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13.最低の夜

「…それでは、後で」



そう言って去って行こうとするレオンハルトに、何も言うことはできなかった。


レオンハルトは必要最低限の会話以外は終始無言で、その沈黙が彼の気持ちを表していた。

彼はこの結婚もエリザベートのことも本心では嫌で仕方がないのだ。


求婚に訪れた際、美しくなる前のエリザベートを嫌悪したのと同じく、彼は今の美しくなったエリザベートのことも嫌悪している。

触れられることさえも嫌なほどに。


先程、腕を絡めた際のことが脳裏をよぎる。

自然な動作でレオンハルトの腕に手をかけたら咄嗟に身を引かれて、彼にどれほど嫌われているかを思い知らされた。

すぐに自制心が働いたのか、微々たる動きではあったけれど、エリザベートには分かった。エリザベートだけが分かった。

過剰なまでに嫌悪を示されてレオンハルトに視線を遣れば目が合って、言い訳でもしなさいよと言う代わりに言葉を促したけれど、彼は何も言わなかった。

二人の間では自然に会話が発展していくことはない。

仮にも新婚夫婦だというのに、その関係の希薄さは歴代の仮面夫婦に勝るとも劣らないだろう。

それでも新婚夫婦の義務として、二人で皇帝陛下と皇后陛下に退出の挨拶を述べると会場を後にしてエリザベートの部屋の前まで歩いたが、その間、会話は一切なかった。

終始無言。

その上、やっと口を開いたかと思えば、レオンハルトが口にしたのは事務的で棒読みな一言。



「…それでは、後で」



嫌々なのが伝わってくるその言葉。


何も言える筈がなかった。

返せる言葉など何もない。

だから、何も言葉は返さなかった。


無言のまま部屋に入り、扉を閉める。

しかし、そのまま扉の前を離れる気になれなくて、レオンハルトの気配を感じながらしばらく佇む。


そして、後悔した。


扉の向こうから聞こえてきたのは、溜息。

言葉ですらない、ただ息を吐き出しただけなのに、何よりも彼の気持ちを何よりも雄弁に物語る、嘆息。


知らないままなら、もう少しましな気分で彼との初夜を迎えられただろうけれど、エリザベートはレオンハルトの気持ちを知ってしまった。


そうして迎える二人の初めての夜が、怖くて仕方ない。

けれど、エリザベートの気持ちは置き去りに、女官は支度を整え始め、あっという間に支度を整えると、寝室にエリザベートを一人残して去って行く。


一人きりになると心細くて落ち着かない。

レオンハルトがあの無表情な顔で訪れて、何の感情も籠らない瞳を向けるのを想像すると、それだけで胸がぎゅっと締め付けられるかのように感じる。


愛していない。

そう態度で示されることが怖い。

そんなことを考えていると、扉を叩く音が聞こえてきて、断りの後、扉が開かれた。

レオンハルトが訪れたのだ。



「…エリザベート様」



「入っていらしたら?」



入口に佇むレオンハルトにそう促すと、彼は無言でエリザベートの前まで歩を進めた。

だが、他人として必要な適度な距離を保って、それ以上は近付いて来ない。

言葉を交わす気もないのか、口を開こうともしない。



「…何か話したらどうなの?」



沈黙に耐えかねてそう言えば、無機質な瞳を向けられた。

その瞳が、エリザベートに先程の夜会での会話を思い出させる。


『何か話しなさい』

そう命じたエリザベートにレオンハルトが返したのは皮肉。

『僕と貴女の間で何を話せと?』

話すことなどないでしょうに、と彼はあの時視線で告げていた。


きっと今回も返ってくる言葉は同じ。

話すことなどないと皮肉交じりに返されるだけ。

そう思っていたけれど、返ってきたのは予想外の科白だった。



「…貴女は何故、僕と結婚したのですか」



結婚の理由をレオンハルトに尋ねられるとは思っていなかった。

そもそも何故と問われても、一言で説明できるはずがない。


彼の本心を知る前に抱いていた淡い想いと、本心を知った後に心を埋め尽くした憎しみ。

復讐するのだという決意。

それだけではなく、綺麗になったと認められたいという願い。

レオンハルトへの想いは複雑で、とても一言では表せない。



「…貴方以外、残っていなかったからよ」



自分のことを嫌悪している人間に、素直に気持ちを伝えられるはずがなく、口から出たのは可愛げのないそんな言葉。



「弱小国の公子なら、貴女の言いなりになるからですか」



言いなりになる相手が他に残っていなかったから自分と結婚したのかとレオンハルトが問う。


だが、そんなのはお互い様だ。

レオンハルトとてエリザベートを選んだのではなく、セルビス公国の後ろ盾となる大国の皇女を選んだのだ。

国の恋人を捨てて、醜いと嫌悪する女に求婚したのだ。



「そうよ」



挑発するように言ってやる。

レオンハルトに責める資格なんてない。



「…最低ですね、貴女は」



レオンハルトは蔑んだようにエリザベートに軽蔑の視線を寄越し、その後何かを呟いて自嘲的な笑みを浮かべた。



「貴方だって最低だわ」



そう言い捨てると、どういうわけかレオンハルトが苦笑した。



「…もう黙って」



会話にうんざりしたようにレオンハルトが言う。


当初、彼がとっていた二人の距離はレオンハルトが一歩足を踏み出しただけでなくなってしまった。

レオンハルトはそのまま有無を言わせずエリザベートの唇を自身のそれで塞ぎ、強制的に言葉を封じる。


そうして口付けを交わしながら、レオンハルトは優しさの欠片もなくエリザベートを背後の寝台へと押し倒した。



「…痛っ」



強引に押し倒されて思わず声を上げるが黙殺された。



「今度は無礼者とは言わないんだな」



馬鹿にしたようにそんなことを言う。


婚礼の際のことを皮肉っているのだとすぐに分かった。


蔑んだ視線を寄越しながら、レオンハルトの手は慣れた様子でエリザベートの寝衣を脱がしにかかる。



「…何とか言ったらどうです?」



何も言わないエリザベートに焦れたのか、レオンハルトが言葉を促してくるが、こんな状況と混乱した頭で上手い返事が思いつくはずもない。



「この状況で何を言えと言うの?」



やっとのことで言えたのはそれだけ。

疑問に疑問で返すなどという愚かな行為。



「さぁ?こんな状況で新婦が言うなら、愛しているとかそういった科白では?」



レオンハルトはわざととぼけて見せて、その後、意地悪く続きの言葉を吐いた。

まるで夜会のときにエリザベートが言った科白のお返しとでもいうかのよう。



「…なら、新郎である貴方も同じように愛を囁いたら如何?」



「愛している」



即座に返ってきた愛の言葉。

本心などではない、嘘の言葉。


だけど夜会のときとは違って、彼の表情は無表情ではなくて、向けられる視線は無機質なものでもなくて。

真直ぐにエリザベートを捉えるレオンハルトの瞳には熱が籠っているように見えた。


そのせいか、まるで本当に彼に愛されているかのような錯覚を覚える。

レオンハルトがエリザベートのことを愛してなどいないことは誰よりもわかっているはずなのに、愚かにもそんな勘違いをしてしまいそうになる。



「愛している、エリザベート」



再度、レオンハルトが愛を囁く。

そのとき初めて呼び捨てで呼ばれて、馬鹿みたいに心臓が跳ねた。


そうしているうちにもレオンハルトは着々とエリザベートの寝衣の紐を解き、素肌を露わにしていく。



「…レオンハルト」



初めて彼の名を呼び捨てにした。

一度呼んでしまえば、その後は意識しないまま熱に浮かされたように彼の名を呼んでいた。


今このときは、レオンハルトはエリザベートのもの。

彼の瞳にはエリザベートだけが映り、彼の耳はエリザベートの声だけを聴く。

レオンハルトがやっと自分を見てくれた気がして、綺麗になってよかったと思う。


綺麗だと言って、夢中になって。

国の恋人のことなど、このまま忘れてしまえばいい。

レオンハルトの口付けを受けながら、そんな風に思う。


最初の強引な口付けから一転して優しい口付けを落とされて、彼に本当に愛されているかのような錯覚に陥る。

何度か角度を変えて口付けを交わし、その後レオンハルトの唇はエリザベートの首筋へと移動する。



「……シャーロット…」



首筋に顔を埋めたレオンハルトが、熱に浮かされたように小さく呟いた。

その声はあまりにも小さく、彼自身も無意識のうちに口にしたのだろう。

だが、エリザベートにはそれが聞こえてしまった。


しかし、その呟きをエリザベートが聞きとがめるよりも早く、レオンハルトは弾かれたように覆いかぶさっていたエリザベートの上から離れた。


レオンハルトが退いたので、エリザベートも寝台の上に身を起こした。

そうして顔を青ざめさせている夫を冷ややかに見つめる。


手を伸ばせば届く距離に、呆然と立ち尽くす夫。

それを冷ややかに見つめる妻。

新婚とはとても思えない自分たちの関係が可笑しくて、笑おうと思ったのに上手く笑うことができない。

それどころか、笑うつもりが涙が一筋頬を伝って落ちていった。



「…最低ね。やっぱり貴方なんて大嫌いだわ」



仮にも新婚夫婦の初夜で、夫がかつての恋人の名前を呟くなど、聞いたこともない。


レオンハルトには自国に恋人がいると知っていたし、愛されていないことも知っていた。

愛されているどころか嫌悪されていることだってわかっていた。


彼の囁く愛が偽りの言葉だと分かっていた。

だけど口先だけの言葉でも愛していると言うのなら、その時だけは他の女のことを考えないでほしい。

口付けを落としながら、間違えて他の女の名を呼ばないでほしい。



「…出て行って」



言い訳も謝罪もしない、ある意味とても潔いレオンハルトは立ち尽くしたまま。

そんな彼に去れと命じる。

このまま二人でいたくなかった。それなのにレオンハルトは立ち尽くしたまま動かない。



「出て行きなさい!」



きつい口調で再度命じても、レオンハルトは動かない。

そんなレオンハルトに苛立って、まるで癇癪を起こしたように叫ぶ。



「早く出て行って!わたくしの前から消えて!」



寝台にある枕やクッションを投げつけた。

柔らかいものなので当たったところで痛くはないが、エリザベートは力一杯それらを投げつけた。


手近なものを投げ尽くしてやっと、レオンハルトは一歩エリザベートに歩み寄ってきた。



「…エリザベート」



何を言うつもりなのか、レオンハルトが名を呼ぶ。

だが先程まで胸をときめかせた呼び声も、今はただ神経に障る。



「誰が呼び捨てにしていいと言ったの!貴方にそれを許可した覚えはなくてよ」



もっと毅然として言ってやりたいのに、荒ぶる感情のせいで上手くできない。自分でも自分の感情を制御できなくて、レオンハルトに当たり散らす。

そうしているとレオンハルトがエリザベートを落ち着かせようと口を開こうとしているのが見えて、咄嗟に命じる。



「無礼者、下がれ!」



レオンハルトが何を言おうとしているのかわからなくて、彼の言葉を聞きたくないが為にきつい口調で言う。


取り乱していた新妻はもうそこにはおらず、代わりに帝国の皇女としてのエリザベートがそこにいた。

レオンハルトもそれを察したのか、言葉を飲み込み部屋を出て行く。

今度は一切何も言わなかった。



「…大嫌いよ」



レオンハルトが去り、一人きりになった寝室で呟く。

エリザベートのせめて精一杯の強がりだった――

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