4.婚約
レオンハルトがエリザベートに求婚した翌日、二人の婚約は認められた。
エリザベートの父である皇帝フェンリ四世は、娘が小国の公子と結婚することに一切異議を唱えることなく二人の婚約を祝福し、一月後に婚約披露パーティを皇帝主催でとり行うことを決めた。
そもそも世継の皇女であるエリザベートの結婚は国家の一大事であるが、それがこうも簡単に認められたのにはいくつか理由がある。
最たる理由は、これまでの求婚をエリザベートがことごとく断った為、最後の候補であるレオンハルトとも成婚に結びつかない場合は再度候補を選定せねばならないことだ。当然、その場合はこれまでの候補より条件が劣るし、何より時間もかかる。エリザベートは皇帝の唯一の実子であり、早急に結婚して子を産むことが求められていることから、誰もがレオンハルトとの結婚を望んでいたのだ。
また国内の有力貴族との婚姻については、エリザベートが10歳を過ぎる頃には貴族の側から敬遠されていた。世継の皇女としてのエリザベートは家庭教師である各界の第一人者が太鼓判を押す程の優秀さであったが、幼い頃から我儘で気に入らないことがあれば苛烈な対応をすることも有名であり、その気性に貴族が尻込みした形だ。
実際、皇女の夫に実権はなく、政治への関与も認められていないことから、属国の王族を夫とするのが望ましいというのが貴族らの見解であった。
そういった事情もあり、エリザベートとレオンハルトの婚約は帝国内で好意的に受け入れられた。
レオンハルトはパーティまでの間、皇城に客人として滞在することが決定し、国から随伴した供と共に豪華な部屋が与えられた。
レオンハルト自身は婚約者となったエリザベートとの交流に主に時間を割き、国から連れてきた家臣らは帝国の文官との実務者会談を進めていた。
滞在中、レオンハルトは必ず一日一回はエリザベートの部屋を訪れ、愛の言葉を降らせた。
彼のエリザベートを見つめる瞳には熱が篭っていて、心底この結婚を望んでいることが窺えたし、会話から小国の公子とは思えない程の教養の高さや博識さが伝わってきたので、エリザベートとしても婚約者に何ら不満はなかった。
何より、レオンハルト程の貴公子から一途に想われるというのはエリザベートの自尊心を大いに擽った。
レオンハルトは歯の浮くような台詞を何度も口にして、その度にエリザベートは取り合わないふりをしていたけれど、こんな風に異性から口説かれるのは初めてで、彼の行動を嬉しいと感じていたし、結婚生活を夢見るようにもなった。
そうして日々は過ぎていき、婚約披露パーティの日を迎えた。
エリザベートは朝からパーティの支度に余念がなく、この日ばかりはパーティが始まるまでレオンハルトと会うことはなかった。
パーティの為にいつもより時間をかけて湯浴みをし、いつもより丁寧に髪を梳いた。パックやマッサージにも時間をかけた。
そうしてレオンハルトが迎えに来る頃には、念入りに化粧を施し、複雑な形に髪を結い上げ、万全に支度を整えた。
とはいえ、どれほど時間と手間をかけて身支度をしてもエリザベートの外見に大きな変化はなかったが。
「エリザベート様」
迎えにきたレオンハルトが恭しく差し出した手を取る。
今日のエスコートは当然ながら婚約者となったレオンハルトだ。
「今日はいつにもましてお美しいですね」
そう言った彼は照れたように頬を染めていた。
朝から侍女を総動員して身支度をしたことなんてレオンハルトは知らないはずで。それでも変化に気付いてくれるというのは、それだけ彼がエリザベートを見てくれている証だろう。
毎日レオンハルトが降らせる愛の言葉に最近では慣れてきたつもりでいたのに、本当は全然慣れてなんていなかったらしい。
レオンハルトが愛しい。
そんな想いが込み上げてきて、初めての感情に少し戸惑う。
帝国皇女の婚約者に相応しく、いつもよりも華やかな衣装を身に纏った彼は、凛々しくも優しい眼差しは同じで。これまで目にしたどんな貴公子よりも輝いていた。
「…貴方も格好良くてよ」
レオンハルトがあまりに優しい眼差しを向けてくるから、エリザベートも素直な気持ちを彼に伝えた。
こんな台詞、誰に対しても言ったことがない。
レオンハルトは特別だった。
エリザベートの素直な言葉に耳まで真っ赤にした彼が可愛くて仕方ない。彼が好きだと、強く思う。
「…そろそろ会場に向かいましょう」
照れながらもそれを必死に押し隠してレオンハルトが言う。
それに頷いて二人で会場に向かう。
会場に着くと、そこには溢れんばかりの人。
皆が登場したエリザベートとレオンハルトに目を向けた。
備え付けられた主賓席に二人並んで腰掛ければ、次々と人が挨拶に訪れ、相槌を打つだけなのに、あまりの人数の多さに嫌気がさす。
そんなエリザベートに気付いたのか、レオンハルトがそっと手を握ってきた。
それだけで胸がキュンとして、頭は彼のことで一杯になる。
「…踊りませんか?」
一通りの挨拶が終わったとき、レオンハルトがそう言ってきた。
主賓である2人が踊らなければ、招待客は踊れない。
だけどレオンハルトの誘いはそういった義務感からではなくて、ただエリザベートと踊りたいのだと不思議と思った。
「よくってよ」
あぁ、可愛くない言い方。
本当はレオンハルトと踊れるのが嬉しいのに、口から出るのは気位の高さが前面に押し出された言葉。
そんな言い方をしてしまう自分に内心で後悔していたけれど、レオンハルトは嬉しそうに微笑んだ。
そんなレオンハルトの様子に、この人は本当に私のことが好きなんだと実感できた。
今までの求婚者はエリザベート自身ではなく、カッサンドラ帝国を見ていた。だけど、レオンハルトはエリザベート自身を見ているのだと思う。
エリザベート自身、自分の容姿が美しくないことは知っていたし、精一杯着飾った今も大して普段と変わらない自覚もあった。それでもレオンハルトは自分を選んだのだと思えば自信が持てた。
「行きましょう」
そう言ってレオンハルトと二人、ダンスを踊るためにホールの中心に向かう。
その姿に招待客らは道をあけた。
集まった招待客らが自分たちに注目していることを感じながら、2人はゆっくりと踊り始めた。
「貴方の国はどんなところ?」
踊りながらエリザベートが聞くと、レオンハルトは懐かしむように愛おしげに祖国のことを語る。
「美しい国です。国土は小さいですが活気があって、人も温かくて…。僕の誇りです。国の為なら何だってできる」
強い意志を感じさせるレオンハルトの言葉。
その言葉が心に少し引っ掛かる。
だが、彼が本当に優しく微笑むものだから、僅かに感じた違和感のことはすぐにどこかにいってしまった。
踊りながら色々な話をしたが、最初に交わしたその会話が最も記憶に残った。
いつか彼の国に行ってみたい。
そう思ったけれど、パーティが終わり彼と別れるまでとうとうその言葉を告げることはできなかった。