20.ファーストダンス
支度を終えたエリザベートは、本人以上に満足感を湛えた笑顔の侍女に見送られ、レオンハルトの待つ隣室へと向かった。
「待たせたわね、行きましょう」
既に支度を終えていたレオンハルトに何気ない素振りで声をかけたけれど、このとき本当は、正装に身を包んだレオンハルトの貴公子然とした様に一瞬見惚れていた。
素直に褒めることができればよかったけれど、どうしても上手くできなくて、平静を装うだけで精一杯。
それでもどうしても気になって、チラチラとレオンハルトを盗み見ていると、バッチリと目が合った。
目が合うなんて想定外で、咄嗟にどうしたらいいのかもわからない。
何か言えばいいのか、何もなかったかのように視線を逸らせばいいのか。それすら判断ができなくて、暫くの間、見つめ合っていた。
「…綺麗です、とても」
見つめ合ったままレオンハルトがそんな科白を口にするから、本当にどうしていいかわからない。
これまでレオンハルトは演技をしているときと強要されたときにしかエリザベートを褒めたりしなかった。強制して言わせた褒め言葉はお世辞と丸わかりのものだったから、こんな風に優しい表情で綺麗だと言われると反応に困る。
強要した以外に彼がエリザベートの外見を褒めたのは初めてで、柄にもなく頬が朱く染まってしまった。
「行きましょう」
本当はレオンハルトも素敵だと言いたかったのに、素直な気持ちを口にするのは難しくて。結局、お礼の言葉も言わないまま話題を終わらせた。
あまりにも酷い態度に愛想を尽かされてしまわないか心配になったけれど、レオンハルトが自然な所作で手を差し出してくれたので安心してその手を取ることができた。
お互いに少しはこうしたエスコートに慣れた気がして、そう思えたことが嬉しい。
帝国での夜会に出席した時とはまるで違う気持ちで会場へと向かった。
夜会の会場である大広間に主賓の二人が着いた時にはセルビス貴族のほとんどが既に集まっており、連れ立って入ってきたエリザベートとレオンハルトは一気に注目を集めた。
集まったセルビス貴族は、帝国皇女とその夫となった自国の公子を興味深い様子で見遣っている。
「よくいらした。エリザベート皇女殿下には物足りない点もあるかと存じますが、この鄙の地を楽しんでくだされ」
まずは挨拶の為に大公の元に向かうと、声をかける前にこちらに気付いた大公から労いと歓迎の言葉をかけられた。
「歓迎、感謝します」
エリザベートも本心から感謝の意を伝える。
帝国皇女として、従属国で手厚い歓迎を受けるのは当然のことであったけれど、レオンハルトの祖国でこうして歓迎されるのは嬉しかった。セルビスが精一杯のもてなしをしてくれているのも分かっていたので、感謝の気持ちが伝わるよう心を込めてお礼を言う。
その気持ちが届いたのか、大公は嬉しそうに微笑んで、その後は和やかで打ち解けた雰囲気で会話を交わすことができた。
会話がひと段落したところで大公は集まった人々に向かって夜会の開始を宣言し、和やかな雰囲気で夜会が始まった。
楽団がワルツを奏で始め、集まった人々は会場の真ん中を開けるように端へと寄る。
今夜のファーストダンスは主賓であるエリザベートとその夫となったレオンハルトが踊るので、二人以外はダンスの邪魔にならないよう脇に寄るのがルールだ。
「お相手願えますか?」
レオンハルトが恭しく手を差し出す。
その手をエリザベートが取って、二人でホールの中心へと進み出た。
「注目の的ね」
会場中の人間が注目する中、エリザベートは自然な動きでステップを踏み、レオンハルトのリードに合わせて踊り始めた。
レオンハルトのリードは完璧で、今まで踊った帝国貴族の誰より踊りやすい。
まるで体に羽が生えたようだ。
「気になりますか?」
レオンハルトが少し窺うように聞く。
おそらく彼は、エリザベートが機嫌を損ねることを恐れたのだろう。
正確には、エリザベートが機嫌を損ねてセルビスの人間にあたることを。
「…別に気になりはしないわ。わたくしは帝国皇女ですもの」
レオンハルトとは少し打ち解けた気でいたから、先程の問いが悲しい。
注目されただけで不快になるような女だと彼に思われていると知るのは、辛いものがある。
そんな内心を隠したくて高慢とも思える口調で言えば、どういうわけかレオンハルトは微笑んでいて。
そうですか、と穏やかに返事を返しつつ、ダンスに合わせてそっとエリザベートの耳元に唇を寄せて囁いた。
「…僕は気になります。貴女が他の男に見られているのは」
蜜事のように耳元で囁かれ、エリザベートは咄嗟にレオンハルトから距離を取ろうとしたけれど、足が縺れて逆に彼に抱き留められた。
「何を言って……」
最早ダンスを踊る余裕などなく、足は完全に止まっていた。
踊る者のないまま奏者は曲を奏で、集まった人々は急にダンスを止めた二人に好奇の視線を寄越す。
「本心です」
そう言うレオンハルトの目は真剣で、戸惑い逸らすことを許さない強い意志の光が宿っていた。
そのまま二人は無言で見つめ合っていたが、その沈黙はすぐに第三者によって打ち払われた。
「レオンハルト、皇女殿下を困らすでない」
子を窘める親の口調でそう言い、沈黙を打ち破ったのはセルビス大公だった。
ダンスの途中で足を止めて見つめ合う二人を見て囁き合っていた貴族らは大公が言葉を発したことで押し黙り、場の空気が一変する。
「皇女殿下、お相手願えますかな?」
折しも次の曲に移る頃合いで大公が申し出ると、エリザベートは二つ返事で応じ、レオンハルトも大人しくそれを見送った。
「ありがとうございます」
ダンスの途中で足を止めるなど、不調法もいいところ。
それをこうしてフォローしてくれた大公には本当に感謝していた。
「なんのことです?儂はただ皇女殿下とこうして踊りたかっただけですよ」
大公はそうして惚けてみせるが、息子夫婦のフォローのために動いてくれたことは明白だった。
「では、そう思っていただいたお気持ちに感謝しますわ」
わざと惚けてくれた大公の気持ちを受け取って、お礼を返す。
そのエリザベートの真意を大公も察し、一等嬉しそうに微笑みを返される。
そのまま大公とのダンスは何事もなく終了し、レオンハルトのところに送り届けられた。
「お相手、ありがとうございました」
別れ際、そう言って軽く頭を下げると大公も同じく礼を述べ、穏やかに舅とのダンスは終わった。
その後は次から次へとひっきりなしに訪れるセルビスの貴族たちの挨拶に応えていった。
小国とはいえ貴族の数は多く、挨拶にかかる時間の長さは相当のものだ。
「お疲れになりましたか?」
一通り挨拶が終わったときにレオンハルトが耳元で訊ねてきたが、帝国皇女であるエリザベートはこういった挨拶には慣れていて、疲労を感じるほどでもない。
「大丈夫よ」
「そうですか。では、先程お話しした友人を紹介させていただいてもよろしいですか?」
これまで挨拶された人々の中にレオンハルトが紹介したいと言っていた相手がいなかったことが気に掛かっていた。
レオンハルトの友人なのだからそれなりの身分の人物だと思っていたけれど、身分が低い相手なのかもしれない。
本来なら、帝国皇女が会うような相手ではないだろう。
わざわざ言葉を交わす必要性は感じない。
だけどレオンハルトから話を聞いて会ってみたいと思っていた彼の友人なら、エリザベートに否やはない。
「よくってよ」
「ありがとうございます」
高飛車に言ったエリザベートの言葉に酷く嬉しそうに返事を返すくらいだから、本当に会わせたい相手なのだろう。
夜会の前から会わせたいと言っていたし、レオンハルトの話から親しい友人であることは伝わっていたので、一体どのような人物なのか気になっていたのだ。
レオンハルトに友人を紹介されるのも二人の関係が進展している証に感じられて、浮かれる気持ちを隠しきれない。
エリザベートは上機嫌のままレオンハルトに連れられ、彼の友人がいる方へと向かった。




