19.対話
帝国から連れてきた侍女らに荷解きを命じたことで客間にはエリザベートとレオンハルトの二人きりになった。
静かな室内に落ち着かないエリザベートは、女官長が言っていたレオンハルトお気に入りの景色を見ようとバルコニーへと近付く。
意図を察したレオンハルトも後に続き、二人でバルコニーに出ると、すぐ側に広がる城下町が目に入った。
「活気があるのね」
人々の行き交う城下町を眺めながら言えば、レオンハルトが嬉しそうに頷いてお忍びで出掛けたこともあるのだと語る。
「視察では本当の姿は見えないというのが友人の口癖で。公務としては何度か城下町に行ったことはあったんですが、友人に連れられてお忍びで行くとまるで印象が違ったんです」
「どういうこと?」
お忍びなどしたことのないエリザベートにはレオンハルトの言葉の意味はよくわからない。
エリザベートが知っているのは、いつだって帝都は活気があるということ。治安だってよくて、道ゆく人々の表情も明るい。それがどうしてお忍びだと違うというのか。
「視察に行くときは大勢の護衛がいて、行く場所だって治安のいい富裕層の集まる地区なんです。だけど城下のほとんどの人はそことは違う場所で生活を営んでいる。僕たちに近い富裕層ではなく、一般の民の生活や何を感じているかを僕たちは知るべきなんだと思います」
レオンハルトはエリザベートが民を顧みないことを知っている。知っていてこれまで何も言ってこなかったけれど、大陸を支配する大帝国の世継ぎとしてエリザベートは自国の民だけでなく、従属国の民の生活についても知るべきだとレオンハルトは言っているのだ。
「だけど税金の大半は貴族や裕福な商人らが納めるわ。多くの税金を納める彼らの意見を尊重すべきではないかしら?彼らの意見を蔑ろにしては政治は上手くいかないわ」
これは教師からの受け売りだった。
十分な税収があるから、帝国は必要な統治を行うことができる。エリザベートを含めた皇族の生活も税金で賄われている。
その税金の大半を納めているのは貴族や裕福な商人であり、彼らの意見を政に取り入れているからこそ、彼らは文句も言わず莫大な税金を納めているのだ。
それに、エリザベートの治世において、貴族の支持は必須。大きくなりすぎた帝国を皇帝が一人で治めることはできないのだから、信頼できる臣下が必要なのだ。
そして信頼する臣下の意見は尊重すべきである。
幼い頃からそれらのことを家庭教師らから学んでいたエリザベートはその考え方に何の疑問も持たなかったし、レオンハルトの言うように民の声に耳を傾けるよりも貴族らの意見を聞く方がいいと思える。
「貴族の納める税金は、その貴族の領地に住まう民が支払った税金ですよ」
レオンハルトが諭すように言う。
だけど、そんなことは言われなくても知っている。
貴族は民に税を納めてもらう代わりに彼らの生活を守っているのだ。
ノブレスオブリージュについて今更説明など必要ないと言おうとしたところで、レオンハルトが続きを口にした。
「国は民がいなければ成り立ちません。だからこそ、民の声を聞くことが大切なんです。まぁ、僕もこんな風に言ってますが、友人に連れられてお忍びで町に行くまで本当の意味ではわかってなかったんですが…」
「何が言いたいの?」
不機嫌になりながら問いかける。
レオンハルトの言葉は説教じみていて、聞いていて気分のいいものじゃない。
「…一緒に行ってみませんか?お忍びで町に出て、実際に民と接することでわかることは多いですよ」
さっきまで不機嫌だったのに、レオンハルトのその言葉で一気に気分が持ち直す。
我ながら単純だと思うけれど、これまでの教えとは真逆の民の声を聞くという行為も必要な気がしてくる。
何よりレオンハルトが一緒にと誘ってくれたことが嬉しい。
「…考えてあげてもよくってよ」
素直に頷くのも気恥ずかしくて勿体ぶった言い方をしてしまったけれど、レオンハルトは嬉しそうに笑ってくれた。
「僕をお忍びに連れて行ってくれた友人も今日の夜会に招かれているので、ご挨拶をさせていただけますか?」
「えぇ。楽しみにしているわ」
そろそろ夜会の支度を始める時間になっていることから、レオンハルトとの会話はそこで切り上げた。
レオンハルトの支度はエリザベートほど時間がかからないので、彼はもう暫く景色を楽しむらしい。
身支度の為に部屋を移ると、侍女らは既にエリザベートの衣装をどれにするかと夢中で話し合っていた。
夜会用のドレスをどれだけ持ってきたのか知らないが、決して狭くはない室内が色とりどりのドレスで埋まっている。
そのどれもが帝国の最新流行のデザインを取り入れており、装飾もどれだけの手間と費用がかかったか想像できない程豪奢なものだった。
「皇女殿下、どれがお気に召しまして?」
侍女らはそれぞれあれがいいこれがいいと言い合っていたが、埒が明かないと思い至ったらしくエリザベートの意見を求めてきた。
「どれでもいいわ」
実際、エリザベートの好みに合わせて作られたものなのだから、どれでも同じだ。
だが、その答えに侍女らは困ったように視線を交わし合っている。
「そうだわ!レオンハルト様のお好みを聞いてみましょう」
侍女の一人が名案とばかりにそう言えば、他の侍女らも即座に同意を示した。
そしてエリザベートの意見も聞かず、年若い侍女がレオンハルトを呼びに走る。
「どれがいいと思われます?」
現れたレオンハルトに広げたドレスを見せながら侍女が問う。
他の侍女も興味津々といった様子でレオンハルトの返答を待っている。
「…どれも素敵だと思いますよ」
レオンハルトは侍女らに気圧されたようにたじろぎながら当たり障りのない答えを返した。
「もちろん皇女殿下はどのドレスもお似合いになられますけど、レオンハルト様はどれがお好みですの?」
どうやら侍女はどうあってもレオンハルトに選ばせる気らしい。
実際、侍女らの意見は拮抗していて、エリザベートもどれでもいいという以上、他に選びようがない。
しかし、そんな内情など知らぬレオンハルトは答えることを躊躇っている。
「貴方が好きなものを選べばいいわ」
困り切った表情でエリザベートに視線を寄越すレオンハルトにそう言った。
エリザベートも衣装選びには辟易していたし、レオンハルトの好みに合わせるのも悪くないと思ったのだ。
エリザベートに促され、レオンハルトが広げられたドレスに視線を彷徨わせる。
その表情は真剣で、真面目に選んでくれているのだとわかる。
そして最終的に、レオンハルトは薄桃色のドレスを選んだ。
「これがいいと思います」
照れたようにそう言い、選んだドレスを差し示す。
レオンハルトの選んだドレスは、フリルやレースが惜しげもなくあしらわれ、真珠やダイヤモンドなどの宝石も贅沢に縫い付けられている豪奢なものだった。
派手になりがちな意匠だが、清楚さや可愛らしさも失われておらず、帝国皇女であるエリザベートに相応しいものだ。
「やっぱり皇女殿下にはこのドレスがお似合いですよね!」
侍女の一人がそう言えば、他の侍女も次々と同意を示す。
それからは髪型や装飾品の話になり、結局エリザベートの支度が整ったのは夜会が始まる直前だった。