17.一年越しの会話
それからの旅路は雰囲気が一変し、穏やかで和やかに進んだ。
最初は地獄のように永く苦痛な半月間になると思えたが、馬車のアクシデント以後は会話も飛躍的に増え、あっという間にセルビスとの国境付近までたどり着いた。
「ねぇ、セルビスはどんな国なの?」
馬車での会話でエリザベスは気になっていたことを聞いてみらことにした。
その問いはかつてレオンハルトと婚約した際の舞踏会でも尋ねており、そのときのレオンハルトの答えが印象的でセルビスに行ってみたいとエリザベートに思わせたのだ。
そしてその願いはこうして叶おうとしている。
「美しい国ですよ。帝国のように人工的な美しさではなく、自然の美しさ。そしてそこに暮らす民の温かさ。洗練さとは程遠いですが、素朴で温もりのある国です」
祖国を思い出しているのか、どこか遠い目をしてレオンハルトが答える。
その目はとても穏やかで優しく、彼の語るセルビスと通じるものがあった。
「貴方は一年前もそんな風に言っていたわ」
婚約したときの舞踏会でのことよ。覚えている?と言い添える。
「覚えています、忘れるはずがない。僕はあの時とても嬉しかったんです。帝国の皇女である貴女が、セルビスに興味を持って下さったこと、本当に嬉しかったんです」
その言葉が嘘か本当かはエリザベートにはわからない。
けれど、そう思ってくれていたなら嬉しいと思う。
だから、信じてみようと思った。
「わたくしも貴方がセルビスについて嬉しそうに話すから、いつか行ってみたいと思ったわ」
秘めていた真実。
それを語る。
「…本当ですか?」
心底驚いたようにレオンハルトが問う。
けれどその言葉の根底には喜びがあるようで、嫌な気持ちにはならない。
「本当よ。貴方の国を見てみたいと思ったの」
エリザベートのその言葉に、レオンハルトは心底嬉しそうに笑った。
もしも一年前にこの会話ができていれば、二人の関係は今よりもずっと良好なものになっていただろう。
今みたいに笑顔を浮かべて会話をするのが当たり前の関係になれていたかもしれない。
そんな風に思いながら一年前に言えなかった言葉を伝え、聞けなかった言葉を受け取る。
「貴女を連れて行きたい場所がたくさんあるんです。付き合っていただけますか?」
そう言う彼は、まるで少年のように目を輝かせていた。
「行ってみたいわ。貴方の好きな場所に、わたくしも連れて行ってほしい」
自分が素直すぎて、可笑しくなる。
レオンハルトにこんなに素直になれるなんて、思ってもみなかった。
「一緒に行きましょう。綺麗な湖や、珍しい花の咲く丘、深い緑の森。他にもたくさん貴女に見せたい景色があるんです」
「えぇ。貴方の国をわたくしも知りたいわ」
言った言葉は真実だった。
レオンハルトの愛する祖国を知りたい。
レオンハルトのことを、知りたい。
その想いは、エリザベートの心の奥に覆い隠されていた真実。
だけど、言って後悔した。
こんな科白、まるで告白のようだ。
レオンハルトに嫌われている自分がこんなことを言うなんて、滑稽すぎる。
何か言われてしまう前に言い訳をしようとしたけれど、それよりも早くレオンハルトが口を開いた。
「…ありがとう、エリザベート」
そう言ったレオンハルトの表情は、今までに見たこともないくらい優しくて。
本当に嬉しそうに、彼は笑った。
この時、彼はエリザベートを呼び捨てにしたけれど、それを咎めようとは思わなかった。
このまま敬称など付けずに、名前を呼んでほしいとさえ思う。
その想いを伝えたくて、でも口にすることはできなくて、想いが届けばいいと微笑んだ。
そして、順調に旅は進み、一行はセルビス国内に入った。
「城までは半刻もしないうちに着きますよ」
セルビスの都まではあとどのくらいかと聞こうとレオンハルトに視線を向ければ、問う前に答えが返ってきた。
「どうしてわかったの?」
何も言わないのに、聞きたかったことがどうしてわかったのだろう。
「外の様子を気にしているようだったので」
「よくわからないわ。外を見ただけなのに、わたくしの考えていたことがわかるなんて」
エリザベートが不思議そうに言えば、レオンハルトは笑みを深めた。
それを見ながら、言葉にしなくてもわかるなんて本物の夫婦みたいだ、なんて浮かれたことを一瞬考えた。
だけど、そんなことを考えてしまえるくらい、馬車の事故以降の二人の関係は良好で。
「ここ暫くこうして過ごしていれば、わかることも増えますから」
レオンハルトの言葉は、馬車のアクシデントからのことを指しているのだろう。
実際、それを契機に二人の会話は飛躍的に増え、今では自然と会話をしている。
これまでの関係を思えば信じられない程に。
そして、二人の関係も目に見えて変わった。
「そうかもしれないわね」
このままこうして過ごせば、いつか心から想い合えるようになるのだろうか。
そんなことをふと思った。
こうして他愛もない会話を積み重ねて、同じ空間で時を過ごして、同じ景色を見て。
二人でそうして過ごしたなら、本当の夫婦になれるのだろうか。
「この旅を通して、僕は貴女を知りました。だから、言葉にしなくても少しはわかる」
レオンハルトは穏やかに微笑んで、そんな風に言う。
思えばエリザベートも、この旅を通してレオンハルトを少し知った。
彼の優しさ、誠実さ、祖国に対する想い。
そういったものを。
「…着きましたよ」
エリザベートが何か言う前に馬車は止まり、窓から外の景色を確認したレオンハルトが城への到着を告げる。
直後、護衛の騎士が恭しく声をかけゆっくりと馬車の扉が開き、まずはレオンハルトが馬車を降りると、優雅な仕草で手を差し伸べた。
典型的なエスコートの仕草であったけれど、おそらくは自発的に彼が初めてエリザベートに手を差し出してくれた瞬間だった。
「ありがとう」
旅を通して、夫婦関係も少しは改善されたようだった。
そのことが嬉しくて、微笑みながら差し出された手につかまり馬車を降りる。
そうしてまず目に入ったのは白亜の城。
帝国の皇宮とは広さにおいて比較にもならないけれど、きちんと手入れされた美しい城だった。