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15/23

15.意地

エリザベートが目を覚ますと、時刻は夕方だった。


さすがに寝過ぎたとは思ったが、おかげで昨夜の涙の痕跡は綺麗に消えた。

泣き腫らした目も、眠れなかったことを示す隈も、すっかり元に戻っているようだ。



「皇女殿下」



遠慮がちに部屋の外から声をかけてくるのが聞こえ、部屋に入る許可を与えると、先程の侍女とはまた別の侍女が夕食はどうするのかと尋ねてきた。



「広間で食べるから支度をして頂戴」



皇族が集まって食事をとる広間にはレオンハルトも来るだろうから、彼と顔を合わせることになる。けれど、エリザベートが避けてやる必要はないはずだ。


家族と一緒に食事を摂ることを告げ、着替えなどの身支度を侍女に命じる。

あまり時間はないが、何とかなるだろう。


実際、侍女の手際はよく、あっという間にエリザベートを着飾らせ、夕食にちょうど間に合うように支度を終わらせた。


支度を整えている最中に侍女がレオンハルトの訪れを告げたけれど、会いたくなくて追い返したから彼は先に広間に向かっただろう。

一刻も早く昨夜の弁明をしたいレオンハルトは何度もエリザベートの部屋を訪れており、毎回それを追い返すよう侍女に命じるのもいい加減うんざりする。


このまま放っておいてもレオンハルトは話ができるまで諦めないだろうから、いつかは話をしなければいけない。

まずは食事をしながら様子を窺おうと部屋を出ると、廊下に佇むレオンハルトが見えて思わず狼狽た。


明らかにエリザベートを待っている様子のレオンハルトを無視すれば、昨夜のことを気にしていると言っているようなもの。だけど、気にしていない風を装って話しかけるには心の準備が出来ていない。

広間に行けば顔を合わせるのはわかっていたけれど、両親もいるから昨夜の話にはならないと考えて、まずは様子見と思っていたのに。



「エリザベート様」



「…どうしてここにいるの」



二人の間に緊張が走る。

エリザベートはどうしていいかわからず、ただレオンハルトを見据えた。

レオンハルトは戸惑ったように一瞬視線を彷徨わせたけれど、覚悟を決めたようにエリザベートと目を合わせてきた。



「…昨夜は申し訳なかった」



エリザベートがどうしたらいいか考えあぐねていると、前置きもなしにレオンハルトが頭を下げてきた。



「何故、あんなことを口走ってしまったのか自分でもわからない。だが、貴女を傷付けてしまった」



「傷付く?わたくしが貴方の言葉に?笑わせないで。貴方がわたくしにそんなに影響を与える存在だなんて思い上がりも甚だしいわ」



言いながら、ばればれの嘘だと内心で笑ってしまう。


昨夜、彼の前で涙を流しておきながらこんな科白を吐いたところで、強がっているのが丸わかりだ。

あまりに格好が悪い。



「エリザベート」



レオンハルトが再度名を呼んだ。



「呼び捨てにしていいと許可した覚えはないわ」



最早、意地としか言いようがなかった。


夫婦なのだから、レオンハルトがエリザベートを呼び捨てにすることに何の問題もない。

むしろ、そうすることが自然だ。


実際、初夜でレオンハルトが失態を犯す前は呼び捨てにされることを嬉しいと感じる自分がいた。


だが、今は同じ気持ちを抱くことはできない。

レオンハルトに名を呼ばれるだけで、胸が痛くなる。


この気持ちを何と呼ぶかは知らない。

だけど、こんなに痛くて、こんなに惨めで、こんなに格好の悪いのは御免だ。


美貌と引き換えに痛覚を失った筈なのに、レオンハルトに関するときだけ痛む胸に契約違反だと文句さえ言いたい。



「とにかく昨夜のことを謝りたい。本当に申し訳ないと…」



「必要なくってよ」



再度の謝罪を口にするレオンハルトの言葉を強引に遮った。

謝罪などされれば、ますます惨めになるだけ。

そんなことはエリザベートの高い矜持が許さなかった。



「わたくしたちは政略結婚。貴方が他の方を想っていても、わたくしと帝国への義務さえ果たしてくださるなら結構よ」



そんなのは嘘だ。

本当はそんなこと思ってない。

本心は言葉とは裏腹。


だけど本当のことなんて言えるはずがない。

素直に言えるなら、今こんなことにはなっていない。



「エリザベート!」



少し怒ったようにレオンハルトが名を呼んだ。

それすらも腹立たしいと思うのはどうすればいいのだろう?


そもそもレオンハルトに怒る権利などないはずだ。

二人の結婚は政略結婚で。政略結婚である以上、お互いに義務を果たせばあとは自由。

エリザベートは何も間違ったことなど言っていないし、初夜で他の女の名を呼んだレオンハルトに何も言われたくはない。



「呼び捨てにするなと言ったはずよ」



「貴女に誤解されたままにしたくない。話を…」



初夜での出来事が誰かに知られれば立場が危うくなるレオンハルトは必死だ。昨夜のことを知られれば祖国諸共不遇を囲う事になる。

だから昨夜から必死に許しを乞おうと大嫌いな女に頭を下げているのだ。

命令されなければ口も聞きたくなくて、目も合わせなくない女に媚を売ることも厭わずに。



「結構よ。貴方もわたくしも政略結婚と割り切って、お互いに好きにすればいいじゃない。わたくしは貴方に干渉しないから、貴方もわたくしに干渉しないで」



淡々と冷静に言いたかったのに、感情に揺れた物言いになってしまった。


あぁ、こんな言い方じゃ本心じゃないとばれてしまうわ。

強がりだとレオンハルトに知られるなんて、これ以上ない恥辱。

そんなのは耐えられない。



「本気で言っているのか?」



「本気以外に何があって?」



レオンハルトが上手く騙されてくれたようで、ほっとする。


このまま騙されてくれればいい。

そうすればエリザベートの自尊心は保たれる。



「貴方だって、その方が都合がいいでしょう?わたくしの体裁を傷付けない程度になら祖国の恋人との関係を続けようと、愛人を囲もうと自由よ。属国の公子という貴方の立場を考えれば充分ではなくて?」



あくまで高飛車に言い放つ。


傲慢で尊大で、他者を蔑む嫌な女。

そんな風にレオンハルトが思えばいい。

そう思わせるほどに、傷付けたかった。

だから、これまでレオンハルトに対して決して言わなかった属国の公子という言葉を敢えて口にした。



レオンハルトの心を傷付けて、憎まれてもいいから強く存在を残したかった。

一年前、レオンハルトの本心を知ったあの晩のように、今度はエリザベートがレオンハルトを傷付けてやりたかった。



「…やはり貴女は最低だ」



ぼそりとレオンハルトが呟く。


その言葉はエリザベートの胸を傷付けたけれど、これでよかったのだと思う。

願った通り、レオンハルトは騙されてくれたのだから。


騙されたままエリザベートを憎んでくれればいい。


だから、微笑んだ。

本心を隠して、嫣然と微笑んでみせる。



「貴方だって最低よ」



昨夜と同じ科白。

あぁ、本当に救いようがない。

だけど他の方法を知らない。

これ以外のやり方を知らない。

こうする以外、レオンハルトにどう接すればいいかまるでわからないのだ。

この後だってどう振る舞えばいいか、全くわからない。



「話は終わりね」



無理やり会話を打ち切るが、レオンハルトは何も言わなかった。



「…先に行くわ」



目的地は同じ。

一緒に夕食を摂るのだから、広間まで二人で行けばいい。

きっとそうするのが自然だ。

わざわざ別々に行くことが不自然だということはわかっているけれど、レオンハルトと二人でいることにこれ以上耐えられない。


こんな会話をこれ以上続けるのは嫌で、返事を待たずにレオンハルトを置き去りに歩き出す。



「待って」



このまま別れたかったのに、レオンハルトに腕を掴まれて立ち止まる。



「…何なの?」



もう話すことなどないだろうに。

これ以上、不毛な罵り合いでもしようというのかとうんざりした視線を寄越せば、腕を掴むレオンハルトの手が少し緩んだ。



「…いえ、何でもないです」



失礼しました、と言い添えてレオンハルトが手を離す。

このまま放さないつもりなら無礼者と叱責して無理矢理離れてしまおうかとも思ったけれど、それを実行する前にレオンハルトが手を離してくれてほっとした。



それ以上は何も話すことなく、エリザベートは一足先に広間に向かい、少し遅れてレオンハルトも広間に入ってきた。


しかし、広間内でも二人に会話はない。

沈黙の支配する中、最後に皇帝夫妻が広間に入り、夕食が始まった。


食事の最中は皇帝夫妻が話を振り、それにエリザベートとレオンハルトが応えるといった形で何とか沈黙は免れたが、新婚のはずの二人の間に会話はなかった。



「明日からセルビスだな」



夕食もデザートを残すのみとなった頃、皇帝が口にしたのは明日からの新婚旅行を兼ねたセルビス公国訪問の話題。

楽しみだろう、という意味合いの言葉に咄嗟に返す言葉が出てこない。



「…そうですわね」



本当は嫌で嫌で仕方ない。

護衛や侍女はもちろん同行するけれど、彼ら使用人はいないのと同じだから、レオンハルトと二人での旅行。

レオンハルトが帝国に婿入りした形なので華燭の典は帝国で挙げているが、セルビス公国にも結婚のお披露目に行くのだ。



「セルビスはとても自然の美しい国だから、新婚旅行にはちょうどいいだろう」



父皇帝は娘夫婦の不仲に気付いていないのか嬉しそうにそんなことを言うから、本当のことが言えるはずもなく、エリザベートは調子を合わすことにした。



「わたくし、他の国どころか帝都から出たこともないんですもの。とても楽しみですわ」



帝都どころか、城から出たことさえほとんどない。

レオンハルトとの新婚旅行でさえなければ、明日からのセルビス行きがどれほど楽しみなことだろう。



「そうだったな。では明日からは見るもの全てが目新しく、心弾む経験になるだろう」



「えぇ。そうなることを祈りますわ」



「レオンハルト殿にとっては里帰りでもある。二人でゆっくり楽しんでおいで」



最後に皇帝がそう締めくくり、夕食の時間は終わった。


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