22.恋敵
「ご機嫌よう」
エリザベートが誰かなんて、この場にいる全員が知っている。だから名乗る必要さえなく、必要なのはエリザベートが声を掛けてやること。
この場で最も身分の高いエリザベートに声を掛けてもらえなければ、その人物は存在を認められていないのと同じ。
それを避ける為に声を掛けてやりさえすれば充分なのだ。
互いに名を知っていても礼儀として名乗り合うことはあるけれど、たかだか従属国の侯爵令嬢に帝国皇女たるエリザベートが名乗ってやる必要はないし、その気もない。
先程、ゼノに対して名乗ったのは、レオンハルトの友人という立場を尊重してのこと。
けれどレオンハルトの元恋人にそんな親切をしてやるほどの優しさは持ち合わせていない。それどころか本当は声だって掛けてやりたくはないのに、こうして最低限の挨拶だけはしてやったことを感謝してほしいくらいだ。
「皇女殿下にお目通りが叶いまして光栄に存じます。ゴルディアス侯爵が長女、シャーロットと申します」
貴族の令嬢として非の打ち所がない模範的な挨拶をするシャーロットに対し、エリザベートはただ鷹揚に頷くのみ。
最低限の挨拶だけして会話を終わらせたいから、言葉は掛けてやらなかった。レオンハルトと会話をする隙だって与えてやる気はない。
せっかく少しずつ近付いたレオンハルトとの距離が、シャーロットとの再会で離れてしまう気がして、とにかく彼女を遠ざけたかった。
「皇女殿下がおいでになると伺って、わたくし是非お話したいと思っておりましたの」
エリザベートから話を振ってやる気はないので、シャーロットが再び口を開く。
表向きは帝国皇女たるエリザベートとこうして会話を交わせる栄誉に感激している振りをしているが、エリザベートに含むところがあるのは明らか。
相思相愛だった恋人を帝国の威光で奪ったエリザベートに嫌味の一つも言ってやりたいと思っているのだろう。
それに、先程からシャーロットはエリザベートに話しかけているが、チラチラとレオンハルトに視線をやっていて。
彼女もまたレオンハルトに未練があるのは明らかだった。
そして、目の前でそんなことをされてエリザベートが気付かないはずもなく、気付いた以上、黙って見ているはずもない。
「レオンハルト、喉が渇いたわ」
レオンハルトはエリザベートのものであり、セルビスは帝国の従属国。
それをわかりやすく示してやった。
「…すぐお持ちします」
飲み物を持って来いと自国の臣下の前で命じられたレオンハルトは一瞬だけ顔を顰めたけれど、逆らうことなくエリザベートの為に飲み物を取りに向かう。
それを満足げに見送るエリザベートとは対照的に、驚きと嫌悪を隠さないでいるのはシャーロットだ。
レオンハルトを顎で使うことに不快感を露わにしている。
「…皇女殿下は普段からレオンハルト様にこのようなことを?」
憤りを隠そうともせず、エリザベートに真っ向から意見しようとするシャーロット。
その行動は愚かとしか言いようがない。
エリザベートはシャーロットの無礼を咎められる立場にあるのだから。何か一言でもエリザベートの行動に意見をしようものなら、不敬罪で罰を与えて立場を思い知らせてやる。
帝国皇女の夫に色目を使うような女は、それだけで不敬罪を言い渡したっていいくらいなのだから、直接何か言われるまで我慢していたのは懐が広いと言えるだろう。
「このような、とは何のことかしら?」
シャーロットが何を言いたいかはわかっている。
だけど、挑発するように敢えて惚けてみせた。
すると、想定通りシャーロットは感情を昂らせて、激情のまま言葉を紡ごうとする。
「シャーロット嬢」
シャーロットが口を開こうとしたところで、これまで黙っていたゼノが咎めるように名を呼んだ。
無礼を働きそうになったシャーロットを咎めたように見せかけて、実際には彼女を庇ったのだ。
ゼノに名を呼ばれたおかげで冷静になれたのか、シャーロットは口を噤んだ。けれど気持ちは治らないのか無言でエリザベートを咎めるように見つめてくる。
この様子だともう少し挑発すれば乗ってきそうだけれど、レオンハルトが飲み物を持って戻ってくるのが見えて、今日はここまでだと見切りをつける。
「レオンハルト、ありがとう」
レオンハルトが戻ってきたので飲み物を受け取って礼を言う。
「何を話していたんですか?」
彼はつい先程までの不穏な空気を知らないから、会話の取っ掛かりとしてそんなことを聞いてくる。
レオンハルトとシャーロットを近付けたくないエリザベートとしては事実を伝える訳にはいかないけれど、この程度のことであればいくらでも誤魔化せる。
「せっかく貴方の祖国に来たんですもの。貴方のことを、色々聞かせてもらおうと思って」
「僕の話ですか?」
意外そうに言うけれど、初対面の三人にとって共通の話題はそれしかない。
それに実際もレオンハルトのことを話していたのだから、嘘ではない。
「せっかく面白い話が聞けると思ったのに、話を聞く前に貴方が戻って来たから結局何も聞けなかったわ」
残念とばかりに嘆いてみせる。
せっかく面白いことになりそうだったのに、そうなる前にレオンハルトが戻ってきてしまったからつまらない。
「そんなに面白い話はないと思いますよ?」
「そんなことないわ。ゼノは色々知ってるのではなくて?」
先程、シャーロットを庇ったゼノに話を振る。
彼はエリザベートの言葉の意味を正しく捉えているようで返答に困っている。
エリザベートが言っているのは、シャーロットとの関係のこと。
シャーロットを庇ったゼノに、こちらに付けと言っているのだ。知っていることを喋って、今後はエリザベートの側に付けば悪いようにはしない。
「ねぇ、せっかくだから明日の外出にゼノもいらっしゃいよ」
ゼノはレオンハルトの友人なのだから、色々なことを知っているだろう。
籠絡して損はない。
「いえ、私は…」
「いいじゃないの。これも外交よ。ねぇ、レオンハルト?」
渋るゼノを頷かせるにはレオンハルトから言わせる方がいいだろうと話を振る。
レオンハルトには断る理由も特になく、彼の同行を歓迎した。
「では、ご一緒させていただきます」
ここまで言われればゼノも了承せざるを得ず、明日の外出に同行することが決定する。
「では私もご一緒させて下さい!」
綺麗に話が纏まったところで、蚊帳の外に置かれていたシャーロットが声を上げた。
この場の会話は帝国皇女たるエリザベートとその夫であるレオンハルトによってなされていた。
声も掛けられていないのに、身分が下の者が会話に割り込むなんてあり得ない。
そんな常識はずれの行動をするなんて思ってもなかったから、あえてシャーロットの前で明日の外出の話をしたというのに。こうして会話に割って入ってくるなんて。
「レオンハルト様、私もご一緒してもよろしいでしょう?皇女殿下ともっとお話したいですし」
エリザベートが唖然としているうちに、シャーロットはレオンハルトから許可を得ようとしていた。
恋人であった頃はこうしてレオンハルトにおねだりをしていたんだろう。自然な上目遣いでレオンハルトを見上げている。
レオンハルトもかつての恋人のおねだりに満更ではないようで、チラチラとエリザベートの方に視線をやりながらも邪険にはしない。
「せっかくなのでシャーロットも同行させてよろしいですか?」
何がせっかくなのか分からない。
どうして夫の元恋人と一緒に出かけることになるのか。
だが、ここで同行を断ったところで、シャーロットはレオンハルトとの接点をどうにかして作る気がする。
「好きになさって」
どうせ断ってもシャーロットはレオンハルトに近付く。それなら自分の目の届くところに置いた方がマシ。
そう判断してエリザベートはシャーロットの同行を許可した。




