ではくだけた言葉を使っていた。
そんなどうでもいいことを知れただけで嬉しくて、レオンハルトのことをますます好きだと思った。
「よかったじゃないですか。これで公国も安泰です。殿下も国の為にあの皇女に求婚したんですから、こうなってよかったじゃないですか」
聞こえてきた供の声。
だが、その言葉はエリザベートの心に深く突き刺さった。
国の為に皇女に求婚。
そんなこと、聞きたくなかった。
「国の為にはこれでよかったさ。小国である我が国が生き残るためには大国の後ろ盾が必要なんだ。俺があの皇女と結婚すれば、公国は帝国の庇護の下で平和に暮らしていける筈なのだから」
「だったらそんなに嫌がらずとも…」
「嫌に決まってるだろう!お前だって見ただろう。皇女のあの醜さ」
レオンハルトの言葉が、グサグサと胸に突き刺さる。
これまで見てきた彼の優しい眼差しや言葉は一体何だったのだろう。
彼だけは他の求婚者とは違うと思っていたのに。
彼だけはエリザベートを心から愛してくれると思ったのに。
「俺は国を愛している。国の為なら何だってやるさ。醜悪な女に求婚することだって、愛している振りをすることだって、何だって。だが、俺にも心はある。嫌なものは嫌だ」
「…わかっております、殿下。殿下が国を誰よりも愛しておられることは、私が誰よりも理解しているつもりです。殿下が国の為、シャーロット様ではなくエリザベート様に求婚をなさったことも」
「シャーロットには辛い思いをさせてしまった。俺が愛しているのは彼女だけなのに…」
そこまで聞いて、いてもたってもいられず、エリザベートはゆっくりと気付かれないように扉を閉め、踵を返した。
バクバクと心臓が鳴り、頭の中では先程のレオンハルトと従者の会話がグルグルと巡っている。
何とか部屋に戻り、心を落ち着かせようとするが、どれだけ時間が経っても心は落ち着かないままだ。
裏切られた。
その事実が頭から離れず、気付けば涙が流れていた。
レオンハルトに結婚が嫌だと思われていたことも、醜い女だと思われていたことも、全てが国の為だということも、悲しかった。
彼は優しかったから。今までの求婚者とは違って、国の為ではなく、エリザベート自身を愛してくれるのだと思っていたから。
今日、彼の本心を聞いて、自分の抱いていた感情が勘違いだと知った。
レオンハルトはエリザベートを愛してなんかいなかった。
そう思うように振る舞っていただけ。
彼が本当に好きなのはシャーロットという女。
恐らくはセルビスの貴族の娘。
顔も知らないその女が、憎くて仕方なかった。
「…許さない」
エリザベートは気付けばそう呟いていた。
憎かった。
レオンハルトも、その想い人である女も、セルビスも。
レオンハルトに関わる全てが憎かった。